なごやんさんの息子さんは中日ファン。名古屋人だから当たり前と言えば当たり前だ。私は東京在住…しかし、巨人ファンにはならなかった(詳細は以前書いた「騙されません、勝つまでは(シーズン中)。」をご参照のこと)。
きっかけはアンチ巨人の父の「悪魔のささやき」だが、要は潜在的アマノジャク精神の一端なわけだ。うえぽん一族は皆、普段はいたって温厚で従順だが、一皮めくれば底辺には「みんなが右と言うなら左に行ってみたい。人と一緒じゃつまらない」という精神がマグマのごとく沸々とたぎっているのである。実際には、逆らうのが面倒なので流れに任せることが圧倒的に多いのだが(爆)、一旦火がついたら止まらない。
応援している選手にしてもそうで、スター級の選手もいいが、どちらかというと、脇役の選手が好きなのだ。みんながみんな応援している選手になびくのは好きじゃない…というアマノジャク面がやはり顔を出している。横浜で言うなら、村田(修一)もいいけど小池(正晃)もね!という感じである。
父は小さい頃、巨人には見向きもせず東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)のファンだった。かつて近所にあった駒沢球場を本拠地にしており、しょっちゅう試合を見に行っていたという。
当時のフライヤーズと言えば「駒沢の暴れん坊」の異名を持ち、張本勲、山本八郎、西園寺昭夫、土橋正幸といったスター選手がゴロゴロいた。しかし、父が一番応援していた選手は、毒島章一だった。毒島は俊足巧打の外野手で、リーグで4回三塁打王を獲得。通算106三塁打は「世界の盗塁王」福本豊(115本)に次ぐ日本プロ野球2位の記録である。温厚な性格で人望も厚く、長年チームのキャプテンも務めていた人物であるが、周りの人間があまりにも個性が強すぎたため、知名度はあまり高い方ではない。大人になってからならまだしも、小さい頃からそういう選手に目をつけるあたり、父のアマノジャク精神は筋金入りと言えよう。
もし、私が名古屋で育っていたらどうなっていただろうか…?ひょっとしたら、父がやっぱりアマノジャク精神でアンチ中日になって、その影響を食らってこれまた別の球団を応援していたかもなぁ。
きっかけはアンチ巨人の父の「悪魔のささやき」だが、要は潜在的アマノジャク精神の一端なわけだ。うえぽん一族は皆、普段はいたって温厚で従順だが、一皮めくれば底辺には「みんなが右と言うなら左に行ってみたい。人と一緒じゃつまらない」という精神がマグマのごとく沸々とたぎっているのである。実際には、逆らうのが面倒なので流れに任せることが圧倒的に多いのだが(爆)、一旦火がついたら止まらない。
応援している選手にしてもそうで、スター級の選手もいいが、どちらかというと、脇役の選手が好きなのだ。みんながみんな応援している選手になびくのは好きじゃない…というアマノジャク面がやはり顔を出している。横浜で言うなら、村田(修一)もいいけど小池(正晃)もね!という感じである。
父は小さい頃、巨人には見向きもせず東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)のファンだった。かつて近所にあった駒沢球場を本拠地にしており、しょっちゅう試合を見に行っていたという。
当時のフライヤーズと言えば「駒沢の暴れん坊」の異名を持ち、張本勲、山本八郎、西園寺昭夫、土橋正幸といったスター選手がゴロゴロいた。しかし、父が一番応援していた選手は、毒島章一だった。毒島は俊足巧打の外野手で、リーグで4回三塁打王を獲得。通算106三塁打は「世界の盗塁王」福本豊(115本)に次ぐ日本プロ野球2位の記録である。温厚な性格で人望も厚く、長年チームのキャプテンも務めていた人物であるが、周りの人間があまりにも個性が強すぎたため、知名度はあまり高い方ではない。大人になってからならまだしも、小さい頃からそういう選手に目をつけるあたり、父のアマノジャク精神は筋金入りと言えよう。
もし、私が名古屋で育っていたらどうなっていただろうか…?ひょっとしたら、父がやっぱりアマノジャク精神でアンチ中日になって、その影響を食らってこれまた別の球団を応援していたかもなぁ。