うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

またまたハンズの筆ペン売場で

2009-01-22 18:40:36 | 表へ出ろ
お仕事絡みで二日連続渋谷のハンズに。せっかくなのでまた筆ペン売場に寄ってみたら、試し書きの紙は新しいものに…残念(笑)。でも、懲りないワタシは「ちくわぶ」と書いてある隣に「がんもどき」と書いておきました。閉店時間までに、誰かが「おでん種」しばりで何か書いてくれたらうれしいです
( ̄ー ̄)ニヤリッ

東銀座「ステーキハウス・チャイム」

2009-01-22 12:44:31 | 表へ出ろ
ステーキランチWカット(1300円)をごちそうになりました。鉄板の中央のかたまりは野菜炒めです。
ここのステーキは、ステーキソースの代わりに醤油とからしとお酢を混ぜていただくという、変わった食べ方。ワタシは酸味が苦手なものでお酢は控えめにしましたが、さっぱりして美味しゅうございました。

東横線に新車登場!?@渋谷駅

2009-01-21 14:51:50 | 表へ出ろ
少々オールドなデザインに対してずいぶんとハデなカラーリングで、エラい変わった新車だなぁ…って、これ軌道とか架線とか検査する車やないかーい!
( ゜∀゜)/▽☆▽\(゜∀゜ )
鉄道マニアはもちろん、普通のサラリーマンまで珍しがって写真撮ってて、それ見て女子高生が面白がってました(笑)。

「舞網」(まいあみ)にはしなかったんですね。

2009-01-20 19:25:51 | 雑記
浦安鼠楽園があるのは、千葉県浦安市舞浜。この「舞浜」という地名は、1975(昭和50)年11月29日に誕生したものだという。

…浦安市(当時は浦安町)第1期埋め立て事業中、1974(昭和49)年8月にオリエンタルランドの遊園地構想計画を千葉県が承認すると、1975(昭和50)年11月の第1期埋め立て事業完了に伴い、埋立て事業者のオリエンタルランドと協議をした。その結果、アメリカのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートが存するフロリダ州の都市であるマイアミビーチに因んで「舞浜」と名付けられた…

ほー。ワタシが生まれる前から、鼠楽園が出来るのはもう決まってたってことか。いつ頃からの話なんだろう?と思って調べてみたらまぁビックリ!

浦安鼠楽園を運営しているのはオリエンタルランドという会社である。京成電鉄が千葉県浦安沖を埋め立てて、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設を計画、京成の川崎千春社長(当時)の旧友であった、三井不動産の江戸英雄社長に共同事業者として声をかけたのがきっかけとなり、1960(昭和35)年7月に設立されたんだそうで、川崎社長はその時からディズニーランド誘致を考えていたのだとか。

1960年って…大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)が初優勝した年じゃねーか。そんな昔からだったとは…!

しかし、京成側は乗り気だったが、三井側は「そんな大それた話…。そんなのより住宅地とか開発した方がいいよ」みたいな感じで、誘致反対派だったらしい。最終的には、オリエンタルランドが親会社の三井の意向を無視するような形で業務提携契約締結に至ったそうなのだが、もし三井側の意見が通って誘致話がポシャっていたら…舞浜は今頃一体どうなっていたか。三井も要らんことせんで良かったね(笑)。

奥さんの希望だろうか。

2009-01-19 21:52:59 | 雑記
大学時代の友人から、結婚式の招待状が。浦安鼠海(仮称)のホテルミラコスタでやるんだと。
うぇいぱー。(妹)の友人もミラコスタで結婚式を挙げたそうだが、途中であの鼠男と鼠女が登場した途端、お客さん大興奮。そっちばかり写真を撮りはじめ、主役であるはずの新郎新婦は存在感がほとんどなくなってたとかいう話…(爆)。
果たして無事に済むだろうか(笑)。

中の人などいない。

2009-01-18 23:04:45 | 雑記
来月、東京で行われる『ひこにゃんのてくてく「歴史街道」』というイベントのチラシに、ひこにゃんが演奏者として書かれていた。パートは不明である。
華麗なスティックさばきでドラムを叩くのか、アコースティックギターで超絶技巧を披露するのか、それともグッと和風に三味線や尺八や笙で来るか(笑)。

…「中の人」が歌うってのもありうるな(爆)。

むしろ自動車で行った方が楽だった。(持ってないし、運転も8年ほどしてないけど)

2009-01-17 23:21:00 | 雑記
私の住んでいる界隈は一方通行が多く、自動車で走る際は道を1本間違えただけでまぁ大変!というドライバー泣かせの地域なのであるが、ワタシは今日、品川区で自転車に乗っていて同じような目に遭った。

草野球の練習で、大井ふ頭中央海浜公園に向かった。家からなら、環七に出てずーっと南下し、流通センターの先でひょいと左折すれば着いてしまう。楽勝じゃーん
┐(  ̄ー ̄)┌

JRの跨線橋を越え、平和島の駅を抜け、流通センターを通過。とまぁ、ここまでは順調だったのだが、渡らなくていい信号を1コ渡ってしまったのが間違いの元だった。信号を渡ってから左折し、しばらくして「あ、今の信号渡らずに左折してれば良かったんだ」と気が付いた。しかし、既に道路の反対側には目的地の公園が見えたし、元の信号まで戻るのも気が引けて「次の信号でもう1回渡ればいいや」と、そのまま自転車を走らせ続けた。しかし、行けども行けども次の信号が見えてこない。それもそのはず、その道路のど真ん中には高速湾岸線がドーン!そんなところを横切る信号など、あるわけがないのだ。このままでは公園横を通りすぎて、大井の火力発電所まで行ってしまうではないか。

と、そこに見えてきたのは、高速の上を横切る跨線橋へ抜けられる階段。しかし、歩行者専用で結構急角度。

…自転車と荷物抱えて上りましたさ(滝汗)。

何とか集合時間には間に合ったが、地図だけ見てわかった気になってちゃイカンてことですね
(´・ω・`)ショボーン

「何度でも乗りたくなる救急車」ってのもイヤだが。

2009-01-16 22:30:58 | 雑記
アナタは今までの人生で、救急車に乗ったことが何回ありますか?

まぁ、救急車の世話になったわけではなく、たまたま友人のmixi日記で倅が救急車の前でポーズとってる写真を見たので、ふと思ったわけで。

ちなみに、ワタシは3回。小1の春に車にはねられて1回目。中3の秋に右睾丸捻転で2回目。3回目は、原因不明の体調不良に襲われたハハの付き添いで。

自分の具合が悪い時は気付かなかったのだが、付き添いの時に初めて感じたのが、

「救急車は、酔いやすい」

スピードを出して走るから、当然揺れも大きくなる。それに、最近の救急車は、外から中が見えにくいように窓の大部分が隠れているのだが、どうもそれがまずいらしい。外の景色が見えないから、目からの視覚情報と三半規管からの平衡感覚の情報がずれてしまい、脳内で処理しきれずに車酔いしてしまうようだ。

ハハの付き添いで救急車に乗った時は、走行距離が約1.5キロという短さだったにもかかわらず、気持ち悪くなった。ハハのついでに点滴打ってもらおうかと思ったぐらいだ(爆)。まぁ、救急車の世話にならんのが一番イイのだが。