ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

普済寺・秘仏千種姫と千日参り

2020-08-11 | 神社仏閣
秘仏の『千種姫尼僧像』に会いたくて…普済寺の仏殿
秘仏の扉があいた。千種姫尼僧像に会いたくて…待つこと2年余り。" 織姫と彦星" のような出会いの気分! 

「普済寺」は足利尊氏の妹(千種姫)が開基として創建したと伝えられる。本堂の北、雨乞嶽の谷間に観音堂(仏殿)が建つ。方三間檜皮葺は禅宗様寺院の特徴を各部に持つ。仏殿は薄暗く決して豪華絢爛な内装ではない。須弥壇の上は鏡天井で禅宗寺院様式、床は全て板張りで簡素の中に荘厳な雰囲気が漂っている。中央に須弥壇(厨子)は50年に一度のご開帳の本尊・十一面観音像が安置、その右脇侍に「千種姫尼僧坐像」(厨子)に入る、周囲の長押(なげし)に打ち付けられている「千躰地蔵菩薩」は他に類例がない!等が…どっしりと坐す。年に一度、観音堂(仏殿)の千日参りの日のみ姫像の厨子の扉があく。この時を逃すと…一年、拝することができない秘仏である。
この千種姫像は郷土歴史史料等によると近世(江戸初期)に入ってからの製作と伝えられている【京都府南丹市文化財】。
許可を頂き実測すると姫坐像は高さ60㎝、木彫造りである。…左右の肩から腰に掛け亀裂が入り、特に左肩のヒビが目立つ。ボリューム感は十分、戦乱の世を力強く生き抜いた尼僧の強い意志が…。喜色満面の丸顔に目尻は長くきれ、凛とした容貌が印象的である。


<厨子の中の扉があく。1間(いっけん)の間に、厨子が「千種姫尼僧坐像」が安置されている>


<印相は禅定印、深い瞑想に入られている姿が…。近世は江戸初期の作と思われ、木彫造り寄木のように思われます。
若森地区の南丹市の貴重な文化財を次の世代へと>


<本尊・十一面観音像のご開扉は50年に一度の秘仏>
<長方形の須弥壇の中に鎮座する。壇の組み物は禅宗様の形式の繰形(くりがた)を多く使用し、細かい段を重ねている>
普済寺の檀家役員さんによる千日参りの準備、本堂前に幕が張られる。
<毎年お盆の8月10日と決まっている。若森の人たちによって季節の収穫物(スイカ・トマトなど)が供えられる。その昔は夕方より盆踊りや夜店、花火もあり賑わったそうです…今は昔の話。今年は新型コロナウイルス拡散、3蜜の関係で催しは縮小…異例の千日参りとなりました。
ちなみにこの日にお参りすると千日お参りしたご利益があるそうです>

<寺の卍の紋と輪宝紋が印象的>


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