出雲神社の小宮に『八坂神社』さん 其②…疫病の歴史
(園部町埴生倉谷9)
(園部町埴生倉谷9)
世界中で新型コロナウイルス感染拡大している…怖い。3蜜状態の回避、新しい生活様式へと…やっと出口が見えてきたようだ…油断大敵。
はるか昔より、日本ではさまざまな疫病が流行してきた。そのたびに多くの人々が苦しみ大きな犠牲者をだした。過去を振り返り見えない疫病と、先人たちは…どう向き合ってきたのだろうか…今回は其②です。
近世
江戸時代、一生に一度はかかる三つの疾病(天然痘・はしか・水ぼうそう)はお役三病と呼ばれていた。
「はしか」は、約20年に一度のペースで流行、文久2年(1862)、江戸では数万人の犠牲者がでる。人々は予防や疫病退散を願って「はしか絵」を買い求めた。はしかの神様がこらしめられている様子や、はしかで損をした商売人たちがもうけた人かたちと戦っている風刺画が瓦版となる。入浴・散髪・酒や魚、野菜の飲食を100日間断つ。守らないと病気が再発すると信じられ、多くの人が生活困窮となり、経済的混乱も起きている。
疫病を予言し妨ぐとされる妖怪「アマビエ」「姫魚」等の絵が流行した。江戸後期、瓦版等で疫病の怖さを知らせていた。
緒方洪庵は、欧州で確立されていた天然痘のワクチンを広め、病気にかかる前にワクチン接種で予防に貢献する。日本の近代医学の祖と言われている。
安政5年(1858)、コレラが日本で大流行、かかると三日でコロリと死ぬと云われ、「虎狼痢治準(ころりちじゅん)」の治療手引書を医療者に配っている。
このようにして日本の近代医学が発展して行く礎が築かれてきた。
新型コロナウイルス感染拡大予防に向け、過去を振り返り疫病の怖さを知り教訓としたい。
(参考資料/朝日新聞)
と刻まれている。この地の八坂さんは1830年に埴生の地に勧請したのではないだろうか?