12月9日は障害者の日
最近は、9日前後を障害者週間というらしいが・・・
1998年12月9日
『障害者の日の集い』というイベントがあった。
行政が主催で、市内の障害者施設・関係団体が実行委員会を作り、イベントの準備や運営をしていた。
この年、俺は就職したてにも関わらず、なぜか施設の代表として実行委員になっていた。
そして、なぜだか分からないが、イベントのメイン会場の責任者になっていた
就職1年目の俺にとっては、かなりの重役(今の俺でも引き受けへんし・・・)
イベント当日、朝から食事もノドを通らず、会場入りした事を覚えている。
そして、イベント開始前に、緊張しながら祝辞などの書類を整理していたら・・・
「祝辞です」
と声をかけられた。
声をかけてきたのは俺の職場にボランティアで来ていた大学生の女の子
祝辞風に俺に励ましの手紙を書いてきてくれた。
物凄く心にしみた手紙だった事を、今でも覚えている
彼女からの『祝辞』は大事に今でも持っている。
その時のボランティアの彼女が、今の妻
この時の祝辞で、彼女との距離がグッと縮まり、数週間後に付き合う事になった
最近は、9日前後を障害者週間というらしいが・・・
1998年12月9日
『障害者の日の集い』というイベントがあった。
行政が主催で、市内の障害者施設・関係団体が実行委員会を作り、イベントの準備や運営をしていた。
この年、俺は就職したてにも関わらず、なぜか施設の代表として実行委員になっていた。
そして、なぜだか分からないが、イベントのメイン会場の責任者になっていた
就職1年目の俺にとっては、かなりの重役(今の俺でも引き受けへんし・・・)
イベント当日、朝から食事もノドを通らず、会場入りした事を覚えている。
そして、イベント開始前に、緊張しながら祝辞などの書類を整理していたら・・・
「祝辞です」
と声をかけられた。
声をかけてきたのは俺の職場にボランティアで来ていた大学生の女の子
祝辞風に俺に励ましの手紙を書いてきてくれた。
物凄く心にしみた手紙だった事を、今でも覚えている
彼女からの『祝辞』は大事に今でも持っている。
その時のボランティアの彼女が、今の妻
この時の祝辞で、彼女との距離がグッと縮まり、数週間後に付き合う事になった