uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


学校に行こう!!

2015-11-04 02:37:54 | 日記
昨日、7年ぶりに人気番組

『学校に行こう』をやっていた。


私の好きな番組だったがいつの間にか終了し、

寂しく思っていた。


あの番組の何処がそんなに好きだったのか?


何十年も学校とは無縁になっていた私のようなオジサンが、

V6のようなアイドルに興味があった訳ではない。

と云っても、その後の活躍も含め、

キライだった訳でもない。

健康的で好感の持てるグループとして

日々成長していると思う。



番組が好きだった理由は他にある。



≪未成年の主張≫だ。



校庭に多数の生徒を集め、

校舎の屋上から叫ぶように自らの主張をする姿に、

毎回云い知れぬ感動を覚えていた。



そして7年経っても、生徒たちはやはり輝いていた。



テーマは何でもよい。


皆の前で、自分の言葉で自分の主張を一生懸命する。

その姿が感動を呼ぶのだ。



毎回見る度に呼び起こされた感情。




それは私個人の懐かしい学校生活の思い出と共に、

当時同級生だった生徒ひとりひとり持っていた

独自のユーモアと個性。

それらの記憶を呼び覚ます番組だったと思う。




あんな高いところから群衆を前に

大声で呼びかけるのはさぞ勇気のいる事だったろう。


いつもその姿を見ていて、ある場面を思い出していた。



それはかなり古いが、

三島由紀夫の自衛隊決起を求める演説。

それと昔の青春テレビドラマ『俺は男だ!』で魅せた

森田健作が三島演説スタイルを真似た校舎屋上から

生徒諸君に呼びかけるシーン。



私は何度も言うが、右翼が嫌いだ。


でも三島由紀夫のあの事件は当時小学生だった私に

云い知れぬ衝撃を与えたのも事実。



学生運動も終息し、世の中を扇動しようとする試みは

すっかりしおれてしまった時代。



しかしそんなシラケ世代にも

心のどこかに燻る、熱い主張に感動するDNAが残っていた。





そして今、再び目にした未成年の主張。


熱い呼びかけをする生徒に対し、

「なぁに~!」と問いかける生徒の仲間たち。


主張する側と聞く側の、息のあった受け答えが

観る者に清々しさと共感を呼ぶのかもしれない。



演説の内容は極めてパーソナルなもの。


自分の兄弟の私生活の暴露から、

片思いの恋の告白まで多様だが、懸命に叫ぶ姿が意地らしい。



そんな彼らを見て思う事がある。


もうすぐ始まるらしい18歳選挙年齢引き下げ。


文部科学省は、学校内での選挙活動は一律禁止の方針だが、

本当にそれで良いのか?


古代ギリシャやローマ時代も

政治は演説から始まった。


まだ幼くとも、一旦選挙権を付与するのなら、

ほんの一部でも、生徒の自主性に任せてみてはどうか?


人を前に自らの主張をするのは

一生の思い出になるほどの大きな経験だ。



そしてそれらの経験が

政治への原点に繋がってゆくと思うのは

私のお得意の、いつもの無理なこじつけに過ぎない?





そうでなくても群衆の面前で愛の告白をするのも、

自分の夢や理想を語るのも、

間違いなく人生の貴重な経験、および第一歩になる。



ただ面白かった、楽しかっただけではなく、

そういった視点からも共感と感動を呼ぶ番組。

そして、どうせ見たからには、

そうした姿から学んで欲しい。

そして生かして欲しい。



将来の日本を背負う若者たちに多様な機会を与え、

自らの考えや主張を形成し、

勇気ある行動のできる人間形成に

教育の現場は尽力すべきだ。




奇しくも昨日は「文化の日」。




先の大戦の反省に立って公布された日本国憲法。

その精神にのっとって制定された国民の祝日「文化の日」は、

それ以前、明治天皇の誕生日だったと云う。


その当時も祝日ではあったが、

その日は生徒全員が登校し、

校長先生の朗読する教育勅語を聞くのが決まりだったとか。



でも今は主権在君から主権在民へ。


明治天皇の詔から生徒自らの主張へ。


そんな時代の変遷を少し感じた。


多分番組を編成したスタッフは、

そんなことまで意図したわけではないだろうが。



函館の夜景をホテルの窓から眺めながら

昔を思い起こしたオヤジが一句。



好きだ~!と 言えてたならば 今は無い



お粗末。