さて、ここに祖国ポーランドと孤児たちにとって重要な人物がいる。
彼の名はイエジ・ストシャウコフスキ。
自ら孤児出身でありながら、孤児院で働きワルシャワ大学を卒業。
孤児教育の道へと志した。
そして17歳の時、シベリア孤児の組織を作ることを提唱。
ポーランドと日本の親睦を図ることを目的に「極東青年会」を結成し、自ら会長になった。
最盛期には640名にも上ったという。
ヨアンナは彼の行動力に惹かれ「極東青年会」のメンバーとなり、できる限りの貢献をして頑張ろうと考えた。
だがそれは、イエジに対しての恋愛感情とは全く別の、理想に対する憧れを持っての行動だった。
ヨアンナの他、成長した孤児たちは皆日本との絆絶ち難く、在ポーランド日本公使館との交流を大切にした。
そして日本国政府もこの絆を大事にした。
勿論人道的な結びつきによる当然の好意の延長もあるが、実はそれだけではない、
大人の事情があった。
それは日本にとっての対ロシア政策が深く影響している。
日本にとってロシアは常に仮想敵国であり、国の動向と予測の分析・対策の構築が国是である。
歴史を少し遡さかのぼるが、日露戦争当時、ロシア支配下のポーランドには、二人の指導者がいた。
対ロシア武装蜂起派のユゼフ・ピウスツキと、武装蜂起反対派のロマン・ドモフスキ。
ふたりは日本の当時参謀本部長児玉源太郎、福島安正第二部長に面会し提案した。曰く、
「極東地域のロシア軍の三割はポーランド人である。
我がポーランド兵は、戦闘の重大局面での離反、シベリア鉄道の破壊を約束する。
その対価として、ポーランド兵捕虜に対する特別な待遇を願いたい」
と申し出たのだった。
その提案を受け入れた証拠のように、四国松山に収容されたポーランド捕虜は、ロシア捕虜と別の場所にて特別待遇を受け、とても捕虜とは思えない厚遇と心温まるもてなしを受けた。
更に対ポーランドの実質窓口となった明石元二郎大佐が中心となり、ポーランド武装蜂起支援、武器購入資金提供を実行、日露戦争勝利後はポーランド独立を助けている。
(ポーランド・ソビエト戦争も独立の背景にあった。ヨアンナたちが孤児になるキッカケの戦争)
ポーランドと日本はそうした関係にあった。
「極東青年会」の活動が持つ意義は、単にイエジという青年の理想に留まるものではない。
100年後のポートランドと日本の関係の礎であり、祖国再興と、後に他国の侵略からの防衛の役割を担う事になる重要な組織であった。
そうした歴史的結びつきを背景にしながらも、国際連盟脱退、日中戦争勃発と孤立化した日本。
その延長線上には、日独伊三国軍事同盟がある。
日本にとってこの同盟は、ただ単に国際的孤立を避けるためだけではなく、対ソ政策でもあったのだ。
当時日本は泥沼の日中戦争の真っ最中。
関東軍が作戦展開中、満州国境沿いに対ソ守備隊を多数配置していた。
やがて二度にわたるノモンハン事件を経験する。
事件というが、実質的な戦争であった。
対戦車戦で手痛い敗北を喫した日本。(但し、戦果の評価は分かれる)
益々情勢が厳しくなる中、中国大陸に急速に覇権を広げる日本に警戒し、圧力を強める(ルーズベルトが画策)アメリカの野望さえも見えてきた。
今後予想される対米戦のためにも、満州の守備隊(関東軍)の準備は絶対必要だった。
そのため、ドイツには対ソ戦略で頑張ってほしい。
ソ連軍の極東守備隊をヨーロッパ戦線に差し向けさせるためにも、同盟は必要だった。
ただそのためには、ドイツとソ連の中間に位置するポーランドが結果的に犠牲になる。
それは日本の望むところではないが、独ソ両国による大国間同士の領土争いに、口出しできるほどの国力も影響力も日本にはない。
ポーランドが武力で蹂躙されるのを、阻止することはできないのだ。
それならせめてポーランドに対し、できる限りの支援をすること。
日本はその道を選んだ。
そう、日本はドイツと軍事同盟を結んでおきながら、水面下でポーランド支援も行うという、二重政策を遂行していたのだった。
そしてポーランドに対し支援をする理由はもうひとつ。
ポーランド人を味方につけ、ドイツの動向、ソ連の動向の情報収集の諜報活動家として活用する事も目的だった。
そうした事情から、日本の大使館・領事館などの在外交機関は、現地法人の保護・管理の他、日本の国策遂行・実行部隊としての側面も帯びていた。
大使館員は文官と武官が存在するが、多かれ少なかれ、いずれも諜報・若しくは特務を使命のひとつとして活動していた。
しかもそれは官僚のみに留まらず、民間にも特務機関からの要請を帯び、その対価として事業の支援を受け現地でビジネスを展開する者、邦人・外国人を問わずビジネスの実態を伴わない実質諜報員的な民間人も存在した。
そんな情勢の中、孤児たちの主催する行事は公使館の館員も大切にし、できるだけ全員参加を原則にして応援した
しかし世相は暗く厳しく悲しい時代。
大きな戦が孤児たちの前に立ちはだかっていた。
1939年ナチスドイツが突然電撃作戦で、ポーランド国境を越え侵攻してきた。
イエジ青年は極東青年会を臨時招集、直ちにレジスタンス運動に参加することを決定した。
部隊の名を青年の名をとり、『イエジキ部隊』と呼ばれるようになった。
さてヨアンナだが、彼女も成長し可憐な乙女時代を過ごし、当然の流れの中「極東青年会」の一員として不動の活躍の場を確保している。
彼女はその聡明さと明るさ、そして人を引き付けるような美しい娘になっていた。
彼女自身は福祉事業家を目指す仲間の孤児たちに共鳴し、行動を共にしながら、青年会の活動では中心的存在だった。
彼女が青年会に本格的に顔を出すようになったのは17~8歳の頃から。
それ以前にもボチボチ参加してはいたが、正式なメンバーとして加入するには歳が足らなかった。
そういう訳で20歳を過ぎた頃にはすっかり青年会の花となり、いつも彼女は人々の中心にいた。
因みにエヴァはヨアンナとは別の道を選び、結婚し幸せな家庭を築くが、生涯変わらずヨアンナの友として時には一番の支援者となっていた。
ちょうどその時、日本の公使館に出入りするようになった青年がいる。
井上敏郎。
福田会に孤児支援に来た当時中学2年生だった少年だ。
彼はどこで覚えたかポーランド語、ドイツ語、ロシア語を駆使し、複数の公使館館員と深い交流のある民間人だった。
彼は少年時代の面影を残しながら、長身の好青年になっている。
彼は他の大使館・公使館員と共に、よく青年会の催しに参加した。
機知に富み、ユーモアで人を笑顔にし、それでいて隙の無い所作。
館員の誰よりも洗練されていた。
時々会話する青年会のメンバーも、彼には一目置いている。
彼は一体何者?
日本人には珍しくポーランド語を話し、日本の商社の社員と云っていたけど、他の社員など見た事無い。
公使館員と深いつながりがありそうで、何故だか分からないが好感が持てる。
青年会のメンバーの彼に対する評価だった。
参考までに、日本には陸軍中野学校と呼ばれる特殊工作員養成所がある。
そこでは当たり前のように、数か国語を自在に屈指できる人材を輩出していると聞く。
でも其処はあくまで陸軍の養成所である。
もし彼が特務機関員だったとしたなら、彼にはひとつ大きな弱点があり、決して向いているとは言えないだろう。
その弱点とは?・・・・・彼は善良過ぎる事。
いざという時、非情になれそうもないのだ。
それが彼の人柄だった。
幼少期そのままに、真っ直ぐ育った彼。人の道に反する行為とは無縁の場所にいた。
推測するに、彼は別の政府機関によって養成された特務機関員なのだろう。
多分、外務省若しくは内務省あたりに。
それも彼を知る者たちの、一致した人物評だった。
だからそんな立場の者かもしれない彼が、ヨアンナと接する機会は少なくない。
井上敏郎がポーランドで彼女を最初に見たのは、大人の集いに彼女が初めて顔を出した頃。
多分17~8だったのだろう。
可憐な彼女を一目見た時、青年敏郎は
「なんて素敵な人だろう!」
感嘆符付き(!)で見とれてしまった。
彼はまだ少女だった孤児の彼女に、自分が昔『折り鶴』を贈った事を覚えていない。
そして彼女も自分に折り鶴をくれた年上の少年が今、そばにいる彼だとは気づかなかった。
『イエジキ部隊』が地下レジスタンス活動を活発化させた頃、ヨアンナも当然のように参加するようになる。
しかしそれは命がけの行為であり、ドイツ兵にバレたら命はない。
周囲の青年会メンバーは彼女を心配し、自重を求めた。
しかし彼女は引くつもりはなかった。
何故なら彼女は、孤児として沢山の人から受けてきた恩に報いる時と考えたから。
今守るべきもの。それは彼女が生きてきた証。
彼女を守るため父が母が命を落とし、シベリアから救出されるまで多くの大人たちから数え切れない助けがあった。
更に日本滞在中に受けた善意。
ピクニックで見かけた近所の子の両親に対する信頼と意地、プライド。
ヴェイヘローヴォ孤児院や学校での生活。
祖国ポートランドを蹂躙する者への抵抗は、自分を救ってくれた恩ある人々の行為が尊い価値があった事の証明にしたいから。
勿論安全なところで幼い孤児たちの世話をすることも尊い行為ではある。
でも命を懸けて自分を守ってくれた人々に比べたら、遠く及ばないように思う。
だが本当は比べる必要なんてない。
人はそれぞれ役割があるから。
自分にふさわしい最善の行為で報いるのが、正解なのかもしれない。
自分を守ってくれた人達は、ヨアンナが命を危険に晒す任務に就くことを望んではいない。
幸せに生きてほしいのだ。
人生を全うするのが一番の望みである事も分かっている。
だがそれでも燃え滾る使命感の火を消すことはできなかった。
ヨアンナと井上敏郎の再会は、そんな悲しい時代を背にしていた。
そんな時代だからこそ、ヨアンナは自分の少女時代にやってきた『笛吹き』が、再び踊り狂いながら多くの子供たちを連れ去る悲劇を強く予感していた。
「笛吹きたちよ!立ち去れ!!」
ヨアンナは無意識に叫んでいた。
つづく
注: 笛吹き
大きな戦争の前触れに、街の大きな通りを笛を吹きながら練り歩き、ついてくる幼い子供たちを連れ去った実際に起きた事件。
その後の幼子の行方は最後まで不明だった。
徴兵され戦死した数多の名もなき兵士たちも、笛吹きに連れ去られたと信じられている。