この回までは井上敏郎の死に至るまでのフィリプ目線での回想です。
時はまだ1941年12月8日に至っていないことにご注意ください。
1939年4月28日、ドイツはドイツ・ポーランド不可侵条約を破棄、不安と現実の危機が目の前に迫り、同年9月1日早朝、ドイツ機甲師団が雪崩を打って国境を越えてきた。
第二次世界大戦の始まりである。
続いて9月17日ソ連が東からポーランド領内に侵攻、国土が西と東のふたつに分割され、瞬く間に占領された。
第一次大戦前と同様、再び理不尽な他国の支配に甘んじなければならない辛い毎日の幕開けだった。
だが祖国を侵略されても、誇りと気概を忘れないポーランド人。
決して屈しまいとの決意から、必要な日常行事を取りやめる事はない。
極東青年会もそんな不撓不屈のDNAを持つポーランドが誇る団体に成長していた。
ある日(井上敏郎が杉原千畝と立ち話していたのをヨアンナが目撃したあの日)の日本大使館と青年会協同主催慈善パーティでのこと。
いつものようにフィリプはヨアンナの姿を目で探しながら、会場の隅で参加者たちの人間観察をしていた。
しばらく経って彼はヨアンナの姿を見つける。
彼はすかさず挨拶に向かうが、彼女は正面に立つある男性と親し気に話しているのに気づく。
しかもそれは東洋人!
多分日本人であろう。
フィリプは思わず立ち止まった。
咄嗟に自分の想いを打ち砕く地雷を避けるような行動に走った。
根拠はないが、「そうしろ!」と経験から来る勘が叫ぶのだ。
「今、このタイミングで失恋などしたくない!」
彼の自己防衛本能が働いた。
会話内容が聞こえない距離のため、いったい何を話しているのか分からない。
しかし、フィリプはヨアンナが話す相手が直感により、恋仇であると感じ取った。
ふたりだけの空間には部外者の入り込めない、見えない壁と厚い扉の存在があるように思える。
衝撃が背筋を貫く。
努めて冷静を装うつもりでいたが、掌と額の汗は隠し通せない。
少し距離をおいた所で佇みながら、手汗を感じるしかなかった。
会場の同じ空間のすぐ近くに居ながら、天と地ほどの乖離した世界に迷い込んだ気がする。
どれほどの間傍観していただろう。
実はあの時のヨアンナと敏郎の会話はすぐに終了しているが、フィリプには永遠と思えるくらい長く感じた。
気がつけば会話を終え、自分の存在に気がついたヨアンナが私に歩み寄ってくる。
いつもの私に向ける親しみやすいあの笑みをたたえながら。
「今日もいらしてくれたのですね。
お声をかけてくださればよかったのに。」
(今しがたまでお話されていたあの方はどなたですか?)
そう聞きたい!
眩暈がするほど激しく揺れる心を必死で抑えながら、
「貴女が親し気に会話をされていたので、つい声をかけそびれていました。」
声がひっくり返るのではないかと心配するほど、高いトーンでうわずった口調になってしまった。
(ああ、情けない!恥ずかしい!大の大人が、大の男が何というザマだ!!)
そのどぎまぎした様子に一瞬クスっと笑い、
「失礼!」と彼女は言った。
その翌日の敏郎とヨアンナが橋の上で偶然出会い、お互いの気持ちを確かめあった運命の日から数日が経過した頃、フィリプはそんな事があったとは夢にも思わず、何かと理由をつけてヨアンナのいる孤児院にやってきた。
そしてヨアンナにあの日のお世話になったお礼を言う。
「先日は素敵なパーティーでお世話になりました。
とても楽しく過ごすことができました。」
と笑顔で声をかけた。
「戦時中の事ですので何かと至らず、ご出席していただいた皆様にかえってご迷惑をおかけしたのではないかと私、心配していましたのよ。
バクラさんが本当にそう思っていただけたなら、私を含め、主催メンバーたちもホッと胸を撫で下ろしますわ。」
「とんでもない!この難局によくぞここまで立派にできたと、返って感服しているくらいです。
特にあの時の来賓の方々を見ると、流石日本大使館と青年会の共催だけあって、多数の日本人の方たちが顔を見せていましたね。
戦争中だと云うのに凄い事だと思いました。
それにしてもヨアンナさんは日本の皆さんにもお顔が広いのですね。
まだ若いのに凄いと思いました。」
「ああ、あの方・・・。
あの時ご覧になられましたわね。
あの方は日本人であの後で知ったのですが、あの方には昔お世話になった事がありましたのよ。
紙で折った鶴を私にプレゼントしてくれた方。
私の大切な思い出なの。」
少し伏し目がちに彼女は言った。
(もしかして私の嫉妬の感情を見抜かれた?どう返したらいい?)
しどろもどろしながらフィリプは少し長い沈黙のあと、
「そうでしたか。大切な方なのですね。
貴女の眼差しを見ていてそう思いました。」
無理して快活そうに応えた。
幾分不自然なフィリプの様子に気づかないのか、いつもなら鋭いほどよく気がつく娘なのに、あの橋の上での夢のような会見を思い出し、その余韻から上気した表情で
「そう、あの方と日本は私のかけがえのない思い出なのです。
国に戻ってパンジーや水仙やヒヤシンスを見ても、穏やかで気持ちの良い夏の日の日差しに身を委ねてみても思い出すの。
まだ幼かった日本での生活を。」
近くのテーブルに置かれたワイングラスを見つめながら、何かを追いかけるような目で、独り言のようにつぶやいた。
「私はいつも不安と共に暮らしてきました。
それは今も同じです。
もちろん孤児院や青年会のメンバーたちに囲まれて楽しく暮らせていますが、基本私たちは皆ひとりです。身内と呼べる人は居ません。
どんなに素晴らしい仲間がそばにいても、両親を亡くし、頼れる兄弟姉妹もなく、何の力も後ろ盾も持たない孤児が生きてゆくのは、月も星の光も無い暗黒の夜道を歩くようなもの。
親の温かい言葉やぬくもりが、堪らなく恋しいと思うときがあります。
母や父の親身なさりげない言葉に飢え、寂しさに涙する事もあります。
だからせめて少しの灯りでも良いから、道標が無ければ生きてゆけません。」
ヨアンナがフィリプに向き直り、
「秋の風が吹くとき、どんなに暖かなコートを身にまとっても、冷たさが身に沁み、寂しさが身に応えます。
枯葉が風に舞い目の前を通り過ぎる時、今まで生きてきた自分の人生と重なります。木枯らしのような暮らしを、吹けば飛ぶような虚しい営みを。
だから暑かった日本の充実した夏の日や、人々の温かい眼差しと楽しかった日常をいつまでも忘れたくありません。
いなくなった両親に成り代わって優しくしてくれたあの時代に、感謝と恩を忘れたくないのです。」
そう言い終わると、真っ直ぐフィリプを見つめるヨアンナ。
フィリプはヨアンナを堅く抱き締めたい衝動に駆られた。
しかし彼女の曇りのない灰色の眼の中の健気で孤高の誇りに満ちた光を感じ、ヨアンナという女性にここでむやみに触れてはいけない気高さを悟った。
幾分落着きを取り戻した彼は、愛おしさで心が満たされ、自らの嫉妬を恥じ、
「私は不用意に貴女の深い悲しみや孤独に立ち入ることはできません。
でも、これだけは気に留めておいてください。
私はいつでも、どんな時も貴女の力になれるような人間でありたい、貴女の心に寄り添える人間でありたいと願っています。
そしてそう思っているのは私ひとりだけじゃなく、神も身の回りのたくさんの人たちも貴女に対し願っていることです。
私はいつも見守っています。
それを貴女にも感じて欲しいです。」
今度はまっすぐ彼女の目を見据えて力強く言った。
ふたりは暫く見つめ合っていた・・・無言で。
ふと我に返り、ヨアンナは伏し目がちになりながら、一言添え逃げるようにその場を辞した。
やがて戦争はその激しさを増し、戦乱の拡大は留まるところを知らなかった。
1941年10月4日、在ポーランド日本大使館の閉鎖が発表され、12月8日午前1時(日本時間)には日本がイギリスのマレー半島を攻撃しここに太平洋アジア戦争が勃発、次いで同12月8日ハワイ真珠湾奇襲、12月11日ロンドンの亡命ポーランド政府はドイツの同盟国である日本へ宣戦布告。怒涛の展開が全世界を覆った。
その戦乱がポーランドを覆いつくし、在ポーランド日本大使館閉鎖発表が成される少し前、ヨアンナの身の回りで悲劇が起きた。
彼女が密かに心を寄せていた井上敏郎が、彼女を庇いドイツ軍の銃弾に倒れた事件が発生。
彼女の腕の中で絶命した敏郎。
ヨアンナには、目の前に天使が舞い降りて青空の中、敏郎の魂を天に誘う姿が見えた。
遠ざかる彼らを見ながら、またも立ち去った大切な命。
父も母も、多くの友人も、そして今、腕の中で息を引き取った彼までも。
その日を境に彼女は悲嘆にくれ、人が変わったように抜け殻生活が始まった。
来る日も来る日も無気力な生活。
杉原千畝が敏郎の墓参りに見えた時だけ精気を取り戻したが、また直ぐに悲嘆にくれた生活に戻った。
もう、お世話しに通っていた孤児院どころではなかった。
そして迎えた閉鎖された日本大使館最後の係官が立ち去る日。
彼女は何かにすがりつこうとするかのように、ヴェイヘローヴォ孤児院を去り、一路閉鎖直前の大使館があるワルシャワに向かい、建物の前に立っていた。
彼女を心配し、いつも見守っていた極東青年会のメンバーは、その中心に拠点を置いていたワルシャワ市内の複数の拠点の一室を彼女に与え、万全のサポート体制をとることにした。
一方、ドイツ軍のポーランド侵攻後、ポーランド政府が瓦解、政府要人がロンドン亡命政府を組織し、その指揮下ポーランド国内残存兵士たちにより、レジスタンス目的に組織された軍隊「国内軍」に参加する事となったフィリプも首都奪還のため、偶然ワルシャワに転任していた。
ヨアンナもワルシャワに来たとの知らせを聞き、すぐさま駆け付け、何かと面倒をみようとした。
彼女の住むアパートを訪れる時、独身女性宅への来訪との配慮から、極東青年会とイエジキ部隊メンバーに同行してもらい、当時ワルシャワ市内では食料が不足し、入手困難になりつつある状況の中で何とか手に入れたジャガイモや豆や、パン、ワインなど差し入れを持参した。
また、親友エヴァも夫ミロスワフと共に、ヨアンナの下に駆け付けた。
井上敏郎の死を境に悲しみに暮れるヨアンナを心配しての事だった。
エヴァは語りかける。
「おお、ヨアンナ!私の大事な子猫ちゃん!!」
エヴァは以前ヨアンナから幼い時、母が彼女の事を『子猫ちゃん』と呼んでいたと本人が話していた事を覚えていた。
「早く元気になって、私と明日の幸せについて語りましょう!
ほら、笑顔を見せて。」
無理に弱々しく笑顔を見せるヨアンナの様子に、これは重症だと知ったエヴァであった。
大切な親友ヨアンナをここに放っておかれない。
結局エヴァとミロスワフ夫婦の滞在は長引き、その後のワルシャワ包囲戦に巻き込まれる事となる。
つづく