uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
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『シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~』カクヨム連載版 第19話「橋の上の出会い」

2023-01-03 07:00:00 | 日記

 ある日の催しは戦局厳しい状態にもかかわらず、慈善事業の寄付金を募る恒例のパーティーを密かに決行。

  つつましくも華やかな晩餐会とダンスが展開された。

 しかし、さすがに日本公使館がバックアップしているだけある。

 この日もいつものように内外の有力者、著名人などが集まり、盛況だった。

 

 この日も敏郎の姿が見える。

 

 グラスを持ちながら、見かけないある人物と何やら熱心に立ち話をしていた。

 離れた場所で、しかも難しい日本語だったので、聞き取れず何を話しているのか分からない。

 ヨアンナは敏郎が気になったが、時々チラッと見るだけで、近づいて話しかける勇気はなかった。

 でもあの方の事は勿論そうだが、あの方が話されているのが誰なのかも気になって仕方ない。

 

 ヨアンナは心の中の小さな勇気をかき集め、馴染みの公使館員に聞いてみた。

「今日はあの方もお見えなのですね。

 楽しんでいただけているかしら?

 あの熱心にお話しされていらっしゃるのはどなたでしょう?」

 視線を敏郎に向けながら、公使館員に自然な調子で声をかけてみた。

 まるで賓客を気遣うマダムのように。

 

 彼女の心の中を知ってか知らずか、館員は、

 「いつも貴女あなたは心遣いが細かいのですね。

 ああ、敏郎が話している相手は、杉原さんです。

 リトアニアに赴任した領事。

 きっとこれからもあなたたちと関りがあるかもしれないから、覚えておいてもいいと思いますよ。」

「杉原さん?」

「そう、杉原千畝領事。」

 彼女はじっとふたりを見つめているのだった。





・・・ただ、そんなヨアンナを遠くから焦がれるように見つめる別の目があった。

ヨアンナは全くその視線に気づかなかったが・・・・。






 翌日会場の片付けと後始末の残りを終えたヨアンナは、昨夜の宴の場から家路への帰途の歩みを早めていた。

 短い夏も終わり、秋を飛び越え一気に冬の風を感じ始める頃、こちらに向かう見覚えのある、いや、このような偶然を心のどこかでいつも待ちわびていた、ある姿に焦点が合った。

 深々と帽子をかぶりコートの襟を立てたその姿でも、ヨアンナには直ぐに見分けがつく。

「あの方だ!」

 歩きながら全身がワナワナ小刻みに震えるのを感じた。

 

 数秒後、向こうも私に気がついたようだ。

 歩調が心なしか早まりながらも、

「落ち着け!落ち着け!!」と念じ、距離を縮めていった。

 ふたりの間には石組の古い橋が一脚。

 

 向こうとこちらの両方が近づいた時、彼の方から声をかけてきた。

「やあ、昨晩はどうも!」

 快活な笑顔と白い歯を見せ彼は言った。

「こちらこそ、いらしていただき、感謝しております。」

 普通の会話だった。

 本来そこで終わる筈だった。

 でもここで何か話さなければ!お互いがそう思った時、押し黙る沈黙が無限の長さに感じた。

 

「そうそう、昨晩の、」

「あの時のあの方、」

 取って付けたように、不意に同時に発した互いの不自然な雰囲気と、少々 うわついた語調に可笑しさを感じ、目が合ったふたりは笑いを押し殺していたが、こらえきれず思わず吹き出し、声を出して笑い合った。

 

 同時にその時お互いが他の人達に対してとは違う、特別な感情を抱いてくれているのを感じた。

「今なんて言おうとなさったの?」

 ヨアンナは少し時間をおいて改めて聞いた。

「えぇ、昨晩のパーティーはとても楽しかったです。

 そう言おうとしました。貴女は?」

 

「・・・昨夜はどなたかと楽しそうにお話されていましたね。

 いつもとはちょっと違う貴方を見たような気がしましたわ。」

「そうですか?私は貴女に見られていたのですね。」とはにかむような笑顔で応えた

「昨夜は私にとって、もとても有意義な時間を過ごせました。

 私の話していた相手は人生の目標のような人で、私の価値観に大きな影響を与えてくれた方なのです。」

「そうだったのですか。

 そんな大切な機会に恵まれて、とても良かったと思います。

 あんな質素な慈善パーティでも、開いた甲斐はあったのですね。

 ところで私、いつも感心しているのですが、井上さんはとてもポーランド語がお上手ですが、どちらで学ばれたのですか?」

「上手だなんて、お恥ずかしい。

 私は父の仕事の関係でポーランドに居る期間が長く、その間に覚えたのです。」

「そうですか、日本の方がこちらでお仕事なさっているのは珍しいですね。

 御父上様は外交とかのお役人様なのですか?」

 

「いえ、今の私と同じ商社の社員です。

 父は仕事の関係で、様々な国を渡り歩く放浪者のような人でした。

 私は父の後を継いだというか、気がついたら父に敷かれたレールの上をまんまと歩かされていたというところです。ハハハ・・・。

 今は拠点をこちらに置いていますが、実質的な特派員なので、現地社員は私だけ、気軽なものです。」

 そう言ってまたハハハと白い歯を見せた。

 

「ところでヨアンナさんは極東青年会の活動をされていますが、日本に来られた事があるのですか?」

「はい、東京で一年お世話になっています。」

「そうでしたか、私も一度 福田会ふくでんかいの施設を訪れたことがあるのですよ。」

ヨアンナは驚き、改めて目を見開いた。

「皆様にとても良くして頂いて、私にとって夢のような日々でした。

 たくさんの方が色々な物をくださったのよ。

 ほら、こうして今でもあの時から大切にしている物があるの。」

そう言って手にした小物バッグから何やら取り出した。

 

 それは長い年月の間にすっかりくたびれてしまった鶴の折り紙だった。

 それを目にしたとき、敏郎は忘れていた昔の記憶を呼び覚ました。

「その折り鶴、見覚えがある!そう、もしかして私が作った物?」

「ええ?私は年上の日本のお兄様からいただいたの!

 もしかして貴方はあの時の日本の親切で優しかったお兄様?」

「そう言われるとお恥ずかしい!

 ああ、貴女あなたはあの時のお人形さんのように可愛かった幼い女の子のひとりだったのですね?」

「そうおっしゃられると、私の方こそ顔から火が出そうなほど恥ずかしく思います。

こんな奇跡のような偶然って本当にあるのですね!

とても嬉しいです。」

「私もそう思います!

 まさかあの時作った折り鶴を、今でもこんなに大切に持っていてくれた方がいたなんて!

 しかもそれが貴女あなただったなんて!!

 何という、何という・・・」

 驚きと喜びで敏郎は言葉に詰まった。

 しばし無言で橋の真ん中から川の流れに目をやりながら、彼女の悲劇のドラマのような人生に思いをはせ、

「貴女は生まれてからずっと、茨のような苦難の道を歩まれてきたのですね。

貴女にとって日本に滞在した時間はほんの短いものだったと思うけど、他に何か覚えていますか?」

「短い時間?とんでもない!

 私にとって永遠のような、とてもとても大切な思い出です。

 

 日本の記憶?

 そう、日本の記憶は私の宝物・・・。

 

 私が今生きているのも、希望を捨てないのも、日本で過ごせた記憶があるから。

 確かにポーランドと日本じゃ、環境も様子も全然違います。

 

 帰国して辺りを見渡しても、日本を思いだせるものなんて何もありません。

 でも私にとってどんなに距離が離れていても、変わらない大切なものがこの鶴の他にもあるの。」

「へえ、それは何ですか?」

「それはね、お日様と、お月さまと、お星さま。

 ポーランドに無い習慣で、日本独自の言葉の習慣です。

 

 『お』と『様』をつけて呼ぶのはこの三つ。

 わたくしそれって、ちょっと考えたらおかしいと思うの。

 だって太陽も月も星も天体という、ある意味ただの物体に過ぎないでしょう?

 物に過ぎないのに、『お』や『様』をつけるなんて。

 だって、テーブルや椅子に『お』と『様』をつける?

 欅の木に『お』と『様』をつけて呼ぶ?

 でも日本で暮らすうち、お日様も、お月さまも、お星さまも当たり前のようにそう思いました。

 大切な物やかけがえのない物、愛着のあるものをそう呼ぶのは、感謝の気持ちや親近感や、寄り添う気持ちの表れだと分かったの。

 

 明るい晴れた日を見ては、お日様にその暖かさに感謝し、お月さまを見ては人を想い、お星さまを見ては願うようになったのは、日本でお世話になってから。

 日本のお日様と比べ、こちらの太陽は眩しいけど、何だか低くて暗い感じがするの。

 あまりお日様と呼べるような実感が湧かないんです。

 私、日本でお世話になっているとき、窓の外に映るお月さまを見ては父と母を思い出し、お星さましか見えない夜は願うの。

『どうか父と母が夢に出てきてくれますように』って。

 その習慣は、この地に帰ってきてからも変わらず続けているわ。

 可笑しい?いい歳した娘が、月や星にそんな事思うの。

 

 それともうひとつ日本で見つけたもの、それは思い出。

 とても大切な思い出を日本は私に数え切れないほどくれました。

 日本とポーランドじゃ何もかも違うけど、変わらないのを持ち続けるのは素敵なことだと思っています。

 だから私にとってとても大切な思い出や、あのころからの習慣はかけがえのない宝物なのですよ。」

 橋の欄干から遠くを見据えるように彼女は言った。

 

 それを聞いて敏郎はすぐ隣にいる筈のヨアンナが愛おしく、しかし潜り抜けてきた苦難を理解も実感も想像もできない分、もどかしい距離を感じた。

 

 暫く無言のまま時間が過ぎ、橋の下の凍り付きそうな川の向こうを見つめながら敏郎は言った。

「(日本の思い出を)大切にしてくれてありがとう。

 うん、ありがとう・・・。

 僕は今日、ここで、この橋の上で逢えた時間ときをいつまでも忘れない。

 一生忘れない。

 目の前の美しい景色を忘れない、今感じているこの気持ちを決して忘れない。

 いつまでも。」

 

 ヨアンナも敏郎にまっすぐ向き合い、

「私も。」

 万感を込めた眼で一言そう言った。






       つづく