財務省主計局長 佐藤 鯖江は日銀総裁 相原 権蔵と折り合いが悪い。
と云っても表立って大きな対立や大太刀廻りがあった訳ではない。
お互い畑違いからくる立場や考え方に、埋るのが不可能なほど住む世界が違うから仕方ないのだ。
相原総裁はネット政変後もキャリア組で生き残る数少ない存在であり、有事の際の【影の内閣】から切り離された要職であった。
日銀総裁という立場はネット政変以降権限が大幅に縮小されたが、今も尚、金融市場をコントロールするキーマンとして機能している。
そのため高度な専門知識と洞察力を要求され、公募組の素人集団に決断を任せるには時期尚早と判断されているのだ。
それに加え、日銀総裁という立場は重要なポストな割には、生臭い利権や私利私欲の野心を満たす要素が希薄な役職である。
そういった理由で旧キャリア組の生き残りとして、日銀生え抜きの有能な専門職として、期待の抜擢となった。
それに対し日銀以外の他の政府の部署のキャリアポストは総て公募組。
だが何か問題が起きた際や有事の際には、直ちに後ろに控えている専門知識と経験豊富なアドバイザーである旧キャリア組エリート集団が【影の内閣】を形成し後ろに控えている。
しかもそのメンバーは、利権や野心に汚染されていない純粋専門職畑のキャリアコーチング・スキルを持つ集団でもある。
だから政策が煮詰まった時の非常時の助言は、いつでもできる体制となっているのだ。
そう云う訳で相原日銀総裁と比べ、鯖江主計局長は他の公募組と同様、一般庶民選抜の素人集団に過ぎない。
その鯖江主計局長が所属する財務省を例にとると、大きく本省と外局に別れ、特に鯖江主計局長が所属する本省には、内部部局・施設等機関・地方支部部局に分けられ、更に内部部局に大臣官房・主計局・主税局・関税局・理財局・国際局に細分化される。
当然 鯖江主計局長とは、その中の主計局のトップ。
旧財務省の中では要職中の要職、国家利権が集中する最も汚職や野心が渦巻くポストであったのだ。
だからこそ特別職としてのエリート意識を徹底的に排除した〘庶民出身〙・一般国民目線での常識的判断のできる清貧・公正な人材が期待され、その結果が鯖江主計局長なのである。
佐藤 鯖江主計局長の仕事に於ける信条は、多くの人と接し、注意深く顔色を観察、その人の置かれた状況・本音を探り、その中から世の中がどう動いているのか総合的に判断、経験的な勘を総動員して分析する。
つまり彼女は、パソコンモニターに表示される統計上の数字をあまり信用していないのだ。
もちろんそれらの貴重な資料を無視するわけではないが、それらの分析は部下である他の主計局メンバーに任せ、自らはもっぱら地方の市場巡りや流通事業所などに赴き、生の声を収集し鳥観図法のようなグローバルな観点で世の動きを見定め、足で稼ぐようにしている。
彼女のそうした思考と習慣が≪スーパー激安≫での業績を産み、財務省主計局長に抜擢された理由であった。
それに対し日銀総裁 相原 権蔵は、有能なエリートにありがちな数字主義の権化であり、鯖江主計局長のような足で稼ぐ非効率な情報は、全くの無駄と考える効率主義者であった。
対極を成すふたりだが、国家経営の実務的 要を担う人材であり、金融・財政面の舵取りでその能力を大いに発揮していた。
だが鯖江主計局長は権蔵総裁に対する感想について、いつもの庶民感覚に戻り、カエデに暫し苦情(悪口)を言う。(もちろん直接遭遇する機会が少ないためもあるが、立場が違うし総裁本人に噛みつくなんて事があるはずも無い。)
カエデはこの頃、鯖江の地方視察に同行する機会を得、積極的に彼女のやり方を観察、修行の場としていた。
だから平助のご意見番を務めながら、政治的視野を広げるため、敬愛する鯖江の下で接する機会を意識的に持つようにしている。
そんな鯖江の主な辛辣な評価はこれまで平助にあったが、この頃に至り平助が半分、権蔵が半分になりつつあるとカエデは感じ始めていた。
実は鯖江には信じられないような超常現象とも言える別な特殊能力(超能力)を持っているみたいだ。
その超能力とは、彼女が平助や権蔵の陰口を叩いているその時、何と不思議なことに、その標的の相手は遠く離れた場所にいるというのに、何度もクシャミをするのだ。
他人に噂話や悪口を言われるとクシャミをする?
そんな都市伝説のような冗談が本当に有るのか?
そんな現象にいち早く気づいたカエデは、それを【鯖江さんの呪い】と心の中で命名した。
どうして気づいたのか?
それはカエデが鯖江と一緒に平助や権蔵がテレビ画面に登場した会見発表を見た時、決まって鯖江はいつも辛辣な感想をテレビ画面の相手にぶつける。
「今日の平助さんは、しきりに目を瞬かせて落ち着きがないわねぇ。あれじゃぁ内閣支持率の世論調査で女性票が伸び悩むのも無理ないじゃない?
カエデさん、もっとビシッと尻を引っぱたかないとダメじゃない」だの、
「この相原総裁の顔色ったら、病的なくらい青白いし、どこかヒョトコを連想する威厳の無い顔よねぇ~。」
だの、言うが早いか、いつも画面の向こうで陰口を叩かれた相手は激しく何度もクシャミをしだす。
そんな現象を何度も目撃したら、誰だって鯖江の呪いと思うだろう。
真偽の程は明らかではないが、カエデはそう固く信じ、鯖江に心から畏怖の念を持った。
そんな超常現象の対象にされているとは露知らぬふたり。
特にマスコミにその姿を晒す機会が多い平助は、何でテレビに写っている時に限り、こんなにクシャミが出るのだろう?と悩み始めていた。
この現象が続き、マスコミもこれでは具合が悪いと思ったのだろう。
クシャミの場面は事前に編集でカットされ、国民の前で晒されることはごく稀になったが、深刻な問題に発展しないうちに何とかしなきゃ、と思う平助と真実(?)を知るカエデは深く考えるようになった。
そんなある時、カエデが鯖江に冗談めかして
「鯖江さんが平助のこと噂する時って、いつも平助ってクシャミするのよね。可笑しくて受けるんですけど。」とさりげなく言う。
「そうかしら?もしかして私って超能力者?ナンチャッテね。」と笑って応える。
しかしそう言われると・・・思い当たる節がある鯖江であった。
だがその後どうなったかは誰も知らない。
だってテレビ映る姿は多分編集されているし。
鯖江が辛辣な評価を止めたという兆候も確認できないし。
だって鯖江は人のゴシップやら噂話が大好きな性格だから。
そういう訳で当然 鯖江が超能力者なのかも確認できていない。
一方そんな時、平助は減税をどうするかで悩んでいた。
景気と弱者救済問題と財政健全化の相反する目標を睨み、閣議以外で財務大臣と協議する機会が増えて来た。
だが当の財務大臣は平助たちと同じ庶民出身の素人。
税収や予算に関する実務は鯖江が握っていると考えた方が良い。
仕方なく平助は鯖江に直接財源の捻出を依頼する。
そんなときの平助は≪スーパー激安≫時代に戻って、値引きシールを強請る貧乏青年のようだった。
「ね、佐藤さん。これ値引きしてチョ。ね、ね。」
の乗りで「減税の財源をねん出してチョ。」って手を合わせるのだ。
それも数兆円単位で。
そんなんで良いのかなぁ?
ま、いいか。
そうして早々と補正予算が組まれる国、日本。
そうした背景もあり、平助は赤字財政事態打開の切り札として『プラン・シェア40』をぶち上げた。
これはネットアンケートによる方針ではない。
平助独自のアイデァである。
この平助の発表が、後に国内外に大きな波紋を呼ぶことになった。
つづく