私が宮崎で所属したチームのバックの選手(20代)に、プライドと口は一流と言われてる人がいました。そのプライドは半端でなく、全日本の選手のプレーだって堂々と批判するほどのものです。当然、チーム内でもよく他人のプレーに口をはさみました。しかし、この人のプレーはというと、どう見てもぎこちないのです。オーバーパスはボコッという音たててボールを突き出すし、アンダーパスも時にジャンプし、さらに肩の高さ位まで両手を上げてパスすることもあるのです。
だから、チームの誰も彼の言うことを聞くことはせず、時に衝突もしていました。
でも、試合になるとなぜか彼はサーブポイントを上げたり、ヘンテコリンなパスでサーブカットを成功させるばかりか、考えられないようなプレーでボールをつなぐこともあるので、バックセンターのレギュラーを張っていました。私には、苦手なタイプの人でしたが、当時の監督は彼を使いこなしていたのですね。今になって思えば、監督が素晴らしかったんだと思います。
鹿児島で指導したママさんバレーの選手にアンダーパスの時、組んだ両手を膝の下から頭付近まで大きく振り上げてボールをはじくバックライトの選手がいました。手を振るのは「う~ん・・」ってなるところですが、しかし、この選手はこの方法でサーブカットもチャンスボールも完璧とは言えませんが、セッターにそこそこ返球し、レフトオープンへのトスも上げるんですね。
理由は不明ですが、彼らは、従来の理論とは異なる方法で自らの体力や感覚にマッチしたオリジナリティーなプレーを極めているのですね。そのプレーで通用させているのです。
だったら、いいですよね。 http://sports.blogmura.com/
確かに、基礎や理論に基づくプレーを身につけると、もっとプレーに幅が出てくる感じはするのです。
しかし、その一方で、今まで身につけてきた大事なものを失うことも考えねばなりません。プレーだけでなく、プライド傷ついたり、自らを認めてもらえないという挫折感などが生じたら、バレーそのものからも離れかねないからですね。
オリジナリティーなプレーならそれをより一層磨いたり、場合によっては戦術として使えることもあります。
大人の選手に対しては、相手が教示を求めたり受け入れる雰囲気を有しているときは指導をしますが、無理は禁物ですね。
学生への指導でも、よく考えて信頼関係を築いた後、タイミングや言い方を考えて言う必要がありますし、その前に、直さなくても通用しないかとか、逆にそれを生かせないか?ってことも、考えるようにしています。大人にはそれ以上の配慮をしてやらないとですね。ハートが大事ですから。
アップは嫌いなので、やらないというビーチバレーの選手にも会いました。どうしても幅跳びしてしまうアタッカーに両足で踏み切るBクイックのジャンプからブロードを打たせて成功した(後日紹介する予定です)こともありました。前向きにしかトスを上げる自信のないセッターには前向きでフェイクをかける方法を一緒に考えたこともあります。こういうことで選手はテンションあげ、他の練習にも一生懸命取り組むようになります。認めて生かすことも、手段の一つに入れるといい感じですよ。
以上、「醜いアヒルの子」はバレーの指導にもあるっていう話でした。
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