そんな本があったのは、知っていましたけれど・・・
先日TVで映画「ツレがうつになりまして」を見て、イラストのほのぼのとしているのに興味を引かれ、amazonで注文しました。 ええ、もちろん中古♪ それも「その後の」との2冊(^^)v
いやー 面白かったです!
そうそう・・・
へぇ~ なるほど、そう考えるか・・・
うんうん そうだったよ
これ、うつのドつぼ時期の人が読むのは、共感してしまってダメかもしれませんが、自分がどうも変だとか、欝の周囲の人が読むには、大変よろしい本だと思います。
宇宙かぜ
作者はうつの事を、そう名づけました。
上手いなぁ~
風邪だから、誰がなってもおかしくない。
健康に気を使っている人でも、うつの専門家だってお医者様だって、風邪だからなる可能性はある。
で、風邪は万病の元だから、ほうっておくと大変なことになります。
時期が過ぎればなんとなく治る人もいるけど、下手をすれば肺炎や脳炎になったりして、命にかかわることもある。
まさに 名言! です。
で、私はちょうど風邪を引きやすい時に、もれなくというように風邪を引いちゃったわけですね(^^;;
このあたりは、常人となんら変わりなかったわけで(笑)
ただ、比較的早い時期に「自分 変!」と気がついて、そうなると別段精神内科も気にしない性格で、「病気になったら病院!」と至極当然に思ったし、まだ自分で行ける程度だったのが良かったです。
で、経験上漢方も信頼していたので、漢方か精神内科にするか検討。
仕事も忙しかった時期だし、私生活も多忙だった時期だし、ちょうど通勤途中に漢方専門店があったので、まずはそこを頼ったわけです。
今はなくなってしまったお店ですが、ちゃんとお医者様がいて、話を良く聞いてくれました。
あまり頓着しない私は、仕事のこと家庭のこと、今困っていることなど、要は愚痴とつらさを目いっぱいおっぴろげちゃったわけで(^^;;;;
それを素直に受け止めてもらえた安心感は大きいです。
その後の話ですが、ちょいとしたご縁でメールのやり取りをした人が、「どうもこの方、バックにうつがあるんじゃないかしら?」と思うことがありまして、ご本人もどうにかしたいと思っていることもあって、病院探しをしました。
(もっとも、病院探しするようになるまで一年近くかかりましたけど)
やっとご本人が「これなら通えるかもしれない」と思う病院があり、実際に行ってみたところ
「今までつらかったでしょう? 大丈夫 必ず治りますから、一緒に治しましょうね」
という先生の言葉に、本当に救われたとおっしゃっていました。
つらさをわかってもらえるのが、最初の一歩なんですね。
後で気がついたのですが、実はその先生、大阪の漢方の大家に師事した腕の良い先生だったのですよねー(^^)
ともあれ、私のように更年期というホルモンバランスの崩れる時期のケースでは、漢方は効くこともあるということで。
実はこのお店で、私は人生初の蓄膿症を治したのです。
耳鼻科で「よく気がつきましたね」という初期の状態でしたが、やはり耳鼻科では再発し、思い切って漢方へ。
「ためしに市販のものでやってみましょう。それでダメだったら、調合します」
ということで、市販薬だけで見事に治ってしまったのです。
その実績も買って、うつもお願いしたのですが、さすがに最初から調剤でした(笑)
一日500円しましたが、それで治るものなら安いものだと思いましたし、当時の私の収入なら十分まかなえたのは幸いでした。
2週間ごとに通って状態を話し、それによって調合を変えて・・・
結局1年半かかりましたが、おかげで無事に乗り切ることができました。
ツレうつでもありますが、天候というのは盛大に影響しまして、今でもお日様が足りないと不調になることがあります。
だから冬は苦手。日照時間が短いんですもの。
あと、梅雨時とか台風の時期とか、天候がめまぐるしく変わる時も要注意。
こればかりは気合で!というわけにもいかなくて、なんとも歯がゆいです。
人間って、ソーラーパワーで動いているんだなって、つくづく思います。
それと、遣り残しやスケジュールがたまっても、いけません。
もともと よせばいいのにあれもこれも拾って、自分で背中のかごに集めるタチで、結局自分で荷物を重くしているわけですが、わかっちゃいるけどやめられないのも人間。
それでもだいぶ、「これ以上は拾えない。これ拾ったら歩けない」と、あきらめたり見捨てたりできるようになったのも、うつのおかげだと思っています。
うるさいのはダメ。
うん 私もそうでした。活字はいくら読んでも、頭に入らない。
音楽もTVも、うっとおしくてつらい。
もともとにぎやかなのは苦手なヒトですが、それに輪をかけて精神的に槍の雨。
薬を飲み始めて、少し落ち着きが出てきたあたりから、本が読めるようになり、思い切って出かけた人生初のクラシックリサイタルがターニングポイントでした。
よりにもよって、当代一のヴァイオリニストに当たったんですよねー。
初めてですので、クラシックってそれが当たり前だと思っていたのですが、しわぶき一つない、聴衆が息をつめて聞き入るという経験をしました。
以後 同じような経験は、したことがありません。
ギドン・クレーメル
今では、個人でリサイタルをすることがありませんので、本当に貴重な経験をしたわけです。
コンサート中は曲を聴いていることしかできません。
周囲は、もちろん静かです。
コンサート中の約2時間は、思い煩いからすべて切り離されて、曲に身をゆだねるしかないわけで。
それが、精神的にもお休みになってとても良かったようです。
当時は高給取りでしたので、良い楽隊なら万出しても行きましたねー。
神様って、なんて粋な計らいをするものでしょう。
今では、とてもじゃないけど行けません(爆)
ツレうつで、電車に乗れないというのがありました。
私はそれほどではありませんが、スピードについていけず恐怖感を抱くというのは、同じです。
今でも調子が悪いと、60km/Hがやっとです。
90も越すと、足でブレーキ踏んでいます(笑)
で、体が緊張でガチガチになって、とても疲れます。
頭の中で周囲のスピードについていけず、周囲の世界と乖離してしまうんですね。
そうなると「もし今 前の車が横転したら・・・」とか、よからぬことに妄想をたくましくして、恐怖感だけが募るのです。
「自分はだめな人間だ」とツレさんは思いますが、私はそれがなかった。
何しろ学生を二人抱えて、それを何とかしなくちゃいけないと必死でしたし、主人の会社のこともあり、自分が動かなくてはならないという状況でしたから、それだけは幸いでした。
また常に心配して助けてくれた姑や、我が家の状況を知ってびっくりするほど優遇してくれた当時の勤め先や上司など、一生感謝しても仕切れない助力がありました。 本当に感謝しています。
結局恵まれていることに、気がつけたのも幸いでした。
それに、生まれたてのウサウサずがいましたからね。
損得の一切ない癒しをもたらす命の純粋さは、救いでも頼りどころでもありました。
あけない夜はないと言います。
結局ツレさんも、一皮剥けて、気がおおらかになって治っていくのですが、そこに至るまでは希望が持てない気がして、後先捨てて一歩踏み出せばすべて終わって楽になれるという一線を常に抱えて、つらいものです。
そう、インフルエンザになって高熱と体の痛みにウンウン言っている時に、「もう風邪なんかいやだ! 早くこの痛いの苦しいの何とかして!」と思うのと同じです。
そして大概は「忙しくても、つらくても、元気なほうがいい」と思うのですが、のどもと過ぎればで、風邪が治ればまたグチグチいうのが人間なのですけれどね(^^;;
でも、あのつらい時期を思うと、「うん まだ大丈夫! がんばれる。あんな時期だって乗り切ったんだから」と自分の励みにもなっています。
それに、プチうつとも上手に付き合えるようになっていて、「これ以上はダメ」とか「これは怪しい。今のうちに薬!」とか、自分である程度はやりくりできるようになりました。
まぁ、ずぼらが増したとも言えますが(爆)
この「割り切ってずぼらが出来る」のも、大事なことなんですよね。
え? いつもずぼらだろうって?
ええ もともとがずぼらで大雑把で無神経なのですが、心の底に神経質で臆病で人の目が気になってというところもあるんですよ。
そうした根っこに隠れたものが、案外自分の中核をなしていたりするんです。
神経質で人の評価に臆病だったり、傷つきやすかったり、傷つくとますます臆病になって手も足も出ない亀さんになってしまう。
こうあらねばならないという自分像を勝手に作り上げて、それと比較して勝手に落ち込んだり無理したり・・・
出来もしない、能力の範囲を超えたものに、ドンキホーテのように突進しようとあがいたり・・・
甘ったれで人に寄りかかっているのが大好きなのに、それじゃダメだと自分を鼓舞したり。
それが表面に出てきたものを、周囲の人は見て「責任感があるのね。頼めばやってくれる。」とか思っちゃうわけでして。
つまり中核をなしているものから派生したものの表面を人は見ているわけです。
表に見えるものと中核との差が大きかったり、正反対だったりすることもあるわけで。
だから昔から「あんたは、見た目とまったく違うんだから!」と、親友たちは言うわけでして、親友たちは盛大に甘やかしてくれます♪♪
こういう大きなギャップを抱えているのも、宇宙かぜになりやすいのかもしれません。
つまり 本来の自分を無理して、自分で思っている「こうあらねばならない」という姿を見せているわけですね。
年をとって、何か出来なくとも「まぁ 年だから」と逃げることが出来る。
人より物覚えが悪かったり、物忘れがひどくても、「まぁ 年だから」と言って済ませる。
いつもできることが、急に出来なくなっても「まぁ 年だから。明日は出来るかも~」と自分に言い聞かせる。
(先日もポストが開けられなくなりました。今日はキーボードのVの字を探しまくりました。)
これもうつを回避するには、良いのかもしれません。
そう思うと、年をとるのも悪くない気がしますよ(笑)
ともあれギャク漫画的に読める「ツレうつ」は、どなたにもお勧めの本ではあります。
先日TVで映画「ツレがうつになりまして」を見て、イラストのほのぼのとしているのに興味を引かれ、amazonで注文しました。 ええ、もちろん中古♪ それも「その後の」との2冊(^^)v
いやー 面白かったです!
そうそう・・・
へぇ~ なるほど、そう考えるか・・・
うんうん そうだったよ
これ、うつのドつぼ時期の人が読むのは、共感してしまってダメかもしれませんが、自分がどうも変だとか、欝の周囲の人が読むには、大変よろしい本だと思います。
宇宙かぜ
作者はうつの事を、そう名づけました。
上手いなぁ~
風邪だから、誰がなってもおかしくない。
健康に気を使っている人でも、うつの専門家だってお医者様だって、風邪だからなる可能性はある。
で、風邪は万病の元だから、ほうっておくと大変なことになります。
時期が過ぎればなんとなく治る人もいるけど、下手をすれば肺炎や脳炎になったりして、命にかかわることもある。
まさに 名言! です。
で、私はちょうど風邪を引きやすい時に、もれなくというように風邪を引いちゃったわけですね(^^;;
このあたりは、常人となんら変わりなかったわけで(笑)
ただ、比較的早い時期に「自分 変!」と気がついて、そうなると別段精神内科も気にしない性格で、「病気になったら病院!」と至極当然に思ったし、まだ自分で行ける程度だったのが良かったです。
で、経験上漢方も信頼していたので、漢方か精神内科にするか検討。
仕事も忙しかった時期だし、私生活も多忙だった時期だし、ちょうど通勤途中に漢方専門店があったので、まずはそこを頼ったわけです。
今はなくなってしまったお店ですが、ちゃんとお医者様がいて、話を良く聞いてくれました。
あまり頓着しない私は、仕事のこと家庭のこと、今困っていることなど、要は愚痴とつらさを目いっぱいおっぴろげちゃったわけで(^^;;;;
それを素直に受け止めてもらえた安心感は大きいです。
その後の話ですが、ちょいとしたご縁でメールのやり取りをした人が、「どうもこの方、バックにうつがあるんじゃないかしら?」と思うことがありまして、ご本人もどうにかしたいと思っていることもあって、病院探しをしました。
(もっとも、病院探しするようになるまで一年近くかかりましたけど)
やっとご本人が「これなら通えるかもしれない」と思う病院があり、実際に行ってみたところ
「今までつらかったでしょう? 大丈夫 必ず治りますから、一緒に治しましょうね」
という先生の言葉に、本当に救われたとおっしゃっていました。
つらさをわかってもらえるのが、最初の一歩なんですね。
後で気がついたのですが、実はその先生、大阪の漢方の大家に師事した腕の良い先生だったのですよねー(^^)
ともあれ、私のように更年期というホルモンバランスの崩れる時期のケースでは、漢方は効くこともあるということで。
実はこのお店で、私は人生初の蓄膿症を治したのです。
耳鼻科で「よく気がつきましたね」という初期の状態でしたが、やはり耳鼻科では再発し、思い切って漢方へ。
「ためしに市販のものでやってみましょう。それでダメだったら、調合します」
ということで、市販薬だけで見事に治ってしまったのです。
その実績も買って、うつもお願いしたのですが、さすがに最初から調剤でした(笑)
一日500円しましたが、それで治るものなら安いものだと思いましたし、当時の私の収入なら十分まかなえたのは幸いでした。
2週間ごとに通って状態を話し、それによって調合を変えて・・・
結局1年半かかりましたが、おかげで無事に乗り切ることができました。
ツレうつでもありますが、天候というのは盛大に影響しまして、今でもお日様が足りないと不調になることがあります。
だから冬は苦手。日照時間が短いんですもの。
あと、梅雨時とか台風の時期とか、天候がめまぐるしく変わる時も要注意。
こればかりは気合で!というわけにもいかなくて、なんとも歯がゆいです。
人間って、ソーラーパワーで動いているんだなって、つくづく思います。
それと、遣り残しやスケジュールがたまっても、いけません。
もともと よせばいいのにあれもこれも拾って、自分で背中のかごに集めるタチで、結局自分で荷物を重くしているわけですが、わかっちゃいるけどやめられないのも人間。
それでもだいぶ、「これ以上は拾えない。これ拾ったら歩けない」と、あきらめたり見捨てたりできるようになったのも、うつのおかげだと思っています。
うるさいのはダメ。
うん 私もそうでした。活字はいくら読んでも、頭に入らない。
音楽もTVも、うっとおしくてつらい。
もともとにぎやかなのは苦手なヒトですが、それに輪をかけて精神的に槍の雨。
薬を飲み始めて、少し落ち着きが出てきたあたりから、本が読めるようになり、思い切って出かけた人生初のクラシックリサイタルがターニングポイントでした。
よりにもよって、当代一のヴァイオリニストに当たったんですよねー。
初めてですので、クラシックってそれが当たり前だと思っていたのですが、しわぶき一つない、聴衆が息をつめて聞き入るという経験をしました。
以後 同じような経験は、したことがありません。
ギドン・クレーメル
今では、個人でリサイタルをすることがありませんので、本当に貴重な経験をしたわけです。
コンサート中は曲を聴いていることしかできません。
周囲は、もちろん静かです。
コンサート中の約2時間は、思い煩いからすべて切り離されて、曲に身をゆだねるしかないわけで。
それが、精神的にもお休みになってとても良かったようです。
当時は高給取りでしたので、良い楽隊なら万出しても行きましたねー。
神様って、なんて粋な計らいをするものでしょう。
今では、とてもじゃないけど行けません(爆)
ツレうつで、電車に乗れないというのがありました。
私はそれほどではありませんが、スピードについていけず恐怖感を抱くというのは、同じです。
今でも調子が悪いと、60km/Hがやっとです。
90も越すと、足でブレーキ踏んでいます(笑)
で、体が緊張でガチガチになって、とても疲れます。
頭の中で周囲のスピードについていけず、周囲の世界と乖離してしまうんですね。
そうなると「もし今 前の車が横転したら・・・」とか、よからぬことに妄想をたくましくして、恐怖感だけが募るのです。
「自分はだめな人間だ」とツレさんは思いますが、私はそれがなかった。
何しろ学生を二人抱えて、それを何とかしなくちゃいけないと必死でしたし、主人の会社のこともあり、自分が動かなくてはならないという状況でしたから、それだけは幸いでした。
また常に心配して助けてくれた姑や、我が家の状況を知ってびっくりするほど優遇してくれた当時の勤め先や上司など、一生感謝しても仕切れない助力がありました。 本当に感謝しています。
結局恵まれていることに、気がつけたのも幸いでした。
それに、生まれたてのウサウサずがいましたからね。
損得の一切ない癒しをもたらす命の純粋さは、救いでも頼りどころでもありました。
あけない夜はないと言います。
結局ツレさんも、一皮剥けて、気がおおらかになって治っていくのですが、そこに至るまでは希望が持てない気がして、後先捨てて一歩踏み出せばすべて終わって楽になれるという一線を常に抱えて、つらいものです。
そう、インフルエンザになって高熱と体の痛みにウンウン言っている時に、「もう風邪なんかいやだ! 早くこの痛いの苦しいの何とかして!」と思うのと同じです。
そして大概は「忙しくても、つらくても、元気なほうがいい」と思うのですが、のどもと過ぎればで、風邪が治ればまたグチグチいうのが人間なのですけれどね(^^;;
でも、あのつらい時期を思うと、「うん まだ大丈夫! がんばれる。あんな時期だって乗り切ったんだから」と自分の励みにもなっています。
それに、プチうつとも上手に付き合えるようになっていて、「これ以上はダメ」とか「これは怪しい。今のうちに薬!」とか、自分である程度はやりくりできるようになりました。
まぁ、ずぼらが増したとも言えますが(爆)
この「割り切ってずぼらが出来る」のも、大事なことなんですよね。
え? いつもずぼらだろうって?
ええ もともとがずぼらで大雑把で無神経なのですが、心の底に神経質で臆病で人の目が気になってというところもあるんですよ。
そうした根っこに隠れたものが、案外自分の中核をなしていたりするんです。
神経質で人の評価に臆病だったり、傷つきやすかったり、傷つくとますます臆病になって手も足も出ない亀さんになってしまう。
こうあらねばならないという自分像を勝手に作り上げて、それと比較して勝手に落ち込んだり無理したり・・・
出来もしない、能力の範囲を超えたものに、ドンキホーテのように突進しようとあがいたり・・・
甘ったれで人に寄りかかっているのが大好きなのに、それじゃダメだと自分を鼓舞したり。
それが表面に出てきたものを、周囲の人は見て「責任感があるのね。頼めばやってくれる。」とか思っちゃうわけでして。
つまり中核をなしているものから派生したものの表面を人は見ているわけです。
表に見えるものと中核との差が大きかったり、正反対だったりすることもあるわけで。
だから昔から「あんたは、見た目とまったく違うんだから!」と、親友たちは言うわけでして、親友たちは盛大に甘やかしてくれます♪♪
こういう大きなギャップを抱えているのも、宇宙かぜになりやすいのかもしれません。
つまり 本来の自分を無理して、自分で思っている「こうあらねばならない」という姿を見せているわけですね。
年をとって、何か出来なくとも「まぁ 年だから」と逃げることが出来る。
人より物覚えが悪かったり、物忘れがひどくても、「まぁ 年だから」と言って済ませる。
いつもできることが、急に出来なくなっても「まぁ 年だから。明日は出来るかも~」と自分に言い聞かせる。
(先日もポストが開けられなくなりました。今日はキーボードのVの字を探しまくりました。)
これもうつを回避するには、良いのかもしれません。
そう思うと、年をとるのも悪くない気がしますよ(笑)
ともあれギャク漫画的に読める「ツレうつ」は、どなたにもお勧めの本ではあります。