世に、阿部首相の「ボク壊れちゃった辞任」(勝手に命名)の嵐が、吹きまくっていますが(笑)
この事象について、今朝のmamekichiセンセのブログ「首相の辞任を巡って」は、親として「なるほどなぁ」と納得のものでした。
こうした基本的お約束事を、しっかり意識すると、子育ても多少分かりやすくなります。
盆栽で言えば、いくら枝振りのすばらしい高価な松を見たからといって、手持ちのサツキ苗を同じように仕立てたとしても、決して同じにはなりません。
松には松の、サツキにはサツキの良さがあり、外から評価されるポイントも違います。
また思うようなところから枝が作れるわけもなく、無理に作ればひねこびたものになります。
ですから、同じような感じにはなっても、松の真髄には迫れず、サツキの花の良さも出ず、無理をすれば枝はポッキリ。下手をすれば、枯れてしまいます。
盆栽と言うものは、その木その木の良い可能性を、丁寧な手入れと環境づくりで健やかに育てることで、おおらかに大成することを目指すものだと思っています。
これは子育てにも言えることです。
親の妄想や願いで子供を育てたら・・・
思うように育たずにイライラするか、外見は思ったとおりだったとしても中身スカスカか。
雨風がない時は良くても、ちょっと強風が吹いたら壊れてしまうか。
もっとも子供も生きていますから、猛烈な反抗を食らったり(笑)
一番困るのは、本人もその資質もないのにその気になって、大人になってからトラぶって挫折した時です。
こうした場合は、修復不可能なダメージが残って、予後不良となることがあります。
それでも自分で歩けるようならいいのですが。
今の世の中、いつどうなるか分かりません。
お仕事にしても、大きな企業だからと胡坐もかいていられません。
突然失速する事もあり得るのです。
永久就職など、夢のまた夢となりました。
日々の糧を得る仕事にしても、生活の質にしても、遊びにしても、昔では考えられないほどの多様さを見せています。
昔ほど、単純でも分かりやすくもないのです。
その分、可能性も増えるけれど、受けるストレスも多いでしょう。
だから、一番大事なのは、その子の持っている本質を見間違わないよう、努力すること。
松には松の良さを、サツキにはサツキの良さを発揮できるよう、日々育つ手伝いをする事。
そして根っこから健康に育てて、多少の病虫害や雨風に倒れない様にする事。
要は、器が「茶碗なのか、皿なのか」「大きいのか、小さいのか」を見極めて、一番活躍できるようにしなくてはいけませんね。
って、それが一番大変で難しく、親もうかうかしていられないのですけれど。
省みて、我が家の子達はどうでしょう?
ちょっと 青くなったりして(^^;;
で、mamekichiセンセのブログにリンクしてあった、内田先生のブログを見て、大笑いしてしまった、かーさんです。
この事象について、今朝のmamekichiセンセのブログ「首相の辞任を巡って」は、親として「なるほどなぁ」と納得のものでした。
こうした基本的お約束事を、しっかり意識すると、子育ても多少分かりやすくなります。
盆栽で言えば、いくら枝振りのすばらしい高価な松を見たからといって、手持ちのサツキ苗を同じように仕立てたとしても、決して同じにはなりません。
松には松の、サツキにはサツキの良さがあり、外から評価されるポイントも違います。
また思うようなところから枝が作れるわけもなく、無理に作ればひねこびたものになります。
ですから、同じような感じにはなっても、松の真髄には迫れず、サツキの花の良さも出ず、無理をすれば枝はポッキリ。下手をすれば、枯れてしまいます。
盆栽と言うものは、その木その木の良い可能性を、丁寧な手入れと環境づくりで健やかに育てることで、おおらかに大成することを目指すものだと思っています。
これは子育てにも言えることです。
親の妄想や願いで子供を育てたら・・・
思うように育たずにイライラするか、外見は思ったとおりだったとしても中身スカスカか。
雨風がない時は良くても、ちょっと強風が吹いたら壊れてしまうか。
もっとも子供も生きていますから、猛烈な反抗を食らったり(笑)
一番困るのは、本人もその資質もないのにその気になって、大人になってからトラぶって挫折した時です。
こうした場合は、修復不可能なダメージが残って、予後不良となることがあります。
それでも自分で歩けるようならいいのですが。
今の世の中、いつどうなるか分かりません。
お仕事にしても、大きな企業だからと胡坐もかいていられません。
突然失速する事もあり得るのです。
永久就職など、夢のまた夢となりました。
日々の糧を得る仕事にしても、生活の質にしても、遊びにしても、昔では考えられないほどの多様さを見せています。
昔ほど、単純でも分かりやすくもないのです。
その分、可能性も増えるけれど、受けるストレスも多いでしょう。
だから、一番大事なのは、その子の持っている本質を見間違わないよう、努力すること。
松には松の良さを、サツキにはサツキの良さを発揮できるよう、日々育つ手伝いをする事。
そして根っこから健康に育てて、多少の病虫害や雨風に倒れない様にする事。
要は、器が「茶碗なのか、皿なのか」「大きいのか、小さいのか」を見極めて、一番活躍できるようにしなくてはいけませんね。
って、それが一番大変で難しく、親もうかうかしていられないのですけれど。
省みて、我が家の子達はどうでしょう?
ちょっと 青くなったりして(^^;;
で、mamekichiセンセのブログにリンクしてあった、内田先生のブログを見て、大笑いしてしまった、かーさんです。
壊れちゃったのはご自分の心体だけじゃなく、足元も?
となれば、「政治資金が明確に説明できない方は、辞めていただく」という公約を、自ら守ったのかな?(笑)
ところで、総裁選レースで、結局最後にニヤッとしているのは、福田康夫さんのようですね。麻生さんは、死んだふりをしていた、福田さんを甘く見たのでしょう。これも内田先生の表現を借りれば、「寝首をかかれた」と、あの苦虫をかみつぶしたような表情の下で、思っているに違いありません。「死んだふり」と「死んでいる」のと、「寝たふり」とは、似て非なるものなり、と再確認です。
しかし、小泉チルドレンという命名も、見事でしたね。今回も、やっていることが、どうしても、子供じみて見えてしまいますから。
もっとも、小説なら本代だけですけど、現実は国費(税金)が・・・
あ、そうか。観劇料払って見ているんだ! って、ちょっと高すぎません?
チーママさんが言うところの「根っこから健康に育てて」と同じ事だと思うのですが、もしかして理解が違いますか?
いいえー(^^) あっていますよ。 いつもいつも子供の良いようにしていては、根っこは強くなりません。盆栽だって、必要な時期に、必要な剪定はしますもの。それで、いよいよ立派になっていくのですね。
私の理不尽のポイントは、幼稚園くらいからは、マジでゲームをする!
遊んでいて、負けてあげるなんてことはしません。
大人気ないといわれようが、世の中なんでも勝てるわけじゃない。
もっとも、ファミコンに始まるゲーム類は、あっという間に息子の方が上手になってしまいましたが(^^;;
それと、小学生いっぱいは、夜8時には「子供の時間はオシマイ。寝なさい」でした。(だって、子供がいつまでも起きていると、疲れるんだもん)
これは今でもうらまれています。学校で皆が話しているTV番組の話題についていかれなかったと。 ま、世の中理不尽も必要という事で(笑)
ところで、1・2号クンは立派に理不尽の薫陶を受けて、たくましく育つでしょうが、3号クンには、どんな理不尽ポイントがあるのかしら?
子育ての結果と言う意味では、二人とも成功+失敗の混ぜご飯。
でも、私が一番うれしいと思っているのは、二人ともまわりの方々に好感を持たれているということ。
私はあまりごちゃごちゃ言うことをしませんでした。
子供の頃、自分がそう言われるのがいやだったからです。
それから、言い訳をするのが一番嫌いです。
まず自分の非を誤ること、そのあと申し開きがあれば聞く。
そこだけは譲りませんでした。
娘にはやや甘かったかもしれませんが…父親と娘の典型的な関係かなあ。
子育てのやり方は家庭の数だけあるでしょうが、私は誉めて育てる、それが基本でした。
そんな中で絶対に直さねばならないような欠点だけを指摘しました。
悪いと思うことをしでかして、それに気づいてない時は、二度とするなと叱りました。
無理を言うこともありましたし、反駁も大きかったこともありました。
今は二人とも大人、息子は結婚が最大の問題ですし、娘は就職が内定して今は修士論文へ全力で取り組んでいるみたいです。
父親としては、ここぞという肝心なときだけに彼らの中に入って行けばいいと思っています。
私も年を重ねたからでしょうね、少しだけ心に余裕が出てきたようです。
親も子供と一緒に成長しますよね。子を持って知る親の恩。と申しますが、孫を持って知る親の恩もあります。
我が家の両親、特に私の父親は、子供好きもあってたいそうウチの子供たちの相手をしてくれました。
実際に孫を持ってみて「良くあれだけ遊んでくれたものだ」と、いまさらながら感嘆しています。
いくつになっても、先人の行動に学ぶものがあります。
私は、親にああしろこうしろと言われた覚えがありません。
もっとも母親ですから、つい口やかましくなる事もありました。
でも子供が成長するにつれ、子供の気が済むまで話を聴きましたが、あれこれ言わないようにしました。
もう自分で考えてやって欲しかったからですし、聞く態勢になっていないと、何を言っても聞く耳持ちませんもの。
困ったり迷ったりして、アドバイスを求めてきたら、一緒に考えると言うスタンスです。
どうせ「ああしなさい。こうしなさい」といったって、そのとおりにするわけがないのは、自分も同じでしたからね(^^;;
褒めて育てるのは、本当に理想です。とても良いことです。本当にだめな事だけ、断固駄目と言う。
これ、動物を育ててみると、良く分かります。すぐに結果が出ますからね。
あいにく、人間の子育ては至らない事だらけだと思うのですが、ウサギはそのように育てて、とても良い子に育ちましたよ(笑)