夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

峻厳にして『公正なる愛』は善人にも悪人にも何れにも太陽が光りを注ぎかけるが如くでなければならない。

2018年01月06日 14時26分42秒 | コラム・人文
今日1月7日は久留米の創紀1900年の『大善寺玉垂宮』で日本三大火祭りであり、

1600年の歴史がある国の重要文化財でもある追儺祭の鬼夜(おによ)が行われます。

仁徳天皇56年(368)1月7日に勅命をうけた藤大臣(とうのおとど)が

肥前の賊徒(水上の桜桃沈輪)の首を討ち取り、筑紫を平定したのが始まりです。

奈良の薬師寺の旧日記に残されています。

三韓出兵に大功があった藤大臣が此の久留米で没しました。

祭神は玉垂宮命(藤大臣・・・高良大神ともいいます)、住吉大神、八幡大神

私も駆けつけたかったのですが!

私の尊い恩人である龍宮住吉本宮に参拝に行きました。

是で五社のお参りがすみました。

穏やかな良い天気に恵まれました。

今年中に後六社(香椎宮、筥崎宮、名島弁財天、宮地嶽神社、大善寺玉垂宮、日佐住吉神社)参拝の目標です。

殆どが『古事記の仲哀紀』に登場する神功皇后(香椎大神)と御縁があり、又祀られている神社です。


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峻厳なる叡智に導かれる愛

峻厳にして公正なる愛は善人にも悪人にも何れにも太陽が光りを注ぎかけるが如くでなければならない。

一方において他の人に対して喜んで自分自身を与え切ながら、

而も、他方に於いては、自己を断乎として守って自己を滅却して

他の人に仕えることを厳然として拒否するのである。

イエスキリストは断乎としてパリサイの徒と戦ったし、

縄の鞭をもって不浄なる商売的な徒を神聖なる境内より駆逐したのである。

『何人も我より命を奪うことを得ず、我は我自ら命を捨つるなり、我は命を捨つる力を有し、復た再び命を得る力を有す』と。

イエスキリストは自ら万人の罪悪意識を贖わんがために十字架に往いたのである。