夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
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怨念の行方

2018年01月30日 21時14分04秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
冬野菜はこの厳しい冷え込みにも

伸び伸びと生長しています。




表面に現われた悪心よりも、

心の内に在る『悪心』はなかなか捨て去ることが困難である。

それは、『悪心』は実在しているという観念からである。

『悪心』は、本当は存在しないのであるから

捨て去ることが出来るのである。


『心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る』

マタイによる福音書5.8

怨念の行方


怨念の行方は怨念をうけるべき条件に値する対象が存在する時は

その対象に憑依するが、しかしその怨念をうけるべきものが存在しない時には

その怨念は怨念を送り出したその人自身に憑依する。



利己的行為は自己犠牲によってのみ相殺することが出来る。



愛とは煩悩が解脱して

おのづからひらけゆくものである。

私的な愛欲の遠離であり、

釈迦出家の心であり個我の執着の断滅である。

性愛は人を呪詛にみちびくが

愛は人に平安と祝福とを与える。

愛は利己的な執着から脱却して

衆生に平等に慈悲の涙をそそぎかける。