夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

『愛は心の仕事である』・・・外見の美しさより、心の清明さが『死後』高く上げられる。

2018年01月31日 22時58分56秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
島原の子守歌の情景が島原鉄道の列車に描かれています。

『島原鉄道の重役でもあった宮﨑 康平が

妻と離れて我が子を背負い歌った切ない子守り歌です。

以前島原の自宅で一度仕事のことでお会いしたことがあります。

おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の
梨の木 育ちよ・・・・・


神学や教条、教義を信用することは頭の仕事であるが、
『愛は心の仕事である』。



此の世でその仲間の者たちから卑しい人物思われていた人達に、

かえって外見を美しく見せて内の心を汚している人達よりも、

純潔で『聖いたましい』の人達があるものです。

思想や感情の動きや、心に思い浮かべられた想像によって

人は審判(さば)かれるのです。

このようにして造りあげられた人格は『たましいが脱した死後』に

その性格は露出して隠すことが出来ないようになります。

霊界に行って、急に人格が変化するものではありません。

人々は此処に来ても現世と同じ人格なのです。

人々は肉体が滅びた時に立っていた其の地点から出発するのです。

より善くなろうと努力しない限り同じ地点にとどまるのです。

そのことから税金とりや、遊女は天国へ上げられ、学者やモーセの律法を

厳格に守っているパリサイの徒はその光栄から投げ出されたりするのです。

神学や教条、教義を『信用』することから

『信仰』にまで進まなければならない。

そして信じ仰いでキリストの生活を模倣するとき、

吾らは初めてキリストの信者たるの名に相応しきものを得るのである。