夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

先祖供養祭・・・霊魂の浄化。其の一

2018年01月16日 21時09分02秒 | コラム・人文
もう直ぐ一年の中で一番寒い『大寒』ですが、

今日の先祖供養祭は温かい日に恵まれました。

今年初めての地区の先祖供養祭でした。

神道様式の供養祭です。

毎月例祭日を定めて行われています。


江戸時代に『寺請制(檀家制度)』が設けられた影響で仏教様式の葬儀がひろがりました。

その影響で皆さんは神道様式のお葬式、先祖の供養は馴染みが薄いのではないかと思います。


生まれてこぬさきも生まれて住める世も

死にても神のふところのうち

人は死に遭遇して悲しみに沈む。

                    橘 三喜 神道四品縁起

仏教では引導を渡す色々な唱えごとや所作がある。

神道でも鎌倉時代以後、信仰心に根ざし生死を見極めた歌も少なくない、

それが神道引導歌という形で生まれて来たのは、江戸時代中期、

『神葬祭』というものが段々形を整えるに至ったことに伴ったものである。

死んだものはどこへ行くのであろうか。

死者の魂の行方を思うものに対して、過去も現在も未来も、

これを生んでくれた祖神のふところを離れるものではない道理をわかり易く説いたものである。

『生まれてこぬさき』は現世『死にても』は未来のことで

そのいづれもが自分を生んでくれた祖神のふところに(御心)をはなれぬものであることをいったものである。

神道の生みの信仰、産霊(むすび)の信仰が明瞭に言い現わされている。

氏神信仰に於いて『氏神に出たものは氏神に帰る』と説くことも同じ道理である。

何故なら氏神も祖神であり、祖神の現われでないものはないからである。

             


先祖の魂は子孫に伝わる

我が身生まれてあるは、

即ち是れ、先祖の身分れたる故なり

                  林羅山 神道伝授

自分は先祖の分身(心)であるといえる。

祖孫一体、氏神と氏子とは一体であるという信仰が、

神道では明瞭である所以である。




父母はわが家の神、

わが神と

心をつくしていつけ人の子

                     本居宣長・玉鉾百首

わが家の今日あるのは、その初め、父母が私共を生んでくれたお陰による。

その意味で実際の人生に於いては、自分を生んでくれた父母を、

最も身近なわが家の守り神として大切にすべきである。

更にその祖父、高祖父、曾祖父とさかのぼっていけば、

遠い神を大切にするのはよいが、

現実の最も身近な父母を我が家の守り神として大切にすることが、

神まつりの第一歩であることを教えたものである。


先祖供養は今、此処に私達が神様(祖神)・仏様(先祖)に生かされていることに対して

(祝詞・経典・真理の言葉等)を捧げて無条件で感謝することであります。

お蔭を得る為の先祖供養ではありませぬ。


『注』
      神葬祭・・・佛教の葬儀にあたる。













最新の画像もっと見る

コメントを投稿