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夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

  神癒治療(メタフィジカルヒーリング)・・・ 日時計主義と礼拝主義

2015年12月14日 19時17分49秒 | 真理の言葉
神癒治療(メタフィジカルヒーリング)・・・ 日時計主義と礼拝主義

半日、年休をとり奥様の定期診療にいきました。
担当医からもう三年もなり、異常もありませんから、今度は三ヶ月に一度でよいですよ言われ、
そうしたら『今度は温かくなる三月になるわ』と言い喜んでいました。
三年前に癌の宣告を受け、執刀医の先生も驚く手術の大成功と抗癌剤の治療もうけないで済みました。
これまで妻の日々の精進の姿を見て来ました。
妻は俳句が好きであり、其の俳句も幼子のように明るい、生き生きとした俳句であります。
沢山の家族の家事の合間に毎日明るい俳句の創作と二時間半程のお経の読誦を続けています。
その精進の姿には頭が下がる思いです。



神癒治療(メタフィジカルヒーリング)をなすにはまず神に祈れ。
今日の運命はわれわれにとってはすでに決定したものでありますが、
神の前にはなお修正の余地のあるものであります。
いわんやわれら自身にとって未決定なるわれわれの将来の運命が、
われわれの祈りによる神への結びつきによっていかに改善良化されるかは論をまたないのであります。

                

日時計主義と礼拝主義

われわれは、輝く太陽の日のみ記憶する日時計のようになろうではないか。
悲しみをいつまでもいつまでも心にためて置いてなんの得るところがあろう。
損失をいつまでも思い出してなんの利益するところがあろう。
失敗をいつまでも後悔して意気阻喪しても世の中は益されはしないであろう。
すべてこれらは人生の出来事のカスである。カスにいつまでも執着するな。盗人を追い出すようにカスを心の外へ捨てよ。われわれの心はカスよりも高貴なものだということを知らねばならぬ。
他人の悪を心に記憶せず、言葉にも表現しないで、相手の本質を神として拝むのである。












12月13日(日)のつぶやき

2015年12月14日 04時49分25秒 | コラム・人文

罪あらば我を咎めよ

2015年12月13日 20時46分35秒 | 真理の言葉
罪あらば我を咎めよ天つ神
       民は我が身の生みし子なれば

         明治天皇御製

大逆事件で幸徳以下二十数名の者が罪が決定して、いよいよ処刑という時、
時の桂首相が、其の案を携えて閣下に伏奏し、御裁下を願う事になって、
陛下の御前に出て事の由を申し上げ『どうぞ御裁下を』と乞いますと、
陛下は何も仰せがなく、重ねてどうぞ御裁下を願ったとき
陛下は唯一言『朕が悪い』と仰られたきりだそうです。






下座を行じる

人の上にならずに下にいること。仕事でも下の仕事をさせてもらうことである。
便所掃除ををさせていただくのも、世の中の人がそれを下の仕事としているからで、一灯園の生活は何も便所掃除にのみ限られていない。此の所から出発するとあぶなくないのです。
根本をこの下座に据える時、どんな高いことをあづけられてもゆるがぬのは確かです。
最下座は、実は最高権威です。
最下座して自然(じねん)に帰り、自分の罪を懺悔して熱禱をこめると、頑固な童といえども、動かないということはありません。
労働は祈禱なり、祈禱は労働なり(お互いに祈り合いの労働)

      西田天香



休日は奥方様の買い物のお手伝いと、お風呂の掃除でした。
爽やかなお天気に恵まれ、久しぶりゆっくり過ごしました。



自分が変われば相手が変わる・・・拝む心は大きな力、無限力、神様、仏様の力が顕れてきます

2015年12月12日 20時41分56秒 | 真理の言葉
東京に居る次男から夜電話がありました。チョトした災難に遭いながらも元気な声でした。
今年も正月に帰省して佐世保のハウステンボスに十一人の兄弟、姪っ子、甥っ子親族を招待して、
私たち家族にも食事会を開くことで気合十分なようであります。
今年は私が菜食(精進料理)を始めた事で、少々ややこしく感じているようであります。
沢山さんの姪っ子、甥っ子も皆それを期待して、喜んで各地から集まります。
毎年気前が良い次男であります。







自分が変われば相手が変わる


ある娘さんが街の目抜き通りで店を経営していましたが、その娘さんのお父さんがその日の売り上げを全部取りにやって来るのだそうです。
そのお父さんは二十年前からアルコール中毒なのだという。
田舎で農業しているので現金がなく、おどして取りに来る。ですからその娘さんは悲嘆にくれている。
娘さんが先生に相談にやって来て、先生からあんたお父さんが好きか嫌いかと尋ねられ、
娘さんは、そんな毎日お金を取りに来るお父さんは大嫌いです。
『嫌いなあんたが変わるんだ』
『至道無難。唯嫌揀擇(しどうぶなん。ゆいけんけんじゃく)』という言葉があります。禅の悟りに至る道で『好き嫌い』が一番いけないことを順々に説明をうけ。
まずあなたが好き嫌いを解決して、まず自分自身が変わることが必要であることを教えられ。

そして娘さんが嫌いなことがいけないと解り。
お父さんが嫌いだったら、お父さん好きになりなさい
『お父さん大好きだ』『お父さん大好きだ』
これが、あなた自身が変わることです。
あなたが帰る二時間の間に
『わたしはお父さん大好き』『わたしはお父さん大好き』『わたしはお父さん大好き』と念じつづけなさい。
その娘さんが帰る電車の中で『わたしはお父さん大好き』と言い続けて帰られたそうであります。
すると子供の頃オムツを替えてくれた姿、お風呂に入れてくれた姿、背中に負んぶしてくれた姿などが思い出されました。
すると止めども無く涙が溢れ出し、
こんな涙が出たのは初めてでした。電車の中で感謝しつづけてずっと泣きながら帰りました。
あれほど泣いたことはありません。
何ともいえない朗らかな安らかな爽やかな心になりました。
すると帰ったその日はお金を取りにこない、次の日も来ない、とうとう数日経っても来ない。
心配になって従業員に店を頼んで、自転車で父母のところに帰るとお母さんが出てきたのでお父さんは如何にいるのと聞くと、『お父さんは田んぼで働いているよ』
裏の田んぼに飛んで行くと、ニコニコして働いている。
『おう、おまえか』
あのアル中の震える姿が消えてしまっている。
『わしは、近頃、酒が全然欲しくないんだ』
元気な姿を見て、安心して家に帰るとお母さんが
『不思議だな、全然酒を飲まなくなった』


全てのものを礼拝し、拝む心は想像した以上の大きな力、無限力、神様、仏様の力が顕れてきます。






艶々した明るい笑顔の友人

2015年12月11日 20時37分15秒 | コラム・人文
艶々した明るい笑顔の友人

病院の勤務を終え、玄関を一歩外に出ると、明日から土曜、日曜と二日間休日であると思うと体全身の力が解けてホットする瞬間であります。
スーパーで同級生と合い、艶々した明るい表情で俺今、土方に行っていると言いました。
私などは年中ビルの中の仕事なので、明るい日の当たる処に居るだけで、疲れてしてしまうのに、君はこの齢で、土方が出来る事は素晴らしいと言いました。
するとニッコリ笑ってじゃまたねと言い、去って行きました。
この同級生は折に付け、私に親しみを持って声をかけてくれます。
中学生の頃は同じ学生服を着て、皆同じように思い、同じような感情を持っていましたが
年を重ねる毎に、それぞれ行く先も運命も違ってきます。
しかし同級生は不思議にも、同じ学生服を着て居た当時と同じ親しみの感情を持ち続けています。
やはり青春の一ページは生き生きとした生命が永遠に続くものなのでしょうか。
帰宅すると今日は元気ですねと言われました。






わが生涯に最もなくてならぬものは吾々をして自分の中にあるところの力を完全にひきだしてくれるところの誰かである。
この役目は友達がしてくれるのである。
よき友と席を同じゅうするとき、吾々は容易に偉大となるのである。
よき友は吾々の中に宿るところの美徳をひきだしてくれる偉大な磁石の働きをしてくれるのである。
どんなにか良き友は吾々自身の中にある宝庫の扉を豊かにひらいてくれることであろう。
別に、何を、その友に自分が尋ねるのでもない。何を了解したというのでもない。
一言半句も言葉はいらないのである。ただ一緒にいるだけで互いの魂が開くのである。
かくの如き友こそ本当の交わりであるのである。
真の友達はわが内在の可能性を二倍にし彼の力を自分に付加してくれ、
自分に対してほとんど不可能とも見えるものを可能ならしめてくれるのである。

      ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)





愛の光を照らすために生まれてきました

2015年12月10日 20時08分34秒 | 真理の言葉
愛の光を照らすために生まれてきました

時折強い雨の中、友人から私が帰宅するのを見計らって、お歳暮を届けて頂きました。
有り難いことです。
人類は皆、この様に人、世の中、自然界に光を与え、喜ばすように生まれ来たと云われています。

あなた達にとって、なによりも大切なことは肉体の健康でもなければ、物質的な富の豊富ということでもないのである。
あなた達、人間にとって最高必須のものは、あなた達自身の生命の本源にさかのぼって『本当の自分』を知り、
その『本当の自分』が神そのものであり、わたし(神)があなたに宿っているのであり、わたし(神)はあなたの肉体という媒体を通して自己顕現しつつあるのだということを自覚することなのである。


あなたが人に光を与え救いたい“愛”の念願を起こすときわたし(神)は“愛”であり、
わたし(神)はまた常にあなたに宿っているのであるから、その“愛”が顕在となるのである。
あなたを通してわたし(神)が人を救うのである。
そのためには“愛”を深く起こさなければならない。
わたし(神)は“愛”であるからである。
そしてわたし(神)のはたらきを素直に受けてあらわすために“信”がふかくなければならない。
『愛と信仰』とがあなたがわたし(神)の道具となって人を救うための唯一の道である。






人間の生命は広大無辺な宇宙の大きさを小さな肉体に縮小したような物である。

人間はこの広大無辺な宇宙に光明燦然と愛の光を照らすために誕生したのである。






自分の個性は何処から来て、これから何処に行くのであろうか。

2015年12月09日 20時18分49秒 | 真理の言葉
自分の個性は何処から来て、これから何処に行くのであろうか。

座談会で、子育ても終わり、仕事も無事終え、奉仕の仕事もひと段落した今日、ふと、自分は何処から来て、これから何処に行くのであろうか。自分本来の個性は何だったのだろうかとつぶやかれました。

私たちはこうして、次々に生まれ生まれ続けていますが、一体どこから生まれてきたのかという原始についてはわからないのですし、次々に死に死に死に代わってゆくのですが、しかも一体どこに死んでゆくかという終極については理解していないのです。
三次元の世界で説明しますと、自分の生命(個性)は無量無辺百千万億那由侘劫より永遠無窮生き通しであります。




時間は心とともに始まる。空間も心の中にある。因果関係は時間なしには成立しない。
継起という観念がなければ因果関係という観念もあり得ない。
従って時間、空間、因果関係は心の中にある。人間の霊的本体は心を超えて形のないものだから、時間を超え、空間を超え、因果関係を超えているとすれば、それは無限でなければならぬ。
そうして、われわれの哲学における最高の思弁が現れる。無限なるものは二つあることはできない。
もし魂が無限だとすれば、ただ一つ魂があり得るだけである。
したがって、本当の人間は一人で無限大で、偏在する霊である。そして見かけ上の人間は本当の人間の限定物に過ぎない。
大無量寿経に『彼の仏如来は去って去る処なく、来たって来るところなく、生なく滅なく過現未来に非ず』
この真理が理解できれば、『西方十万億土にある極楽浄土』また『西方十万億土にある彼方極楽浄土』の問題も時間空間も結局存在しないのであるから、
すべての因果関係、極楽浄土等は今の心の中にある。




地獄も極楽も我が心の中に在る。

我が内に神が此処に、そして天国が今此処にある。

お前は何を求めているのだ!
私は永遠を求めているのだ。
どこにも永遠を求めることは要らない。お前が永遠そのものだ。
自分自身が永遠者である。



ストレスについて考える・・・・・ストレスを解消して明るい生活へ

2015年12月08日 16時03分30秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
ストレスについて考える・・・・・ストレスを解消して明るい生活へ

ストレスの中でも普段の現在意識で認識していない心の歪みについて考察してみたいと思います。


ストレスは自然環境、社会文化、心の葛藤、緊張等多様な原因でなります。
ストレスが生物学的に、自律神経、神経内分泌、内臓、循環器等に影響を与え分泌物のバランスが崩れ体調不良になったりします。
特に各々の器官は気質的変化がなく、異常が無いのにも関わらず。胃が痛んだり、心が動揺し、不安定になったり、各器官に特異な症状を起こします。
昔から病は気から生じると云われたりしていますが。
ストレスが蓄積し、ある症状を起こして、その症状が癒されてから後にストレスの原因が解ったりします。
ストレスが認識出来ず、長期間内在すると重大な結果を招くことにもなります。




ストレスを如何にすれば解消出来るのでしょうか。
人間は普段の生活の中で、怒ったり、憎んだり、悲しんだり、落ち込んだり、罪の意識の様な負の感情はその瞬間は記憶していますが暫くすると忘れ去られ潜在意識の底に蓄積されます。
また瞬間的にある人に悪感情を起こした場合も同じであります。

日本神道では禊祓い、キリスト教では密室で懺悔をすることによって悔改めをする。佛教では六波羅蜜を行じることによって彼岸に至る。
色々な道がありますが。
要するに人間の『本当の姿(実相)』、または仏の慈悲、神の愛を現せば全ての負の遺産である罪等の悪感情を捨て去ることが出来るのであります。

自分の憎み、悲しみ、色々な悪感情等を其のまま、有るがままの言葉で清浄な紙に書き表して、
誰にも見られないように焙烙等で焼却するとストレスを解消して、心が浄化されます。
出来ればこの時 仏。神を勧請して、お経を読誦されるとなお宜しい。
これは自分自身の心の悩み、ストレス等を自分で清めることになります。




また普段から明るい心、明るい言葉で、人を讃嘆し、全てのものに感謝しているとストレスが自然に解消します。
これはその人に人間の本当の姿である、慈愛深い仏、愛深い神が顕れるからであります。




瞑想の実習・・・・・満たされた世界への誘い (真理を全心身をもって体得するために)

2015年12月07日 20時41分10秒 | 真理の言葉
瞑想の実習・・・・・満たされた世界への誘い

先週土曜日は長崎市まで出講に行きました。
講和の内容は
①困難は困難に非ず・・・・・困難と見えているようなものは実は本当は困難では無いのであります。
全ての困難は吾が魂を鍛え上げる鍵である。吾が魂を磨くやすりである。
吾が魂が鍛えられ光輝燦然と輝く様になった時、そのような困難は消えてしまいのである。


②簡単な瞑想(神想観)の実習・・・・・真理を全心身をもって体得するために
簡単に説明しました。
磁石の磁気は南北に流れていますが、人間の生命磁気(プラナ)は天地に流れます。
そのため姿勢を天と地を貫くように真っ直ぐ座るためにお尻の会陰部に重心が落ちるよう座ります。
簡単に言いますと普通の日本の正座のように座ります。ただ左足を右足の上に、両膝をふた握りかみ握り開き座ります。
頭は後頭部を天から吊るされた様に高く真っ直ぐにする。
顔の前で出来るだけ顔に近づけ金剛合掌します。
プラナが手のひら、口から出る息、眉間から出ますからそのプラナを一箇所に集め生命磁気を高めます。
手のひらはよく『手当て』と云う言葉ありますよう生命磁気(プラナ)が手のひらから出て自然に癒す力があります。
呼吸は沈下丹田の言葉のように。息を下腹に溜め、丁度唇の僅かな隙間から静かに静かに自然に息が出るように、吐くようにします。
そして息が苦しくなる前に再び静かに息を吸います。
心は何も思わない無想無念ではいけません。これは行き先のない電車の様なものです。
必ず神様のお守りにより、神様の御心を念じないといけません。
釈迦、弘法大師、イエスの祈りと同じであります。
この瞑想は仏(例えば普賢菩薩)神と一体となる行事であります。




阿字観、座禅、念仏三昧、天台止観、イエスの祈り、と色々と瞑想の方法があります。
あまり難しく考えないで気楽に神様(天国の世界)、仏様(極楽世界)、又は御自分の明るい希望等を僅かな時間を使い、
目を瞑り、今此処に五分でも十分でも瞑想されたら良いでしょう。
必ず貴方の心が神の御心の如く明るく、豊かで、健やかに、満たされた世界が伸びやかに広がるでしょう。