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昔の寺や神社は、火事などにあったのち数十年後再建が多い

2025-02-13 00:00:00 | エッセイ
私は、文化財廻りをメインに旅行しています。神社仏閣によく行きます。
指定文化財がある所には、国、都道府県、市町村が設けた案内版がある。
その指定文化財がない所も多いのですが、寺社の由緒書きがあります。
参考になるので読みます。辿って来た歴史などがわかるのでいいです。

案内板の記述で、気付いた事があります。中世から江戸時代に特にですが。
戦乱や天災もそうですけど、火事で焼けて、後に再建の記述についてです。
数十年後に再建なる、この記述を多く目にします。少し考えてみると。
それは当時は生活が苦しい、戦国時代だったら何が起こるかしれない。
檀家も銭がない。浄財集めも出来にくい。今と違って寄付なんて夢ごと。
でも、その地域の人々は再建を願う。時間がかかる、数十年となったり。

言いたいのは、こうです。寺社の全焼とかを20代頃に見ていた若者が。
数十年後に、前にあんな事があった、われわれが元気なうちに再建しようと。
それで、長老に教えを受けて何とかやってのける、これが多いのではと思う。

当時は平均寿命が短かったので、40代頃から上の人達は、再建を諦めたり。
それで言うと、30代頃の人達も、何とかしたいけど歳も歳、若者にたくす。
当時、20代位の人達が数十年後に大働きをした。長老から知恵を授かって。
その地域の寺社はとても大切です。昔は、若者が自分達の代で何とかしようと。
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寒い最中に、足利旅行

2025-02-12 00:00:00 | エッセイ
寒いなんか言ってられない、還暦前の駆け込み旅行である。(令和7年2月7日~9日)
3月末で還暦。まったくもって実感なし。まだ50歳位のつもりでいる。
馬齢を重ねるを地でいっています。まさに体現しております。ある意味貴重。

これからは、せせこましい旅が出来なくなっていきます。急げである。
ニイタカヤマノボレの精神で、全自治体文化財廻りにあたる所存。
冬は東京からは、3連休だと関東平野が狙い目。風強くても好天多し。
今回の足利も、雪はパラパラ舞う程度、積もらない地と言っていた。
鑁阿寺門前のそば屋は、ぎょぎょ、高過ぎた。まあ、それはそれ。
天然記念物は、見ごたえがありましたぞ・・・・

市場の大ケヤキ   太田市市場町     市天   大ケヤキ
山藤家       足利市小俣町     市天   黒マツ
五尊教会         、、      市天   タブノキ
鶏足寺          、、      市天   サルスベリ
無量院          葉鹿町     市天   カヤ
篠生神社         、、      市天   社叢
正蓮寺          粟谷町     市天   カヤ・コウヤマキ  
松田神社         松田町     市天   スギ
日光神社         名草中町    市天   スギ
臥竜院          名草上町    市天   サクラ
樺崎八幡宮        樺崎町     市天   スギ
助戸阿弥陀堂       久松町     市天   マツ
鑁阿寺          家富町     県天   イチョウ
けやき小学校       柳原町     市天   ケヤキ
八雲神社         通       市天   イチョウ


次回は2月末の3連休で、三重は伊賀市、名張市をめぐって来ます。
雪が降らなければいいです。現地は「伊賀の底冷え」で有名だそうです。
3月以降は還暦退職するので、第二の旅行黄金時代となります。
  
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話し言葉で考えると、書き言葉で考える

2025-02-11 00:00:00 | エッセイ
私達は、普段は話し言葉で考えています。感じる、思うもそうです。
これが文章となると、書き言葉で書くだけでなく、話し言葉でも書ける。
ますます、これからネットが盛んになっていくので、話し文が増える。
感覚の時代が進むのでしょうか、感性の感じるままにと。そこで、です。

日本は中国の影響で、昔は漢文が主流でした。日本語と文法が違う。
そこで、返し点で読む順番を変え、送り仮名を横に書いて日本流に繋げた。
漢文は漢字だけなので、当時は一部の人しか読めなかった。で考えた。
漢字を略して、ひらがな、カタカナと言う2種類の表記方法を作る。
これで日本人の、感じる、思う、考える、の流れが直線として出来るように。

言葉は、考える順に並んでいるのでしょう。中国語は中国人の考える順に。
漢文もそうです。日本人はこの2種類の表記で日本人たりえていったのか。
すばらしい事だと思います。思い考えている順で、書くのが出来るのです。

明治以降、それでも硬いので文語体から口語体へと変わって行きました。
戦後は、その自由度が増えました。平成、令和とますます日本語は変わる。
今は話し言葉が、そのまま文章になる時代です。昔の人には思いもよらない。

私は、少し立ち止まってみたくなります。昔の人は書き言葉で考えもした。
今は、話したいように書く、話したかのように書く、話し言葉で書ける。
それもいいのですが、でも、書き言葉で考えることも大事だと思う。
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高齢になると、男性女性ともに髪の毛の手入れが

2025-02-10 00:00:00 | エッセイ
これは、どこの国でも、どの時代でも、誰でも、そうなりやすいみたい。
なんかボサボサの人が、増えて来る感じがします。どうしてでしょう。
だんだんと、外見にこだわらなくなるからでしょうか、内面の変化が元か。

もちろんのこと、年輪を重ねて綺麗なままの人も大勢います。
まるで後光がさす様な方もいる。男性のイブシ銀は、年配だからこそ。
そう言う方達は、鏡を見るのが好きでしょう。意識が先まで届いている。

たいがいの人は、感覚がいつのまにか鈍って来るのかも。自覚ないままに。
髪だけではないです、化粧も服装選びも、身のつくろいの移ろいが来る。
それは、やはりどうしても来る、普通の自然な流れとして、それは。

なかには、流れに負けじと、いつまでも歳を感じさせない人がいます。
その方達は、髪の毛の手入れが、まず違う。これは基本のキかと思う。
美しく歳を取りたい、容姿を整えましょう、髪の毛をいたわりましょう。
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幸せって、それって免疫?

2025-02-09 00:00:00 | エッセイ
体は免疫で守られている、心も免疫で守られているのではないかと。
元気な体の人は免疫が正常に働いていて、日常を普通に送れています。
何らかの原因でバリアが効かなくなると、体のあちこちに来ます。
風邪で熱が出るのは、免疫が戦っている証拠、それはもう大活躍です。

心の健康はどうでしょうか? 免疫で守る事は出来るのでしょうか?
それに代わる何かで心の安定を維持しようと、みんなしています。

幸せな人は、幸せと言うだけで免疫があり、守られている感じがする。
不幸せな人は、不幸せと言うだけで、免疫がなくて守られていない感じが。

世間には、たまたま今は不幸せな人は大勢います。前と後はわからない。
その人たちは免疫をつけましょう。小さな事から跳ね返しましょう。
だんだんと元気に、そして幸せになって行くと、大きな事も跳ね返せる。
心の免疫です。幸せを追い求める事がすべてではなくても、免疫になる。
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心の裸眼を、持ち続けている画家たち

2025-02-08 00:00:00 | エッセイ
ぱっと一目見ただけで、すべてを見抜いてしまう。慧眼と言うか裸眼か。
いつまでもこの裸眼を持った人は、本物か偽物かを天性の本能で見抜く。
裸の心を持っているから、相手の裸の心が読めるのだろうか、本当の心が。
その人たちは、人の心にとらわれてなどいない。もう次元を超えている。
裸眼を持っている人は、だませません。鏡なのかもしれません、映るのです。

ここに、私が思いつく日本の裸眼を持った画家を載せたいと思う。
竹久夢二、東山魁夷、上村松園、棟方志功、岡本太郎、いわさきちひろ、
草間彌生、池田満寿夫、横尾忠則、藤城清治、中島潔などの方たち。

その心の裸眼を持った人たちは、芸術家に多いと思います。特に画家に。
きっと、目に見える色の種類が豊富なのでしょう。かすかな違いを感じる
人の心模様も、色彩よく見えるのではないでしょうか。心の色までわかる。
それを目に見える形で表現する事が出来る。まわりに教えてくれます。

文学、音楽などの世界にも大勢いる。芸術って本当に素晴らしいです。
私たちは、もともとあった裸の心を無くして育ちます。みんなあったのです。
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大震災、「津波てんでんこ」を活かせなかった学校

2025-02-07 00:00:00 | エッセイ
宮城県石巻市の大川小学校は、震災遺構で後世へと残されて行きます。
北上川を逆流して来た大津波が襲った。学校被害では、ここが一番となる。
児童、先生たちがグランドで整列点呼した後、山へと向かってる最中に。
濁流が一気に押し寄せる、二手からの流れが校舎横の山にぶつかる。
そこで渦を巻いた。立地している場所が場所で、津波は円になって襲い来る。

地震発生の時、先生の一人が「山へ逃げろー」と叫んだとのことでした。
しかし、教室からグランドへ出て、整列点呼で時間がたつ。
迎えに来た父兄には、子供を引き渡す。また、父兄の車待ちをと。
そうこうして、上級生を先頭に避難場所の山に向かい出した矢先に・・・・

私は、昨年7月、3連休で現地に行って来た。そこで、つくづく実感した。
この小学校は山と川に挟まれている。校舎のすぐ横に山があるのである。
あの第一声を叫んだ先生に従って、みんながみんな、直ぐに逃げたなら。
グランドでの整列点呼で貴重な時間を失った。津波は思ったより早く来た。

「津波てんでんこ」とは、思ったり、考えたりしてる場合じゃない。
みんなみんな、バラバラでも何でもいいから、とにかく逃げろー、逃げろー。
この学校は、今の日本、日本人を表している。私たちの国民性を、と思った。
これが、よその国だったら、どうでしょうか。子供たちは我先にと逃げ出す。
先生たちは、教室を見回った後、全力疾走で子供たちの後を追い山へ駆ける。

また、こうも思う。昔の日本人だったら、一目散にバラバラに逃げただろう。
よその国みたいにと、そして助かったと。日本人の几帳面さが裏目に出た。
「津波てんでんこ」は昔の知恵であり、今も知恵。何が何でも逃げましょう。
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本当にいい人と、偽いい人の見分け方

2025-02-06 00:00:00 | エッセイ
見分け方と言うか、見抜き方ですね。これがわかればいいのですが。
初めに言っておきますが、よく善人がキレテしまって、との事ではなく。
これは理解が出来ます。一生懸命になって、真顔でそうなったのです。
真面目さが、形を変えて噴出したのでしょう。大いに同情の余地ありです。

ここでは、本当のワルが、いかに善人を装うかについてです。
偽いい人になれる人は、良くも悪くも人の心を知っているので厄介です。
たとえば詐欺師は、「師」が付くほどのプロです。変な職業みたいに。
人の心を悪用して手玉に取る。だますなんて朝飯前です。今現在もそこに。

本当の善人は、偽善人にだまされやすい。人の良い面が見えやすいがネック。
その偽者の中に、いい面を見てしまい信用までしてしまうからです。
人の良さが災いするきらいが、どうしてもあります。そこに隙が出来ます。

偽いい人とは、何もそこまで行きませんが、皮算用みたいな計算をする。
結果的に「いい人」に思わせたい。その過程がどうであれ、包もうとする。
ですので、こちらとしては細部を良く見るのです。どこかにボロが出る。
まあ、悪く巧みな人は誤魔化すのも上手い。でも程度問題、その程度しか。

これは俗説のようで、そうでは無いと思う言葉を最後に載せます。
・・・・その人の表情、話し方、しぐさを真似してみると、その人がわかる。
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人生の運気の波(カチコチ流)

2025-02-05 00:00:00 | エッセイ
これは身近な人を見ていると、いろいろと感じられます。
家族、親戚、友人、知人、地域の人、職場の人。または有名人なども。
もちろんの事、自分自身の事が一番とわかります。波は上がり下がりと。

自分の家族を出してみましょうか、本人がどう思うかではなく、見た感じで。
父は29才で結婚するまでは上昇し、母の浮気で下降し出して4年で離婚。
36才で再婚するまでは横ばい、その後やや上向くも「家系」を変えてしまう。

母は21才で結婚して私を翌年に産むまでは上昇、すぐに愛人を作り出す。
愛人の子供を産んでしまい、その子が不慮の事故で亡くなったのを機に離別。
母の事は記憶の封印になっている。運気は上昇に向かい出し、数年後に再婚。

祖父は、婿養子として24才で入籍するまでは上昇、軋轢を受け徐々に下降。
それでも、私の父、叔母二人、叔父の4人の子をもうけて家の断絶を救う。

祖母は兄夫婦に子が出来なかったので、結婚を破断にして家に残る事になった。
実子がいたのだが、すぐに養子に出す。経緯に不明の所がある、秘密だった。

祖母の兄が嫡男で家を継いだが子が出来なくて、妹が婿養子をとる事になる。

その奥さんは、私を守り育ててくれた。子の授からない重責をもろに受けた。
この、おばあちゃんがいなければ、私はいない。必ず小説を書いて捧げる。

ここまで、どうもすみませんでした。個人的過ぎますね。
実は家系はもっと複雑で、怪奇の様相まで呈しているのです。もう、いいです。
付け足し付け足し、私は両親がそろっていた3才までがピークかも。おそまつ。

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この世は、不正確に出来ている

2025-02-04 00:00:00 | エッセイ
いろんな事に正確さを求めるのはいいのですが、でもです。
この世は数学では解けない、物理の法則などでは出来ていません。
科学ではわかりえない、超科学と言うか摩訶不思議な要素の表れかと。
本当の本当は、あるようでない、ないようである、これだと思う。

人の心は知り難いですが、相手の心を知ることは大事になります。
心は正確に知ろうとし過ぎない方がいい、精神分析は危うさもある。
自分を知って相手を知るでしょうか、相手を知って自分を知るでしょうか。
昔の人は、今みたいに自分自分などとは思わなかった、人に教わった。

現代は自我が前面に出過ぎている、と私は思います。現代病かも。
自己実現? あなたは良くても、まわりはどうか。幸せ追及もそう。
今の私たちが良くても、これからの人たちが困る事をしてまでも、追う。

現代の人は計画が好きです。先々を計算して人生設計を立てようとする。
正確さを求めます。読みが間違わないようにと、それに勤しんでいると思う。
逆の発想で、もっと不正確な世を楽しんだらいい。ワンダーな世界を。
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文学賞への応募について

2025-02-03 00:00:00 | エッセイ
小説家志望の人は、各文学賞に応募します。それぞれの賞には特徴がある。
作品に合った賞にしないと、最初から厳しくなります。場違いは良くない。
選考する方は、たくさんの応募作品を、まずは下読みに出します。よそに。
それで絞れて来ると、出版社内で3次、2次、1次の選考をして行く。
もう、ここまでで残ってるのは数点、最後は著名人が最終選考して決定と。

まあ、こんな感じで受賞作は出版への道が出来て行くのですが、狭き門です。
たいていは闇夜に放つ矢みたいで、どこかに行ってしまいます。〇〇箱へ。

出版社は売れるかどうかを見る、その作者の可能性、潜在力を見抜こうと。
こんな出会いも、松本清張の雑誌懸賞の応募作「西郷札」を入選させました。
その後の活躍の端緒となりました。選んだ出版社の眼力も凄いと思います。

小説なら、最初の1ページ、ほんの数行、もっと前の出だしで決まったりも。
選考する側はプロですから、どうするか瞬時に決めたり出来るのでしょう。
文学賞への応募作は、出だしが大事。テーマもそうだけど、まずは出だし。
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小学校低学年だった時の、この世観

2025-02-02 00:00:00 | エッセイ
? が付くタイトルですが、これは懐かしい思い出なので載せます。
小学校2年生の時かな、この世について、何となく想いをめぐらしていた。
はっきりと記憶していますが、私は幼心にニコニコしながら夢想した。
こんな事を、想っていたのです・・・・

あー、この世って、どこまでも続いて行くんだなー。ずっーとあるんだ。
どこまでも生きられるんだ。わー、たっぷりあるんだ、へーー。

嬉しくなって、ニコニコ顔になったのです。時間が無限にあると思った。
実母とは3歳で生別して、心に穴があいていた。むなしさなんてを知る。
7歳の時に父が再婚して、あれによって心がゆがめられていってた。

でも、当時の私は未来を夢見た。ずっとずっと先は続く、何かいい事あると。
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私の漫画歴

2025-02-01 00:00:00 | エッセイ
昭和40年の生まれですから、少年漫画雑誌の全盛の頃でした。
漫画本と言えば、ジャンプ、マガジン、サンデーの順で読んでいた。
なかでもジャンプは良かった。友達もジャンプ派みたいになる。
マガジン派、サンデー派もいたのだが少数だった。なんか違う感じがした。

私はそれらと、単行本シリーズの矢口高雄「釣りキチ三平」にハマった。
ふるさとが新潟で、信濃川の中流域で生まれ育ったので遊びは、釣り。
釣り好きには、この漫画は物凄く面白かった。全作だと多いので未読も。
主人公の少年に自分をだぶらせていて、自分も釣り上手になったような。

野球は巨人軍の怒涛の9連覇と重なった。小学校みんなが巨人ファンか。
私は野球漫画を描いていた。巨人軍が勝つ試合ばかりを、それにこだわって。
絵がなぜか良く見えて、友達が疑って来た。それもそのはず、裏技があった。
新聞の活躍の写真を、まるごと拝借して自作漫画にコピペみたいにしてた。
あらすじは自分で考えて作っていた。巨人軍が大好きでした。懐かしい。

成人漫画のことは、場をあらためましょう。あの9連覇巨人軍も完敗です。
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