侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

環境文化論1~4(花巻)賢治三昧でクラクラしそう、、

2009-07-09 23:28:42 | Weblog
7月2日から七夕で満月の7日まで岩手へ出かけてきた。環境文化論という科目ではあるが、宮沢賢治に特価した内容であった。
 花巻の町は、訪れる度に活気を失っていくようで切ない。こんなにシャッターが下りたお店が増え、町を歩く人もまばらでめったに人に出会わないなんて事は私が小さかったときには無いことだった。賢治さんが生きていた頃の花巻とは随分様子が違うと思う。
 この町を、スクーリングに参加した生徒達は賢治さんのたどった場所として追体験しているのかもしれないが、ザンネンな事のように思う。
 
 私自身が商家の生まれなので賢治さんの気持ちを追体験しているような気持ちになることがある。賢治さんは決して聖人君子とは思わないが、自虐的過ぎるくらい自らをカリカチュアーする人のように思う、又、内心はひどく自信家でもあり、頑迷なほど頑固でもある、それでいて道化たりもする。そこらあたりが太宰治にかようものがあるように感じる所以である。
 あれほど農民に成ることにあくがれ、羅須知人協会を設立し「農民芸術概論」を執筆し高らかに文化として、農業の輝きを歌っているにも関わらず、5年後には東北砕石工場の技師として販売に奔走している。いつでもどこでも夢中に一生懸命になるのだけれども、極めきることが出来ない。
 
 この度なめとこ山登頂の先達を務めて下さった高橋美雄さんは今はもう豊沢ダムの水底に沈んだ豊沢の出身でかつてはなめとこ山周辺の山々を
牛を追いながら縦横無尽にはせまわっていたのだそうだ。体つきががっしりとし、どんな場面に遭遇してもあわてふためきなど
するものでない生きる力満載の方だ。今時見ることの出来ない方。何処にどんなキノコが生え、山菜が採れるかも熟知しておられる、火なんぞを炊くのは朝飯前、道無き道を道路がみえるかのように歩く人、そして、豊沢大念仏剣舞の最後の後継者でもある人。縄文人の直系のような高橋さんのような人がちょっと前まではもっと大勢いたのかもしれないが、、今はもうダイヤモンドをみつけるよりも難しそうだ。そんな賢治さんがなりたくてもなれなかった人が高橋さんだったような気さえしてきて、そばからはなれがたかった。
 なめとこ山へは野外活動センター跡の辺りから入り、金精様をお参りし、クマザサがしげり、ミズナラが林立する道をわけいりながら上り下りをして多少ぜいぜいする頃に到着。
 本当に澄んで美しく美味しい空気に満ちていてまさに聖地とよびたいようなところであった。
向こうに輝く山に向かって精神歌を歌った。こころが晴れ晴れとした。

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