侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

生まれたところへ帰る、還りたい、カエレナイ?!

2019-10-27 00:21:46 | 人間のあり方
  こちらにやってきて はや幾とせ  今度はもうそろそろ還る頃がちかづいているような気がしている。

  東日本大震災の年、東京の灯りが消え 原発が54基全てが止った にもかかわらず 原発なしでも 電気は灯っていた。原発に依存せずとも
  電気を供給できるということが実感できた。
  原発の材料であるウランを採掘するにも甚大な環境負荷がかかり、また廃棄することすら困難な原発 一度何か起これば、人命のみならず、
  海も山も川もなべてを汚染する。 

  多くの方々のいのちに変えて、ニッポンはこの未曾有の大震災を機に いのち最優先の国に舵をきるに違いないっ!
   どれだけ強く、祈り願ったことか

  なのになのに、またまた元の木阿弥、原発は再稼働してくるのみならず、他国にも販売しようとしている、、
  原爆被爆国なのに原発を売りあるく、、というのは
  矛盾しているとおもうのだけれど、、

  原発に限らず、世の中は矛盾、不条理にみちているとを此の70年、の間ににがみをたっぷりまなばせていただいた。

  そんな混沌の中で 彼岸がまぢかに迫り来る年齢に達してきた。
  台風襲来後の爪痕もただならないものがある、驚天動地の有様を呈し、
  通りに泥にまみれた廃棄物がうずたかく積まれている現実に余計心が痛くなる。


  そんなうなだれそうになる思いを救ってくれるのは、うまれたところへ帰ること、
  還りたい、あのやさしくわたしをみおくってくれた人のところへりたいと思うのは逃避であり、感傷的に過ぎるようにも思う。

  いのち在る限り、生きてある限り、精一杯、生きてこそ、見送って下さった方たちの御心に応えることなのだと、
  そうでありたいと思いつつも、厳しい現実に心も体もおれそうになる瞬間があることも正直否めない。

   そう言う時にこそ、人としての真価が問われるのですねぇ〜〜

   深刻になりすぎず、自分にフォーカスしすぎず、老眼の眼でみて、霞がかかったようなファンタジーランドの森の奥深く分け入り
   その中に潜む喜び、楽しみ、おかしみ、美しさに辿り着きたいと願う、その旅を諦めずに歩みたい、、
   そう大好きな心の友カムイサウルス・ジャッポニクス君をお供に〜〜

   ファンタジーは厳しい現実を超越越境する勇気を、夢を、希望をくれます。サンキュー❤️

  


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