侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

ブラボ~!ワーグナー

2010-09-21 07:25:32 | Weblog
 マエストロ・飯守泰次郎様の魂魄の指揮に心底圧倒された!  還暦ぐらいで老人風をふかして、自らを慰めるようないじけた精神を反省させられる。  若々しさと力強さ、がワーグナーの楽劇に挑んでいく迫力とあいまって、久々に昂揚した。  オーケストラ、合唱ともに最高のものを出し得ていた、そのハーモニーをみちびくマエストロにブラボー!  な演奏会だった。  ティアラ江東大ホールは演歌からバレエ、あらゆるジャンルをこなすステージだけれど、 今日のティアラはクラッシック専用ホールの面持ちで心なしか凜とした風情を感じた。 . . . 本文を読む

ひょうたんから駒!?

2010-09-20 22:07:44 | Weblog
なんて良い形の瓢箪!このくびれた造形とまわりのからみつく草や、獅子唐の赤が印象的で吸い寄せられてしまった。    久しぶりのえこっくる江東!江東区唯一の環境学習施設。  ビオトープもイイ感じに鄙びて、まさに生き物たちの楽園。  そしてこの瓢箪の茂み、となりには稲穂がお日様にきらめく田んぼ。 すずめの群れがお米をねらって飛来してきた。  ここは江東区のはずれの潮見、もったいないほど、のどかな、良い、光景なんだけど、、う~~ん、  みんなばらばらなのがね、、一つ一つの存在感はあるんだけど、統一感がないというか、、  調和の霊感がはたらいていない、、というか、    確かになんとなく瓢箪から駒のような施設も内包してはいるんだけど、、 . . . 本文を読む

三菱一号館美術館、丸の内、建築探訪

2010-09-16 22:53:10 | Weblog
明治40年代、ここ馬場先通りには次々と煉瓦造りのオフィスビルが建築され、「一丁倫敦」と呼ばれるようになっていたらしい、、 ジョサイア・コンドルさんの設計で明治27年に竣工、地上三階、地下一階建て、英国ヴィクトリア時代のクィーンアンスタイル。  そして、高度経済成長期、赤煉瓦のオフィスビルは次々と姿を消し、  昭和43年、旧三菱一号館は姿を消したのだが、誕生から ほぼ100年がたつ2010年、創建当時とほぼ同じ姿を忠実に復元して、この地に蘇ってきた。 . . . 本文を読む

野分、、

2010-09-16 07:13:50 | Weblog
 源氏物語の「野分」、印象的な場面です。夕霧がお父様の大事にしておられる、紫の上を垣間見て、ため息をもらさんばかりに深く感動してしまう、、それに気づいた光源氏は「みられたかも、、」などと下衆な事を口走る、、御自身の振るまいは棚にあげて、、フォントに鼻持ちならない男子です、、光君は、、  今朝、寒くて目覚めてしまった。屋根に打ち付ける雨音がかしましい。  ささやかな草木が、いきなりな雨と寒さで身をふるわせている、ようだ。こんな朝は熱い珈琲を淹れて飲もう、と思う . . . 本文を読む

休憩しましょう、、

2010-09-13 20:27:57 | Weblog
ああ~またしても締め切り当日に投函してしまった。確かに、なにかとてもレポートを書く上で弾みになる出来事がやってくるのが締め切り間近の事が多いせいなのかも、、と弁明してみる。 「プラスチックの文化史」は悪の権化のようにしか扱ってこなかったプラスチックだが、実は案外歴史も古く、どれだけ私たちの暮らしの中に浸透しているものか、思い知らされた。「半アート入門」では「プラスチックの文化史」でくじけそうになった気持ちをたてなおしてもらった。  やっと本日締め切りに書き上げました、、休憩しましょう、、 . . . 本文を読む

急勾配に立つパルテノン風我が校

2010-09-07 10:44:00 | Weblog
今年度、始めての京都でのスクーリング。暑さのピークともいえる8月19~22日まで、 芸術研究1「表象行為論」を受講した  講義はライブ!と言う美しい講師の講義はまさに彼女本人が「表象行為」のメタファーであるかのような変幻自在な魅力を湛えていた。完璧なるコスプレヤーだったらしいし、棺桶がベット、点滴台がデスク、車倚子がチェアーという部屋は万巻の書物に埋もれているらしい、彼女の操る言葉は、時としてとても湿り気を帯び、現代を語りながら古典古代を称揚しているアンビバレンツを醸し出す、噂にたがわぬ、極めて摩訶不思議な個性との遭遇であった。 . . . 本文を読む

子ども未来円卓会議

2010-09-07 10:28:05 | Weblog
 今子ども達を取り巻く環境は極めて厳しい! その劣悪な環境をたくまずして作ってきてしまった私たちは、今こそ、その深い根に気づき、今できる最善の手だてを打たなければ、間に合わないのではという不安にさいなまれる。と言っては大げさにすぎるかもしれないが、、じわじわとその目には見えない触手がひろがっているようでぶきみですらある。  真剣にあらゆる角度からトータルに考えないとアブナイ!気がするのだが、、 . . . 本文を読む