東京芸術学舎が咋夏開講された。2011年度は休学し冬眠する。冬眠前に滋養をタップリためこむように、
昨日は松平定知さんと川村毅さんのクラスを受講する。 ヒヒヒ、ムチャクチャたのしい~~すぎる。
久々に生きた心地を味わっている。
そして本日は明治神宮にて諏訪先生の「日本の伝統芸能ー七つの視点ー」を伺う。
再度「銀鏡神楽」をNHK取材版で拝見する。
姫田監督の視線は実に沢山のものを拾っていたのだと言うことに気づかされた。
本当の価値というのはその時だけでは解らないことも多くある。
後からその味わいの深さに気づくこともある。
社会に対して私たちをとおしての芸能にどんな可能性があるだろうか。
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お茶の師から如何に彼女が最後まで自分を貫いて生きたかを
伺い、泪がとまりませんでした。
いつでもどんな時でも手を抜かない、ごまかさない、真っ向勝負の人でした。
完全燃焼したと思っています。
まるで夕鶴のつうのように自らの羽を一本、一本むしりとって錦を織る仕事をしてきたように思います。
彼女はそう言う人でした、、
そこまでやらなくてもいいじゃないの、、と思うところまで細部にこだわって最善のものを創りあげようとするひとでした。
いま、彼女に沢山の感謝を捧げたい気持ちでイッパイです。
あなさやけ茶話会も彼女があってこそのものでした。
炉の灰を一人でもくもくとふるってくれました。
あんな埃の出る作業をひたすら黙々としてくれた姿に私は今、手を合わせています。
子ども劇場の時は江戸のいなせと津軽のじょっぱりを
一緒にとりくみました。
賢治スパークショーもやりました。
その時々、彼女は常に120パーセントの力を出し切っていたのでした。
今だからその姿の真実がみえます。
峰穂子さん、ありがとう!
あなたの残してくれたピュアーな精神、精一杯向き合う一生懸命さを、引き継いでいける自分になりたいと
今思います。
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A嬢は広島生まれ、一年後、広島に戻り、自分の住む街を活性化したいと願っている。
今、彼女はアジアで唯一グリーンキーを取得した銀座のエコ旅館で働いている。
半農半X ほんとうの食べ物を自ら育て、その食材でオーガニックレストランカフェを始めるのが
夢だ。
資料館通りの深川いっぷくは東京都の空き店舗活用事業に登録している中で
最も優れた展開を実現している好事例として表彰された。
その現場を案内した。
今日は武蔵野美術大学芸術文化学科院生がお店番をしていた。
昨日論文を提出したばかりとかでナアントナク肩の荷がおりて
ほっとした雰囲気が身辺に漂っていた。
東京都現代美術館が地域にもたらしたアート効果、、のような事を研究課題にしたらしい。
興味深いテーマだ。
シベリア寒気団到来を思わせる寒~い日、彼女がいれてくれた
アップルジンジャーティーは心身を芯から温めてくれた。 . . . 本文を読む
志村直愛先生による町並み探訪、本日は根津教会。
http://www15.ocn.ne.jp/~nzc/
(注1:大正時代に建てられた、礼拝堂部分を再生して、
新たに牧師館等を付加する増築工事。
増築面積がある一定の広さを超えると昔の部分(今回は礼拝堂)も
現行の建築基準法の適応を受ける事になり、
建物の構造や耐火の問題で非常に厄介。
設計を担当したミームズ一級建築士事務所の田代洋志氏と
構造設計のTIS&PARTNERSとの共同作業で見事に再生された。
設計者の思い切りのいいシナリオと熱意の賜物。酒井氏のブログより抜粋)
(注2:志村先生は2011年1/22土曜日世界一受けたい授業に登場!します)
関東大震災も免れ、東京大空襲もくぐりぬけ、丁度盆地のようになっているこの区域は
当時を偲ばせる建築物も未だにチラホラ見られ、興味深い。
丁度銭湯が始まる時間で、煙突から煙りが立ち上り始め
お米やさんの軒下には「毎日つきたての餅あります!」の
手書きの張り紙が、
懐かしい日本が健在だ。
教会内に入り、鍋谷牧師様より、お話を伺う。
鍋谷牧師は三井物産のバリバリの商社マン!だった方
先代の牧師様が90歳を目前に引退、後継者探しに苦慮している、その時に
自らかってでたのだそうだ。
早期退職をし、それから神学校に行き、1999年、40代後半で牧師様になったのだそうだ。
根津教会の建物は
2001年には登録有形文化財としての登録をしている。
その年齢たるや90年もたてば、老朽化もまぬがれず、
ついに2009年増改築工事を決意。 正面は全くその赴きも内容も変えず
内装を大胆に変えて、地域拠点の役割を担いつつ、そこに暮らす人々に愛される教会の
創造に尽力しておられる。
このことは牧師様が「文化財礼拝堂再生物語」に詳しくお書きになっている。
美しい写真、設計図と共に、ドラマテックな顛末の詳細が書かれており、
鍋谷氏が牧師様になられた経緯もわかる。 . . . 本文を読む
2011年新春第一回淩波塾開催。
文人として現代に生きる稀有な存在である先生直々にご指導戴ける淩波塾を独り占めした一日。
頭の先からつま先まで新鮮な空気が行き渡りリフレッシュされたっ!と言う気分。
う~~~~ん、見たい、知りたい、解りたい という欲求が余すところ無く満たされ伸びやかな気分にひたっておりまする!
生きている甲斐を味わう事は、魂に滋養を与える事でもある。
あそびをせんとやうまれけむ、、
近代仮名作家展 紅彫画(近江のかみほとけたち) ポシャギ 流木・煤竹・古民具の兎角展 きもの美の真髄・池田重子コレクション を観る。
こんな日があるから、生きていける、気がする。
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心がむすぼれてくると、このシェルターに、逃げ込む。
彼女はその時々に応じて、お酒だったり、ワインだったり、中国茶だったり
美味しい料理と共に出してくれる。
そして私の独演会を笑ったり、「愛の手」をいれながら聞いてくれる。
私の心はしだいにほどけて、少し軽くなった足取りで又帰って行く。 . . . 本文を読む
暮れからおさんどん続きだったので、自主的藪入りにした。夕食を早めにサーブして、ナイトムービーに一人で出かけた。
そう「ノルウエーの森」を観たのだ。
感想ねぇ~、ベトナム系フランス人のトラン・アン・ユン監督の絶対ゆずらない頑固なまでの美意識に敬意を表したい!
村上春樹様の原作をよんだのははるか昔の事でおぼろげだけれど、その時も臭いを感じさせない
無菌室での出来事をガラスのむこうがわにみるような気分がしたように思うけれど、映画は
その思いをなおいっそう色濃くさせてくれた、、 . . . 本文を読む
小学校5年生、六年生の担任、後藤先生はいま思えばかなりユニークな先生だった。坊ちゃんに出てくる、赤シャツと山嵐をミックスしたような、、
人だったような、、それこそ、半世紀も前なので記憶もおぼろげだが、鮮明に覚えているのは
宮本武蔵を声色を使って読み聞かせてくれる事だった。
彼自身が授業に飽きるか、何かのらないなあ~~というような気分になると
この朗読が始まった。体操の時間は花卷の中心を流れる豊沢川でみずおよぎをしにでかける。
何故か彼はおふんどしを途中で赤から白に変えるのだった、、理由は今もってわからない。
宿直の日は遊びに行った。
新婚の家にも遊びに行った。
だから当時きっと彼は、20代ぐらいだったのだろう。
私は学校にランドセルも忘れていくほどトロ~~ンとした小学生だった。
その宮本武蔵の作者が吉川英治さんだ。
彼の青梅にある文学館を入り口に
近代文学のかび臭さが懐かしくあたたかくしたしみ深くとりだしてみたくなった。
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文章を書くことのい・ろ・は学びたくスクーリング「文学研究」の講師をして下さった重里徹也氏が開催しているクラスに初参加!
すごいっ!クラスメートの最高齢はなっなんと87歳!
鮮明な記憶力、「ミタイ、シリタイ、ワカリタイ!」を全身にみなぎらせ、瞳をキラキラさせておられる
様子に、驚愕!した。
87歳でもこうあれるというロールモデルを目の当たりに出来た喜びでもあった。
毎回、自作エッセーを提出し、それをクラス内で講評しあう。
講評の仕方に人を励ますほのかな愛を感じ、それを暗黙のマナーにしているのかもしれない。
15年も続けておられる方、詩作、句作をしている方、
書く事に精通している強者揃いの中の新参者だが、早速新年茶話会にも誘っていただき、
仲間として認知していただいた。
第一作として提出したのは♡Green・Upのみんなで行った
「奥多摩・鳩ノ巣ツアー」である。
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きっと多分、最後のレポートになるのかも知れないレポートの締め切り日。
終わった、、チョット脱力。してしまった。
書くことに追われるのが苦痛だったけれど、書き終えた後の達成感は内容はどうあれ、全力投球した後の
清々しさがあったのだ。
それが今日でお仕舞いになる、、サミシイ、、
その分出来ることはきっと沢山あるっ!
アーツ千代田3331はスゴイ!まさにアートでコモンズ再生!している
東京23区に芸術文化基本条例ができたなら、東京はグット変わるだろうし、戦争賛美する人もグット減少するのじゃないかと思うが。
ソウダ!今年は「ANPO」の上映会をしよう! . . . 本文を読む