三年前 の春まだき とある山間の静かな古民家で 自分の呼吸に集中していると この世にわたしがやってくるときの情景が、見えた。
あたたかくやわらかいひかりのなかでみんなが祝福してくれている 行ってらっしゃいと おおきいひとも 小さい人も 微笑みを たたえて
みおくってくれた そうして わたしは こちらに やってきた らしい そんな 情景 だった。 . . . 本文を読む
暮らしの中にビニール袋があらわれた頃、昭和二十年代、母は何度も何度も洗って干してくりかえしてつかっていた。今そんなことをするヒトはいない!盥が消え、洗濯機があらわれ、箒やハタキを放棄し、掃除機が出現し、囲炉裏も炭のコタツも、炭団も無くなり、エアコンが登場、夏はスイカや麦茶を冷やしていたそこここの井戸端は消滅、、、どんどん暮らしは便利になり、、使い捨てが美徳にされるような時期もあった。
便利さは加速し、百年も立たないうちに、自然環境はもう循環不可という明確なノーを突きつけてきた。台風19号はそのことを可視化したともいえる、、、
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三月振りの甦りの御坊龍隠庵さまへ! 天空の園への階段をふみしめると ウキウキするこの階段をのぼりきるとそこに生まれ在所がまっているような心地になる、深く息を吸い込んで吐く、それだけのことなのに、からだの中に新鮮な赤血球が流れ出し、つま先から徐徐に甦って来る。
あれまぁ〜〜〜お久しぶりの和尚様は、作務衣姿で台風に備えてお庭の大切な植物たちをお家に運びいれておられ、いつ行ってもまめまめしくお働きであられ、だからこその、甦りの御坊なのだと 頭が下がります。
お蔵のほうにいざなっていただき、まづは喫茶去。 三ヶ月分のつもるお話しをさせていただき、ホントに在所に戻ってきたようなナツカシイ心地。 . . . 本文を読む
幼稚園に入る前ごろまで、繰り返し同じ夢をみていたような気がする、十円玉のような色合いの地面が地割れをしてどんどんどんどん地割れがこまかくなり面積をましてくるそれはやがて巨大なゾウとなり、そのゾウを隔てているのは木製の古ぼけたオルガン、その情景が伸び縮みしながら繰り返し繰り返しあらわれ、あたかもそれは現実のようにも思えてくるほど繰り返し観たビジョン。
もうヒトツは夜中にハッと目覚めて前方を観ると般若の面がこちらを眺めている、ただ眺めている、木の額にかかっているお面なのかと思って翌日目覚めてからそのあたりをみてみるが、そこには何も無い、あたりを見回しても、そんな形跡はどこにもない。今も思い出すほど繰り返し観たビジョン。未だもってそのビジョンの意味するものが分らない。 . . . 本文を読む