○ 南門 但屋根長一丈六尺 壱ケ所
同南袖 但屋根長九尺 壱ケ所
外御門は、内御門の板葺或いは、瓦葺であるのに対して萱葺である。
御門の扉は二枚で、その大きさは竪八尺七寸、横四尺五寸の格子戸である。縦格子は七挺で長さは、
八尺七寸、巾三寸、厚さ六分、また横は六挺で長さ四尺五寸、巾三寸五分、厚さ六分である。
○ 高札場
石垣の上に建つ。文政三年(一八二〇)の修復帳によれば屋根の長さは九尺、高さ三尺五寸、巾壱尺、
厚さ六分の栗板四三枚の屋根を必要とする板葺であった。
○ 牢屋
牢屋は間口三間、奥行二間の茅葺きであった。
○ 柵
享保九年(一七二四)の絵図面によれば番屋の周囲は柵である。しかし延享元年の関所修復帳や
絵図面によれば柵は北側のみとなり、東側、西側は塀となる。
これら建物の材料と普請に必要な人足は坂上五ケ村、坂下五ケ村の負担とされていた。
大戸御関所之儀者、大戸村・本宿村・大柏木村・須賀尾村・萩生村・川浦村・岩氷村・三の倉村・
権田村右拾ヶ村ニテ御用並普請その外御修覆之節者人足並竹木等ニ至差出御路諸々役相勤仕来申候。
一、高崎御屋敷より御家老御印鑑さし遣され候。
一、明け六つより暮れ六まで通し、夜分は御門を閉じ一切通申さず候。若急御公用御飛
脚委細承居申候。
一、農業の女日返り行通は其訳相見申候につき吟味仕り手形これなく通来り申候
下略
つづく