アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

幻の民サンカ 其の3

2015年07月15日 | 近世の歴史の裏側

サンカに関する正確な資料、書物は数が少なく、また何人かの研究者(三角寛氏、柳田国男氏、

宮本常一氏、後藤興善氏、清水清一氏、喜田貞吉氏、荒井貢次郎氏、菊池山哉氏、八切止夫氏など)

サンカのことを研究発表した書物がありますが、手に入れるのが困難な本も多いです。

手に入れやすいところとして田中勝也氏の[サンカ研究]や佐治芳彦氏の著作にサンカに関するものが、

何冊かあります。個人的な意見ですが、五木寛之氏の小説[風の王国][戒厳令の夜]は、

サンカを題材にしたもので、資料としてだけでなく、小説として大変素晴らしく、

サンカと呼ばれていた人達の感性や魂が伝わってきます。

また[鳥の歌]は山窩の子孫とも思える主人公のひとりが、現在の中に自らのアイデンティティの確立を

模索する姿を感じたりします。また山窩を題材にした映画[瀬降り物語]にもサンカの姿をイメージすることが

できます。山窩のことに興味を持ち始めた頃に、一通り、目ぼしい文献に目を通しましたが、

何か物足りないなと思っていました。そんな時に知人から[風の王国]を、

教えられて読みましたが、小説の中に自分の求めていたものを、あまりにも感じ過ぎました。、

魂が震えるような感動を覚えました。

                                            続く


幻の民サンカ 其の2

2015年07月14日 | 近世の歴史の裏側

一言にサンカと云っても様々なタイプがあったと思われますが、

代表的なサンカとは戸籍を持たず、定まった所に定住することなく、竹細工と川魚などの狩猟、

山の恵みの採取を生業として、人目の付かぬ 河原などに瀬降り(独自のテントのようなもの張り生活を、

すること)時折人家近くにあらわれては、主に農作業で使う箕などと穀物や野菜、時には、

お金と交換し、季節と共に違う場所に移動する生活をしていました。

近代日本にあっても戸籍を持たず、縄文からの長きに渡って培われた。

自然を愛し共生する精神性の高い、また自発的貧困とも言える質素、簡素、素朴な霊性の高い

生き方をしていた方達と思っています。

                                                     続く


幻の民サンカ 其の1

2015年07月13日 | 近世の歴史の裏側

サンカと云う呼び名は、あくまでも外部からの呼称であり、近代(明治以降)になってから官憲用語として使われ始め、

一般でも使われるようになった様です。

しかし明治以前にもサンカと呼んでいた地方があったようで、地方により箕作り・箕直し・テンバモン・オゲ・ポン・

カワラコジキ・などと呼ばれていたようです。

自らはサンカと呼ばれることを嫌いショケンシ(世間師)・ケンシ・ヤコモンなどと称していたようです。

山窩と云う言葉のイメージには、当時の国の方針により、あまりにもネガティブ(犯罪者集団など)で差別的なものがあり、

本来は使いたくはないと思っております。

実体を現わしたものとは思えませんが、民俗学一般にて使われているので、あえて使う事に致しました。

アメリカにおいてインディアンの呼び名がネイティブアメリカンと呼ばれるようになったように、

本来は原日本人(倭人)と呼ぶべきかもしれません。

                                        続く


幻の民サンカ 序文

2015年07月12日 | 近世の歴史の裏側
戦後生まれの方は、その存在すら知らない人が殆どだと思います。
それは意図的なサンカ隠しが、国によるものなのか、あるいは自分たちによるものかは
解りませんが、明らかに行われてきた結果 だと思います。
自然を愛して共生する、自発的貧困ともいえる質素で簡素、素朴な生活を送り、
本当の豊かさを知り、自由で誇り高く、弱者に対して慈しみの精神を持ったサンカの、
生き方たちこそ、
現在の日本に光りを注ぐ生き方だと思っております。明治から昭和へと加速度的に
物質的豊かさを求めた時代の中、今もサンカの魂は生き続けていると思います。
私は民俗学を学んだ事も無く、研究者でもありません。
自分なりに調べ、感じ、知った事を掲載したいと思います。
随時書き直しをする事があると思いますが、予めご了承下さい。
                          つづく