細野は仙岳のロ上に対して「御機嫌を取ると言う風の態度」で、
「まるで芝居をする高師直が若狭之助の、憤りを慰むる時の様で実に見苦しかった」と、
「仮名手本忠臣蔵」の悪役高師直になぞらえて酷評している。
それでも仙岳の延納というその場凌ぎであるが 取りなしで 一旦その場は収まった、
しかし帰村するかに見えたが、意気上がる大多数の農民は承知せず。
中山道並木に三々五々集合し始めていたのである。
驚いた藩役人は急速 上佐野村(現高崎市)の西光寺に農民一同を集めて、
再度説得を試みたが、 鎮静化を図った。
つづく