明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ブラタモリの下田散策で一瞬夢を見た

2018-07-18 21:28:38 | 今日の話題
今回のブラタモリでは、伊豆の下田を散策していた。下田は一度会社の仲間と旅行に行ったことがあったが、皆は刺し身が旨いと言って満足そうだったのを記憶している。どうも仲間と行く旅行は、大した記憶がないようだ。その代わり一人で行った半島巡りドライブでは(この時はオートバイで行った)、町の外れにある小高い山に登って海を通る汽船のシルエットを眺めながら、林の中を渡る風に旅の孤独を味わったものだ。その夜は簡素なビジネスホテルに一泊したが、夕食はスーパーの弁当にビールで済ましたと記憶している。テレビもない2畳ぐらいの狭い部屋だったが、翌日の走行ルートを確認してサッサと眠った。まだ若くて健康だったのである。

そんな思い出の地「下田」だったが今回ブラタモリで改めて眺めてみると、こじんまりとした市街に割とバラけて家々が散在して、何となく住むにも良さそうな気がしてきた。下田は江戸時代に栄えて独自の文化を作り、ペリー来航を機に外国の風物が入って異国情緒も醸し出されたが、見る間に5年でアメリカ寄港地は横浜に移ってしまい、以後は閑静優雅な保養地の一つとして命脈を保っている、というのが概略である。ということは「私の好きな町」の条件を満たしているのだ。江戸時代以前にある程度栄えて文化の果実を享受し、思うまま繁栄を謳っていた町であるが現代には重要な地位を他所に奪われて、政治的・経済的には表舞台から消えてしまった過去の町、という印象だ。いわば抜け殻のような場所こそが、つまり博物館に凍結保存されたジュラ紀の恐竜のごとく、私の愛する町なのである。

下田はこれと言って産業がないようだが、別にそれが町の魅力を削いでいるというわけではない。とくに人生に壮大な目標を求めたりせず今日一日を明るい太陽のもとで暮らし、何気ない日常を無事に送れる健康に感謝し世間の些事に流されることもなく、土地の人々と会話を楽しみながら歴史の一コマを掘り起こしては往時の人々と架空の対話を試みる。それが歳を重ねてたどり着いた私の「ささやかな夢」の生活である。下田は一見そんな生活に向いているかも知れないと思った。

だがよく考えてみれば「太陽が明るく」しか該当しない。ブラタモリの陽気なテイストにつられて一瞬我を忘れてしまっていたが、これから起きるであろう東南海トラフ大地震の悲惨な災害を想像して見れば「優雅な孤独」はあっさりと木っ端微塵に吹き飛び、みじめな難民生活に僅かに生命の残り火を灯して、地べたを這いずり回る醜い老人と化すのは目に見えている。ダメダメ、とても下田は人生を預ける場所ではない。

もう少しで候補地に上げるところだったが、結局は京都・奈良の優位は動かない。だが近年の私の古代史の研究の成果によれば、卑弥呼のいた邪馬台国から天武天皇が活躍した壬申の乱までの歴史の大半は、佐賀・熊本がその舞台であるということが分かってきたのである。これは引っ越す先の候補に入れざるを得ないのじゃないだろうか。よく聞く言葉に「終の住処」というのがあるが、私は借家住まいなので一向に気にしていない。ただ余りに高齢になると借りるのにも苦労するらしいから、元気なうちにあちこち住み倒してみようかなどと考えている。これは奈良の魅力が「歴史の事実解明により」半減した証である。「藤原鎌足の産湯」かなんかがあるという酒船石近くの小道をぶらぶら散歩する自分を想像して悦にいっていたのだが、いまやそれも「とんでもない幻想だった」なんて知らされるとガッカリである。言い伝えがそもそも根も葉もない「まやかし」だったのなら、遠く微かな歴史を思い起こさせるカーブした小道も「タダの田舎道」に過ぎないではないか。

ということで、最近は引越し先を決めかねている。やはり日常生活に便利で居心地の良い喫茶店が多く、すぐそばにゴルフの練習場とコインランドリーがあって、車が少なくて自転車を乗り回せる道がそこここに通っている、そんな場所がいいのだが。つらつら考えれば「それにはやっぱり歴史に取り残された奈良」がいいのかも。第一に災害が少ないし・・・・。

私事で恐縮だが、70歳になってやっと個人年金が銀行に振り込まれる頃までには、新しい引越し先を見つけなければと思っている。柏もかれこれ3年目である。私は同じ場所にずっと住むタイプではないようだ。柏は私の人生で15回目の転居になる。最後はどこかの病院で終わるのだろうが、それまでには「まだ3、4回」は引っ越ししそうである。そう思えば一旦奈良に引っ越して、そこで十分考えてから佐賀の久留米か鳥栖あたりを目指してもいいのじゃないか、とも思う。北九州の沿岸部から太宰府を通って有明海に抜けるルートは、いま大注目の場所である(私が注目しているだけだが)。ただ如何せん、歴史が残っていないというのが致命的なんだよねぇ。

事件の起きたその場所に立って「五感に伝わってくる歴史の息吹を味わう」、というのが私の流儀であるのだが、いくらなんでも壮麗な天平の甍に飾られた大邸宅のかわりに「スーパーが建っている」のでは、興醒めどころか歴史そのものもすっ飛んでしまうのだ。いま奈良の二条大路にイトーヨーカドーがあるが、ここが長屋王の屋敷跡だという。スーパーの人混みの雑踏の中に、なんとも風情のない標識が一つポツンと置いてあるだけの扱い方を見た時は、経済が発展する町並みの功罪を思い知らされた気分であった。日々消えゆく歴史の記憶が、いまや本の中だけのものになる日も近い。「故郷は遠くにありて思うもの」とは室生犀星の名歌だが、明日香の山並みに落ちる夕日をアパートのベランダから見ながらワインを飲む、という夢もあやしくなってきた今日この頃である。

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