では第10位から
(10)リハビリを初めて加速する
人と人のつながりは会話の楽しさから始まる。私のリハビリは発語を余り積極的に訓練してこなかったせいで言葉がまだ伝わりにくい、というかハッキリ発音できていないようだ。それでそろそろキチンとした舌と顎の訓練を毎日してみようと思い、自分でカリキュラムを作ってみた。一つには、特に舌の動きに重要な「らりるれろ」を正確に発声すること。パタカラ練習というのを介護施設でやらされたが、少し進歩が見られる程度なのでしっかり練習したい。それから「肺機能の強化」ということで、「あー」という声を出来るだけ長く出す練習を始めた。施設では40秒も続ける猛者がいて周りの障害者達から拍手喝采を浴びていたが、何にしても拍手されるというのは生きる喜びにつながるので素晴らしいことである。これは直接には言葉の練習にはならないが、息を続けられるということは発語に重要なので同時にやることにした。私はまだ20秒ほどしか続かないので、これを30秒から40秒まで伸ばしたい。最後にスピードの訓練で、文章を「速く、顎と舌を大きく動かして」読み上げる練習である。これを月曜から金曜まで30分やることにした。今の所は3日間だが続いている。とにかく続けることである。効果の程度はわからないが、夏頃には「一応会話ができる程度」には回復させたい。リハビリというのは一定期間経つと進歩が止まるようである。できればまだ進歩しているうちに頑張って正常に戻そうと思っている(戻れば、の話だが)。
(9)ブラックコーヒーを一日1杯は飲む
ここへ来てようやくブラックコーヒーの味が分かるようになって来たので、一日一杯を目標に飲むことにした。ついでに糖依存体質を脱却して、甘さよりも香り重視の食生活へとシフトするキッカケにしたい。もともと甘いものはそれ程好きではないので、飲み込みが改善すれば元に戻る筈だと思っている。コーヒーを楽しめるようになれば喫茶店に行ってもゆったりとした気分になれるし、奈良には昔ながらの喫茶店が東京よりは多いだろうから、更に好都合である。こないだカフェ検索アプリで奈良県橿原神宮前駅周辺を検索したらゴマンと出てきたので、柏などとは比べものにならないくらい充実した喫茶店ライフが楽しめそうだと、今から心踊らせている。ちなみに最近はサードウェーブ・コーヒーというのが流行っていて、京都あたりは新しいものが流行る町だから益々楽しみである。私の老後生活には最適な環境が整いつつあるようだ。
(8)散歩で心と脳を鍛える
なかなか出歩くのが億劫だったのだが、一日一時間ぐらい散歩する習慣を付けたい。出来れば午前中、7時に起きて食事してトイレに行ってからだから10時頃から1時間、決まったコースでいいので毎日歩くことを日課にしたい。西田幾多郎は哲学の小道を散歩した(実際は逆で、彼が歩いたので名前がついたのだが)。私もそれに倣って奈良の小道をテクテク歩いて見たいので、今から練習である。散歩というのは体にもいいが、脳の訓練になる。自然の移り変わりを鑑賞しながら花の名前を覚えたり鳥の声に耳を澄ませたり、遠くの山並みを見て土地勘を養い他所様の家の様子を垣間見たりして、頭をリラックスさせながら歴史の出来事に思いを馳せる、ってのも良い習慣である。手には新古今集の文庫本など持って音楽を聴きながら、歩き疲れたらいつものように喫茶店に寄ってコーヒーを飲んで店主とたわいも無い話をして帰ってくる。そんな散歩を日課に出来たら素晴らしい事である。勿論、場所は柏なんて無粋なところではなくて「奈良または京都」が相応しい。まあ、それまでは柏で覗き見ついでの散歩と洒落込んでみよう。
(7)ファッショナブルに生きる
せっかく奈良に引っ越すのであるから、四季折々の服装に気を使い、自然の息吹を体に感じるようになりたい。そのためには頭のてっぺんから足の先まで、自分の好きなものを身に着けていこうと思ったのである。私はキレイな色や素材の服が好きなので、気に入ったショップがあればいいのにといつも柏に住んだのを残念に思ってしまう。やっぱりシャレた服は表参道あたりの店に行かなければ手に入らないみたいである。そういう店は埼玉・栃木・群馬あたりからドッと人が押し寄せて大混雑しているから、お洒落というより「ケバい服」が所狭しと並んでいるのだが、結構そういうテイストが私は好みである(私は東京育ちだが生まれは茨城の水戸)。まあ、奈良に引っ越せば、誰でも垢抜けた都会のファッションが嫌でも目立つこと請け合いだからこの際、思いっきり「着たいものを着る」に徹してみたい。元々着るものは周りから浮いている色使いだったから(赤緑色弱でもある)、人の目を気にしないでガンガン行こうと決めた。本当に気に入ったものを着ると、気持ちも爽やかになるもの。気持ちが爽やかで前向きに生きていれば、顔つきも明るくなって健康になるという寸法である。
(6)腕立て伏せ・腹筋・スクワットにトライする
何も流行りの腹筋バキバキマンになるわけじゃなし、健康増進のために少し運動をしようというのである。自分独りでやっていると長続きしないから、ジムに通って他力本願を狙おうと言う魂胆だ。マシンなども揃っていれば、一層ヤル気も出ようというもの。NHKの正月番組「人体シリーズ」ではメッセージ物質が大事な役割をしていると言っていた。中でも脂肪と筋肉と骨が重要な役割をしていることが意外だった。脂肪にエネルギーを蓄えることが出来た人類は、チンパンジーと枝分かれして、違った進化を遂げ今に至っていると言っていた。脂肪は余ったエネルギーを貯めておく「だけではなく」て、脂肪から出てくる「メッセージ物質」が免疫に重要だとのことである(何がどうなのかは忘れた)。それと骨が意外なことに、人間の生命維持と種族保存に重要な役割を果たしているらしい(これも詳細は覚えていない)。それで若さを保つにはまず骨を健康に保つことが必要だ(これも案の定、詳しい内容は忘れてしまった)。とにかくジャンプして骨に衝撃を与えることが大事なのだそうだ(肝心の仕組みについては、殆ど覚えていないのは年のせいである)。つまり要するにかいつまんで言えば畢竟、走ることが大事!ということである。走る、これが長く健康でいる秘訣なのだ。100歳でも走れる身体、いいねぇ!
(5)断捨離に再挑戦する
せっかく病気を機に家を売り、長年溜め込んだ諸々の思い出の品を全部捨てて身軽になったのも束の間、5年もしないのに又しても何だかんだと「本や服」が増えてきた。本や服はしょうがないとしても、アマゾンで買ったPC・スマホ関連のガラクタとか、見込み違いのファッション小物や帽子やヘタってきた下着類などを全部まとめて整理したい。こういうものはついつい増えてしまうのが買い物下手なのだろうが、こまめに捨てることが出来ないのは「だらしない性格」だからである。そこで奈良に引っ越しすることを機に、いらないものを全部捨てて「必要なものだけ」の状態にもう一度してみるつもりである。日にちはたっぷりある。引っ越し屋から「これだけですか?」って言われるくらいの量にしてみるつもりである。ついでに今回は20年使ったSONYの32インチモニターテレビを買い換えることにした。有機EL50インチのテレビである。書斎用には27インチのモニターをMAC BOOK PRO専用に置き、長年愛用の WINDOWS−PC ともお別れとなった。こちらは電源が入らなくなってとうとうご臨終である。しかしモニターも安くなったものだ。昔は43インチが40万円くらいで「安くなったなぁ」と思っていたが何のことはない、いまでは2K液晶なら3、4万出せば買えるのだから恐ろしいでは無いか。MACで「YOU-TUBE」を大画面で楽しむ、なんて時代がとっくに来ている。私も時流に乗り遅れないで、映像の世界を存分に味わおうと思っているのだ(何を今更、と言われそうであるが)。もうテレビも55インチぐらいは買ってもいいかなって贅沢気分でビックカメラに見に行ったら、期待に反して小さいのは売ってないのだとか。つまり55インチでも普通だそうだ。贅沢しようと思って行ったのだが、85インチくらいの大型テレビでないと贅沢とは言わないらしい。まあ、あまり気張っても仕方ないのでパソコン用のモニターだけ今回は買って、リビング用の大型テレビは引っ越してから買うことにする。
(4)書斎付きのアパートに住む
やっと人並みにテレビ離れしそうである。病院のベッドで寝たきりの時は、とにかくテレビを見るのが日課だった。その必要不可欠のテレビもようやく4年経って「普通に」面白くない番組が増えてきて、毎日見るのも飽きてきた。正常になってきたのである。だいたいテレビなんか、そんなに面白い番組があるはずもない。以前会社の後輩に「家に帰って最初にすることは、テレビのスイッチを入れること」という「オヤジの定義」に見事ひっかったのが悔しくて、それ以来何とかしようと努力して来たのだが「ついにテレビとお別れする日」が近づいている。今度引っ越す時は書斎付きの家を借りる予定だから、そもそも部屋には「テレビが無い」という環境が出来上がるのだ。BGMにJ−WAVEとか掛けて本を読み、たまに窓から外の景色や歩行者を眺める、というのが私の理想とする生活である、最高だ。そんな素敵なリタイア生活がもうすぐ現実のものになろうとしているのだからワクワクするのも無理はない。そのためにはまず、書斎である。賃貸アプリで奈良・京都の物件を探しては暇をつぶしている毎日だが、奈良には5万ぐらいで書斎付きのアパートが簡単に見つかるみたいなので楽しみである。
(3)ゴルフスイングを極める
いよいよダウンブローの完成が近くなってきた。病気をして以来劇的に距離が落ちて、スイングを根本的に見直すキッカケになったのが良い方向にいって「三觜スイング」に出会い、念願の「正しいスイング」に到達できそうなのである。私の考える正しいスイングとは、「力学的に理に適ったスイング」である。つまり力を最大に入れられる態勢になっているかどうか、というのが理想形なのだ。その点、三觜スイングは見た所「方向とかに関係なく、全力で打ちにいける形」を主眼にしているので気に入っている。体力だとか身体の硬さとかで思い通りには行かないが、理想のスイングが出来そうだというのは実感出来るところまで来た、あと一歩である。これを完成させて4月本コースデビューというのが、私のゴルフの今年の計画だ。あ〜芝が待ち遠しい。
(2)本を3時間は読み、歴史をとことん追究する
基本ベースとして、今鏡・平家物語などを通年読み返して歴史エピソードに明るくなること。加えて新古今集・西行などの平安末期の歌を中心に「和歌」を身体に染み込ませること。そして研究テーマとしては、日本書紀・古事記を読むこと、および天智天皇と天武天皇について一層広く深く調べて「九州王朝との関係を解く」こととしたい。壮大なテーマだが、誰も成し遂げたことのないことを目標にするのは気持ちが良い。平安貴族・倭国・蘇我氏と並べると、おのずと私の研究テーマが見えてくる。1300年という時を隔ててはいるが、まるで今そこに彼らがいるかのように「会話しながら」自然の中を逍遥するのが私のささやかな夢だ。その為にも読書は不可欠である。まず本を読む、それが「歴史調査の第一歩」と思っている。ところがこれが、実のところ一番難しい。本を読む力が衰えているのである。頑張らねば。
(1)社会になじむ
私の欠点は社会に溶け込めず、外にいてその回りをウロウロしている「社交性の無さ」である。興味は人並みにあるが、それは外見への興味であり、中身の人柄などには全く関心がないのだ。B型の特徴かも。それで会社の人とも話をしようと思わないので、一日隣りにいても会話がなくて帰るという日々が続いている。まあそれで困るというわけではないのだが、来年は少し「社会」というものに慣れてみようと思っている。町のショップ店員とも仲良くしたりして、どこかでばったり出会ったりした時に「こんにちわ」ぐらい言える間柄(これを普通は「知ってる人」と言う)にはなっておこうという魂胆である。コンビニで買い物をするときにも「nanacoですね?」とか覚えてもらえると、ちょびっと嬉しい。今まで社会と関わりのない孤独な人生を送ってきたのだが、そろそろ周りの人間と会話を楽しむ時期に来たのじゃないかと思って「無意味な天気の話」などニコニコして話する練習を始めたりしている。今度田舎に引っ越すのを機に今までと全く違った「新しい個性、新しい人生」を始めてみようかと思ったのである。町の人気者になる、というのは大げさだが、村の会合などには積極的に出て、意見交換などやっていければ楽しそうである。友人のSN氏はマンションの組合とか山歩きの会とか色々と「多忙」なので愚痴をこぼしているが、実はとても充実しているようで羨ましく見えてしまう。年を取ってくるとカレンダーが真っ白なのが何とも寂しくって恨めしい。本当は用事が多くて困っちゃうくらいが、年寄りには良いのだ。第一、孤独死というのは人に迷惑をかけるから良くない。私は一生借家住まいと決めているから、アパートで孤独死したりすると大家さんにも迷惑がかかるし。それでそろそろ終活に入ることも考えて、人付き合いをしてみようかと思ったりしている。できれば死に顔は、美しく眠るがごとく有りたいものである。
以上、これで私の2019年の抱負はおしまい。明日からはいつもの私に戻ってせっせとブログを書きたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
(10)リハビリを初めて加速する
人と人のつながりは会話の楽しさから始まる。私のリハビリは発語を余り積極的に訓練してこなかったせいで言葉がまだ伝わりにくい、というかハッキリ発音できていないようだ。それでそろそろキチンとした舌と顎の訓練を毎日してみようと思い、自分でカリキュラムを作ってみた。一つには、特に舌の動きに重要な「らりるれろ」を正確に発声すること。パタカラ練習というのを介護施設でやらされたが、少し進歩が見られる程度なのでしっかり練習したい。それから「肺機能の強化」ということで、「あー」という声を出来るだけ長く出す練習を始めた。施設では40秒も続ける猛者がいて周りの障害者達から拍手喝采を浴びていたが、何にしても拍手されるというのは生きる喜びにつながるので素晴らしいことである。これは直接には言葉の練習にはならないが、息を続けられるということは発語に重要なので同時にやることにした。私はまだ20秒ほどしか続かないので、これを30秒から40秒まで伸ばしたい。最後にスピードの訓練で、文章を「速く、顎と舌を大きく動かして」読み上げる練習である。これを月曜から金曜まで30分やることにした。今の所は3日間だが続いている。とにかく続けることである。効果の程度はわからないが、夏頃には「一応会話ができる程度」には回復させたい。リハビリというのは一定期間経つと進歩が止まるようである。できればまだ進歩しているうちに頑張って正常に戻そうと思っている(戻れば、の話だが)。
(9)ブラックコーヒーを一日1杯は飲む
ここへ来てようやくブラックコーヒーの味が分かるようになって来たので、一日一杯を目標に飲むことにした。ついでに糖依存体質を脱却して、甘さよりも香り重視の食生活へとシフトするキッカケにしたい。もともと甘いものはそれ程好きではないので、飲み込みが改善すれば元に戻る筈だと思っている。コーヒーを楽しめるようになれば喫茶店に行ってもゆったりとした気分になれるし、奈良には昔ながらの喫茶店が東京よりは多いだろうから、更に好都合である。こないだカフェ検索アプリで奈良県橿原神宮前駅周辺を検索したらゴマンと出てきたので、柏などとは比べものにならないくらい充実した喫茶店ライフが楽しめそうだと、今から心踊らせている。ちなみに最近はサードウェーブ・コーヒーというのが流行っていて、京都あたりは新しいものが流行る町だから益々楽しみである。私の老後生活には最適な環境が整いつつあるようだ。
(8)散歩で心と脳を鍛える
なかなか出歩くのが億劫だったのだが、一日一時間ぐらい散歩する習慣を付けたい。出来れば午前中、7時に起きて食事してトイレに行ってからだから10時頃から1時間、決まったコースでいいので毎日歩くことを日課にしたい。西田幾多郎は哲学の小道を散歩した(実際は逆で、彼が歩いたので名前がついたのだが)。私もそれに倣って奈良の小道をテクテク歩いて見たいので、今から練習である。散歩というのは体にもいいが、脳の訓練になる。自然の移り変わりを鑑賞しながら花の名前を覚えたり鳥の声に耳を澄ませたり、遠くの山並みを見て土地勘を養い他所様の家の様子を垣間見たりして、頭をリラックスさせながら歴史の出来事に思いを馳せる、ってのも良い習慣である。手には新古今集の文庫本など持って音楽を聴きながら、歩き疲れたらいつものように喫茶店に寄ってコーヒーを飲んで店主とたわいも無い話をして帰ってくる。そんな散歩を日課に出来たら素晴らしい事である。勿論、場所は柏なんて無粋なところではなくて「奈良または京都」が相応しい。まあ、それまでは柏で覗き見ついでの散歩と洒落込んでみよう。
(7)ファッショナブルに生きる
せっかく奈良に引っ越すのであるから、四季折々の服装に気を使い、自然の息吹を体に感じるようになりたい。そのためには頭のてっぺんから足の先まで、自分の好きなものを身に着けていこうと思ったのである。私はキレイな色や素材の服が好きなので、気に入ったショップがあればいいのにといつも柏に住んだのを残念に思ってしまう。やっぱりシャレた服は表参道あたりの店に行かなければ手に入らないみたいである。そういう店は埼玉・栃木・群馬あたりからドッと人が押し寄せて大混雑しているから、お洒落というより「ケバい服」が所狭しと並んでいるのだが、結構そういうテイストが私は好みである(私は東京育ちだが生まれは茨城の水戸)。まあ、奈良に引っ越せば、誰でも垢抜けた都会のファッションが嫌でも目立つこと請け合いだからこの際、思いっきり「着たいものを着る」に徹してみたい。元々着るものは周りから浮いている色使いだったから(赤緑色弱でもある)、人の目を気にしないでガンガン行こうと決めた。本当に気に入ったものを着ると、気持ちも爽やかになるもの。気持ちが爽やかで前向きに生きていれば、顔つきも明るくなって健康になるという寸法である。
(6)腕立て伏せ・腹筋・スクワットにトライする
何も流行りの腹筋バキバキマンになるわけじゃなし、健康増進のために少し運動をしようというのである。自分独りでやっていると長続きしないから、ジムに通って他力本願を狙おうと言う魂胆だ。マシンなども揃っていれば、一層ヤル気も出ようというもの。NHKの正月番組「人体シリーズ」ではメッセージ物質が大事な役割をしていると言っていた。中でも脂肪と筋肉と骨が重要な役割をしていることが意外だった。脂肪にエネルギーを蓄えることが出来た人類は、チンパンジーと枝分かれして、違った進化を遂げ今に至っていると言っていた。脂肪は余ったエネルギーを貯めておく「だけではなく」て、脂肪から出てくる「メッセージ物質」が免疫に重要だとのことである(何がどうなのかは忘れた)。それと骨が意外なことに、人間の生命維持と種族保存に重要な役割を果たしているらしい(これも詳細は覚えていない)。それで若さを保つにはまず骨を健康に保つことが必要だ(これも案の定、詳しい内容は忘れてしまった)。とにかくジャンプして骨に衝撃を与えることが大事なのだそうだ(肝心の仕組みについては、殆ど覚えていないのは年のせいである)。つまり要するにかいつまんで言えば畢竟、走ることが大事!ということである。走る、これが長く健康でいる秘訣なのだ。100歳でも走れる身体、いいねぇ!
(5)断捨離に再挑戦する
せっかく病気を機に家を売り、長年溜め込んだ諸々の思い出の品を全部捨てて身軽になったのも束の間、5年もしないのに又しても何だかんだと「本や服」が増えてきた。本や服はしょうがないとしても、アマゾンで買ったPC・スマホ関連のガラクタとか、見込み違いのファッション小物や帽子やヘタってきた下着類などを全部まとめて整理したい。こういうものはついつい増えてしまうのが買い物下手なのだろうが、こまめに捨てることが出来ないのは「だらしない性格」だからである。そこで奈良に引っ越しすることを機に、いらないものを全部捨てて「必要なものだけ」の状態にもう一度してみるつもりである。日にちはたっぷりある。引っ越し屋から「これだけですか?」って言われるくらいの量にしてみるつもりである。ついでに今回は20年使ったSONYの32インチモニターテレビを買い換えることにした。有機EL50インチのテレビである。書斎用には27インチのモニターをMAC BOOK PRO専用に置き、長年愛用の WINDOWS−PC ともお別れとなった。こちらは電源が入らなくなってとうとうご臨終である。しかしモニターも安くなったものだ。昔は43インチが40万円くらいで「安くなったなぁ」と思っていたが何のことはない、いまでは2K液晶なら3、4万出せば買えるのだから恐ろしいでは無いか。MACで「YOU-TUBE」を大画面で楽しむ、なんて時代がとっくに来ている。私も時流に乗り遅れないで、映像の世界を存分に味わおうと思っているのだ(何を今更、と言われそうであるが)。もうテレビも55インチぐらいは買ってもいいかなって贅沢気分でビックカメラに見に行ったら、期待に反して小さいのは売ってないのだとか。つまり55インチでも普通だそうだ。贅沢しようと思って行ったのだが、85インチくらいの大型テレビでないと贅沢とは言わないらしい。まあ、あまり気張っても仕方ないのでパソコン用のモニターだけ今回は買って、リビング用の大型テレビは引っ越してから買うことにする。
(4)書斎付きのアパートに住む
やっと人並みにテレビ離れしそうである。病院のベッドで寝たきりの時は、とにかくテレビを見るのが日課だった。その必要不可欠のテレビもようやく4年経って「普通に」面白くない番組が増えてきて、毎日見るのも飽きてきた。正常になってきたのである。だいたいテレビなんか、そんなに面白い番組があるはずもない。以前会社の後輩に「家に帰って最初にすることは、テレビのスイッチを入れること」という「オヤジの定義」に見事ひっかったのが悔しくて、それ以来何とかしようと努力して来たのだが「ついにテレビとお別れする日」が近づいている。今度引っ越す時は書斎付きの家を借りる予定だから、そもそも部屋には「テレビが無い」という環境が出来上がるのだ。BGMにJ−WAVEとか掛けて本を読み、たまに窓から外の景色や歩行者を眺める、というのが私の理想とする生活である、最高だ。そんな素敵なリタイア生活がもうすぐ現実のものになろうとしているのだからワクワクするのも無理はない。そのためにはまず、書斎である。賃貸アプリで奈良・京都の物件を探しては暇をつぶしている毎日だが、奈良には5万ぐらいで書斎付きのアパートが簡単に見つかるみたいなので楽しみである。
(3)ゴルフスイングを極める
いよいよダウンブローの完成が近くなってきた。病気をして以来劇的に距離が落ちて、スイングを根本的に見直すキッカケになったのが良い方向にいって「三觜スイング」に出会い、念願の「正しいスイング」に到達できそうなのである。私の考える正しいスイングとは、「力学的に理に適ったスイング」である。つまり力を最大に入れられる態勢になっているかどうか、というのが理想形なのだ。その点、三觜スイングは見た所「方向とかに関係なく、全力で打ちにいける形」を主眼にしているので気に入っている。体力だとか身体の硬さとかで思い通りには行かないが、理想のスイングが出来そうだというのは実感出来るところまで来た、あと一歩である。これを完成させて4月本コースデビューというのが、私のゴルフの今年の計画だ。あ〜芝が待ち遠しい。
(2)本を3時間は読み、歴史をとことん追究する
基本ベースとして、今鏡・平家物語などを通年読み返して歴史エピソードに明るくなること。加えて新古今集・西行などの平安末期の歌を中心に「和歌」を身体に染み込ませること。そして研究テーマとしては、日本書紀・古事記を読むこと、および天智天皇と天武天皇について一層広く深く調べて「九州王朝との関係を解く」こととしたい。壮大なテーマだが、誰も成し遂げたことのないことを目標にするのは気持ちが良い。平安貴族・倭国・蘇我氏と並べると、おのずと私の研究テーマが見えてくる。1300年という時を隔ててはいるが、まるで今そこに彼らがいるかのように「会話しながら」自然の中を逍遥するのが私のささやかな夢だ。その為にも読書は不可欠である。まず本を読む、それが「歴史調査の第一歩」と思っている。ところがこれが、実のところ一番難しい。本を読む力が衰えているのである。頑張らねば。
(1)社会になじむ
私の欠点は社会に溶け込めず、外にいてその回りをウロウロしている「社交性の無さ」である。興味は人並みにあるが、それは外見への興味であり、中身の人柄などには全く関心がないのだ。B型の特徴かも。それで会社の人とも話をしようと思わないので、一日隣りにいても会話がなくて帰るという日々が続いている。まあそれで困るというわけではないのだが、来年は少し「社会」というものに慣れてみようと思っている。町のショップ店員とも仲良くしたりして、どこかでばったり出会ったりした時に「こんにちわ」ぐらい言える間柄(これを普通は「知ってる人」と言う)にはなっておこうという魂胆である。コンビニで買い物をするときにも「nanacoですね?」とか覚えてもらえると、ちょびっと嬉しい。今まで社会と関わりのない孤独な人生を送ってきたのだが、そろそろ周りの人間と会話を楽しむ時期に来たのじゃないかと思って「無意味な天気の話」などニコニコして話する練習を始めたりしている。今度田舎に引っ越すのを機に今までと全く違った「新しい個性、新しい人生」を始めてみようかと思ったのである。町の人気者になる、というのは大げさだが、村の会合などには積極的に出て、意見交換などやっていければ楽しそうである。友人のSN氏はマンションの組合とか山歩きの会とか色々と「多忙」なので愚痴をこぼしているが、実はとても充実しているようで羨ましく見えてしまう。年を取ってくるとカレンダーが真っ白なのが何とも寂しくって恨めしい。本当は用事が多くて困っちゃうくらいが、年寄りには良いのだ。第一、孤独死というのは人に迷惑をかけるから良くない。私は一生借家住まいと決めているから、アパートで孤独死したりすると大家さんにも迷惑がかかるし。それでそろそろ終活に入ることも考えて、人付き合いをしてみようかと思ったりしている。できれば死に顔は、美しく眠るがごとく有りたいものである。
以上、これで私の2019年の抱負はおしまい。明日からはいつもの私に戻ってせっせとブログを書きたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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