空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

オイラーの公式より得られる空観方程式の概念

2021年01月14日 | 記事のコメント
はじめに:
オイラーの公式を見れば虚数軸と実数軸の複素空間で現わされている。
これは「色」と「空」との複素空間を連想させる。しかも
三角関数と指数関数が等式で示される。
これは奇跡的であって尚、心経での「色不異空」「空不異色」も誘導させる。



起:実数と虚数が一体となっている世界と般若心経
「色即是空」これが真理だ!とこれに固執するならば、真理には到達しない。
「色即是空」であるとともに「空即是色」である。
これらの一体化によって、はじめて独立した尊い世界「涅槃寂静」が現れる。


「色即是空」+「空即是色」


「涅槃寂静」


榊 莫山(書家)
「色即是空」+「空即是色」
「花あるときは 花に酔い 」
「風あるときは 風に酔う 」  

「涅槃寂静」
「それはな、花もええなあ、風もええなあ、っていうこっちゃ」


空観方程式は心の豊かさ(無分別智)が有ればいいというのではなく、
その方程式によって新たな世界や目標に向かって具体的な行動が生まれ、
実体化しようとするものである。即ち方程式の解は、
あるときはあるように、ないときはないように」生きる。


「色即是空」+「空即是色」
「執着心・こだわり 」+「情熱 」  

「涅槃寂静」
「一心不乱・インパクトに対する神聖さ」

「執着心やこだわり 」だけでもダメ「情熱」だけでもダメ
双方が一体となって、初めて新たな尊い領域に意味をなす。


啄木の例:「空に吸はれし十五の心」
「色即是空」+「空即是色」
「空に」が実数部で「吸はれし」が虚数部に該当する。
双方一体となってはじめて意味を成す。
それぞれの強さとプラスマイナスで方向を示したものとの
相互作用での循環を示す。

「涅槃寂静」
新たに生まれた意識が
「十五の心」であって、作品や行動に現れる。


老子
「色即是空」+「空即是色」
「足ることを知る者は富めり」
「富めり」が実数部で「足ることを知る」が虚数部に該当する。
双方一体となってはじめて意味を成す。是が「どうなるか」の部。

「涅槃寂静」
「強めて行う者は志有り」
新たに「どうするか」を見えるようにして実現する道筋。


禅のことば
「清風払明月」+「明月払清風」 
清風明月を払い、明月清風を払うという五言対句
「美しく輝く月」はそれだけでただ美しい。
「さわやかで清らかな風」はそれだけでひたすら爽快だ。
風と月は対立するものではなく、一体である。
「本體が作用となり、作用が本體となりて、一方に固定せざるをいふ」とある。 
新たに生まれた尊い世界「涅槃寂静」は「月白く風清き」であり、
迷いを払いさった、色も、形も、匂いも、浄不浄もない『空』である。


幽から顕へというミアレの原理
内苑の幽から外苑の顕
このミアレの構造を空間で表現したのが、明治神宮の二元論である。
内苑の幽(かくれ)の空間と、外苑に実現された顕の空間は、
はじめから一体でなければならない。
外苑なしの内苑も、内苑なしの外苑も考えられない。
一体化によって尊い世界が現れる。
違いを呑み込んだ同一性:中沢新一)
任意における、対立のない世界の表現となっている。


承:複素数での共役関係が特別な世界を出現させる
「色即是空」と「空即是色」とが
動的平衡状態の複素共役関係である場合には、




であるから例えば

One for all, All for one
「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」
ラグビーワールドカップを機会により有名になった言葉

”One for all, All for one”が「色即是空」と「空即是色」に対応していて、
それぞれが複素共役の関係であれば、議論の上で決まったことは、
独立して尚尊い世界であると認め、
誰の意見であろうが、お互い自分の意思決定としてコミットして実行する。
一つ一つの行動が恣意的な感情によって、左右されないようにする
ニュートラル(空相)な特別な世界だ。
集団でお互いが決まった目的のために役割を果たす。
「誰が優秀か」などではなく、それぞれの役割をきちんと果たしながら、
一つの目的に向かって機能し、お互いがリスペクトし信頼してフォローしていく。
「必要なときに、そこに仲間がいる」
「ミスはいつでも起こる、 それを仲間が全力でフォローする」という世界。


方丈記での
「色即是空」と「空即是色」での存在強度
「ただ静かなるを望みとし」X「憂へ無きを楽しみとす」となり、
これらが日常での繰り返し、すなわち
動的平衡状態の関係にあり互いに複素共役の関係であれば、
全てがプラスとなって

新たな秩序が生まれる「涅槃寂静」は
「今寂しきすまひ、一間の庵、みずからこれを愛す」
満ち足りた人生観、ポジティブな無常観となる。



記事:東洋経済
心が強い人は「無感情」を習慣にしている」草薙 龍瞬 より

感情には3種類しかありません。つまり、
「色即是空」と「空即是色」が①と②の複素共役関係であれば
①快の反応 ―― 喜び・うれしさ・楽しさなど
②不快の反応 ―― 怒り・不満・憂鬱・くやしさなど

これらが日常での繰り返しである動的平衡状態、①x②となることで、

次の③が
新たな秩序として生まれる「涅槃寂静」を示す
③快でも不快でもない“ニュートラルな”状態、
即ち方程式の解では全てのマイナスがプラスとなって、
「日日是好日」となる。



歎異抄「第五章」より
廻向には2つあり、
「自力廻向」と「他力廻向」
「わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも 助け候わめ」
自と他とが、実と虚の関係となって「色即是空+空即是色」に相当する

「親鸞は父母の孝養の為に念仏一返にて申したること未だ候はず」
「無碍の一道」が新たな秩序として生まれる「涅槃寂静」を示す。
苦悩渦巻く人生を光明の広海と転じて、
本当の幸福になることが本当に親を喜ばせることになる。
いわば、「正しいか正しくないかではなく、何が真実か」である。



ノーベル賞受賞者山中教授の言葉より

「色即是空+空即是色」は
「Vision+Work hard」であって、
「Vision」だけでもダメ「Work hard」だけでもダメ
虚と実、いずれが欠けてもダメ。
双方が一体となって初めて意味をなす。

そして新たに生まれる意識や状態、すなわち「涅槃寂静」が
生きていく上での非常に貴重なモットー(法則)の部分である。

同時に
これらが日常での繰り返しになる場合には、「Vision」と「Work hard」は
動的平衡状態の関係にあり、互いに複素共役の関係でもある。
したがって、新たな状態が生まれる「涅槃寂静」が

「目的を、ビジョンをはっきり持って、そのために一生懸命働く」という
ポジティブなる研究者の成功する秘訣の意識だ。


グラッドストーン研究所研究所長ロバート・マーレー先生から教わった言葉
「Vision」と「Work hard」、いずれが欠けてもダメ
人生を成功するためには、この「VW」が大切だということを教えてくれました。
「Vision」のVと「Work hard」のWです。
生きていく上での非常に貴重なモットー、それが成功する秘訣
「目的を、ビジョンをはっきり持って、そのために一生懸命働く」という。
どっちがかけてもだめですよということです。

自分がなぜ研究者になったのか、毎日忙しいとすぐ忘れてしまいます。 
ですから、こうやって時々こういうVWのお話をさせていただくのは、
ほとんど自分のためであります。
自分にいまだに言い聞かせて、自分は論文のためではなく、
研究費のためではなく、患者さんを治すために研究をしているんだ
ということを言い聞かせているわけであります。山中 伸弥



映画「鬼滅の刃」より
日常での繰り返しになる場合には、「ファンタジー」と「現実」は
動的平衡状態の関係にあり、互いに複素共役の関係でもある。
そこから新たな状態が生まれる。

悲しみにくれていては始まらない。
心の変化が必要だ。(それに気が付くだけでいい)
心の変化
心に伝わるものへの共鳴

(新たな領域の存在に気が付けば、そこに渇愛を無意識のままで
 混在させることはなくなり、恣意的なものに左右されることがない。)

テーマ
幸せとは
心に伝わるもの(何かの価値)のために生きること
心に響くもの、 自分の想いで生きられるようになれば、
生きていく意味を実感できるようになる

「現実」と「建前」なる人間界にあって、すなわち
辛い/醜い/理不尽 の世界と、綺麗ごと/楽しい/非差別の世界
これらの動的平衡状態の人間界から新たに生まれる秩序が
強者の価値観
覚悟をもって立ち向かう
弱いものを守るために強くなる

そこから日本人の見直すべき精神文化・価値観として
   強いものが勝てばいい
   役たたないものは換えればいい
   効率重点社会



転:指数関数と逆関数の関係によって初めて解き明かされる

オイラーの公式で示される指数関数は特別な状態を示している。
eは点(0,1)において接線の傾きがちょうど1になるときの数字で
ネイピア数と呼ばれ特殊な働きをする。



Y=a^X  a>1  X=i θ
逆関数は点(1,0)において接線の傾きがやはり1である関数
Y=log a^X
の導入によって、a=eであるとき、
指数関数が特別な状態であることが証明されている。



上記関数Yにおいて、すべてのaにおいて必ず通る点(0,1)においての
接線の傾きがちょうど1であるとき、即ち指数関数とその
逆関数との一体化によって(逆関数の微分にeの定義が現れる)
いわば”独立した尊い状態”となっていると見ることができる。
理想的にバランスした状態である。
またeの正体が現れる逆関数の導入によって、即ちa=eの時、
関数Y=e^Xは何度微分しても変わらないという特別な世界が現れる。

(e^x)′=e^x

ここでも「一つの関数だけが真実だ」ではない。
逆関数との一体化によって、a=eの特別な状態が現れる。
その何度微分しても変わらない状態とは、いささかこじつけであるが、
ニュートラルで純粋であって、その心は不変である。
即ち感情の変化がなく確信的であり、微動だにしない特別な状態ということだ。



微分しても積分しても指数関数(実態)は変わらないという、いわばこれも
動的平衡での状態を示していて、あたかも「色不異空、空不異色」と
表現している様に感じられる。

さて、数学では例えばa^X=5であれば 
X=log a5と表記するように定義されているから、
逆関数は下図のように表示される。そして
a=eの時、指数関数とその逆関数の接線の傾きは共に1である。


e = 2.71828.... 鮒ふなひとはちふたはち・・・・しごくおいしい
「幸せだから微笑む時もあれば、微笑むことで幸せになれる時もある」関数と逆関数の関係





結:オイラーの公式と般若心経との関係

オイラーの公式において、左辺や右辺は共に
複素関数と共役複素関数、ならびに指数関数とその逆関数の
導入による一体化によって、特別な(独立した尊い)世界が
現れている。即ち
複素関数と共役複素関数の場合では、それらの積をとることで
実社会での存在する確率(または強度・エネルギー)を示し、
それは全てにプラスであって変わることがなく純粋である。

また、指数関数Y=a^Xとその逆関数においては、a=eの時には
必ず通る点においての接線の傾きはちょうど1であり、
その指数関数は何度微分しても変わることがない。
逆関数と理想的なバランス状態にある。
即ちニュートラルで純粋であって、その心は不変である。

結論:
オイラーの公式が教えることは、二つの関数の一体化によって
特別な状態が実空間(実社会)に現れているということだ。
「柳は緑 花は紅」ありのままの独立した尊い世界の真実が見える。
雨が降ろうが風が吹こうがその純粋な世界は変わることがない。
実生活においてオイラーの公式を使うことはまず無いのだが、人類の
至宝と呼ばれる公式の考え方は、実生活において大いに参考になる。
二つの関数から出現した、即ち縦糸と横糸から織り込まれて現れた布の
奇跡的に特別な風合い(意識)に気が付かず(無意識のままで)恣意的に
折り曲げ染色してしまってはならないということだ。


【disagreeルール】と【commitルール】
意見が違うならば、議論の場ですべて出す。
議論の上で決まったことは、誰の意見であろうが
自分の意思決定としてコミットして実行する。
disagreeルールが複素関数に相当し、
commitルールが指数関数で、独立した純粋領域である。その特別な
領域では感情を取り込まず淡々と作業をこなすことにのみに集中する。
それがその場その時での「柳は緑 花は紅」の真実の世界だ。
象徴的な事例では、医師であった中村哲はその著書に
「アフガンとの約束 人は愛するに足り真心は信ずるに足る」とある。
理念ではなく「おなかいっぱい食べられれば、誰も戦争には行きません」
の現実の姿であって、
真実であるとの信条によってコミットし出現したその世界において、
人から砂粒手を投げられても、人を疑うことをしなかった生き方である。
日々の活動中においては負の感情を抱くことのない象徴的なことである。
真実だから人として守るべきもの、人として尊ぶべきものに生きる姿である。

対して、昨年の米国大統領選挙のように
正しいか正しくないか、損か得か、都合がよいか悪いかなどの疑いの
負の感情を抱いた状態で行動すると、
不正、フェイク等が横行し、モットモットとなって破綻に向かう。
民主主義システム・理念だけではうまく運用できなくなるのはこのためだ。



おわりに:
般若心経では、オイラーの公式の様な二つの関数
「色即是空」と「空即是色」の一体化から「涅槃寂静」という
独立した尊い世界が現れる。
もし、一方を排除してしまえば織物同様この特別な世界は現れない。

例えば具体的には、
与えられた環境の中で
「他の人のために生きることが自分のために生きること」と
「自分のために生きることが他の人のために生きることに」が
動的平衡状態となっており、共役の関係や逆関数との関係になっている。
そこから「ありのままのニュートラルの状態」となって、
意欲のある日常、情熱、楽しさ、生き方という特別な世界が現れる。
同様に
「へこたれなければ何とかなる」と「いい人やめれば楽になる」の
一体化から、
「あるときはあるように、ないときはないように生きる」という
「ニュートラルで純粋で特別な領域」が自覚される。
即ち「へこたれなければ何とかなる」だけではダメだ。
また、「いい人やめれば楽になる」だけでもダメだということである。
つまり
成功するから微笑むのではなく、微笑むことで成功する時も必ずある。
いわば
これが唯一の真理だ!とこれに固執するならば、真理には到達しない。
オイラーの公式のように二つの関数の一体化を自覚することから始まる。
一体化とは止揚思想の様な都合の良いものにまとめてしまう利巧主義ではなく、
まして他を排除する全体主義でもなく、オイラーの公式にあるような
二つの関数の共存関係である。偏見や、予断、先入観のない、
縦糸と横糸によって奇跡的に現れた特別仕立ての、尊い真実の姿である。

日常の生活においても、それがたとえ一瞬であっても、その
「ニュートラルで純粋である特別な領域」は独立して尊いものであることを
自覚することができれば、動的平衡状態の如く持続的に守られてゆく。
それが「柳は緑 花は紅」「真心は信ずるに足る」の真実の世界。
要は感情の領域侵入によってマイナスの意識に染まってしまわないことだ。
負の感情は怒りを惹起しやすく、やがて大勢の対立を引き起こし破綻する。
対立は決してなくならない。だが対立とどう向き合うかが自覚されれば、
解決は可能となって動き出すことができる。

従って、空観方程式は「色即是空」と「空即是色」の連立方程式からなっている。
実社会にある解には、怒りや対立の状態からは切り離そうとする力が働いている。

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