連休を目前に控えた金曜日。
新緑のダンシャベリ会1回目に集合したのは、
私を含めて6名。
場所は浅田屋高尾店、
国際ホテルの最上階にある和食屋さんだ。
ちょっと洋の雰囲気もある和室は、
一面全部が大きな窓で、
そこから街が一望できる。
桜は終わってしまったが、
ホテルの裏山は芽吹く緑が目に痛いほど。
お食事は彩り膳。
(筍の天ぷらが美味しゅうございました。)
初対面の方が2名いらっしゃったが、
ダンシャベリ会の不思議な魔力で、
あっという間にうち解けたのは、言うまでもない。
ダンシャベリ会では、毎回、自然とテーマが浮かび上がってくる。
それはモノの処分に関することとは限らない。
今回は、どう考えても、これだな。
ずばり「親子関係」。
親と自分、自分と子供…。
子供としての自分と親としての自分、
両方の立場に身を置きながら、
自分の成育歴を振り返る。
ずっと昔、親にこんなことを言われた、
こんなことをされた…。
親に依存していた子供時代は、
さほど疑問に思わなかった。
だけど大人になった今は、それがオカシイ…と感じる。
考えれば考えるほど、何故?…が渦巻く。
私はなんで叱られたのか、
私はなんで叩かれたのか、
私はなんで罵られたのか?
そんなに私が悪い子だったのだろうか。
いや、違う。
そんな仕打ちを受けなければいけないほどの、
悪さや悪戯や反抗じゃない。
解消されない、親への何故と不満、そして怒り。
でも親と同じことはしたくない…と思いながら、
気が付くと、自分も子供に同じような接し方をしている。
なんというジレンマ!
子供が荒れたのは、母親の自分が至らないせい?
子供が浪人したのは、私が家を片づけられないせい?
不安に苛まれながら、自分を責める日々。
こんな重たい話が、彩り膳の上を飛び交う。
女のくせに、主婦のくせに、片づけもできない…と責めるのは、
他人ではなく、むしろ自分自身だということにも気づいていない。
ダンシャベリ会は、皆さんのお話を聞く場だと思っている。
だけど、口を挟まずにはいられなかった。
家が片づかないのは、貴方の能力が低いからじゃない。
ただ単に、貴方の持つ空間、時間、エネルギーに対して、
管理するモノの量が多すぎるだけ。
決して、貴方が劣っているからではない。
さらに言えば、子どもが荒れても、浪人しても、
よその子達と同じでなくても、
それは全く貴方のせいではない。
子どもの人生は子どものものであり、
たとえ母親であっても、肩代わりすることはできない。
ひとつひとつの試練は、
その子が成長するために与えられたにすぎず、
立ち向かって乗り越える大切な機会を、母親が奪ってはいけない。
私たちの親や祖父母の世代には、
戦争という、とてつもない試練があった。
食べていくだけで、精いっぱい。
生き延びるだけで、精いっぱい。
そんな時代に、子どもの心のケアが疎かになったからといって、
誰もそれを責めることはできない。
とても不運で苦労した世代なのだ。
だけど、その世代の『親は絶対的存在』という観念は、
子どもの尊厳を傷つけ、
心に深い傷を負わせた。
目には見えないけれど、とても深い傷だ。
それが親から子へ、子から孫へと連鎖していく。
だけどね、人の心の傷は癒やすこともできる。
その痛みにきちんと向き合って、
苦しい感情を受け止めなければいけないけれど、
その傷は癒える。
そしてこの負の想いは、
私たちの代で断ち切ることもできる。
愛する我が子に引き継ぐ必要はない。
簡単なことではないけれど、
日々、要・不要の判断トレーニングを積むダンシャリアンになら、
この観念が要るか要らないかを見極めることができるはず。
自分たちが、重たい鎖から解放されてごきげんに生きるため、
そして、大切な子ども達の幸せのためにも、
負の連鎖に、今、ここで終止符を打ちたい。
ご参加くださったMさんが、
プレジデントfamilyを持参してくれた。
実は彼女は、掲載された断捨離体験談を投稿したご本人。
子どもの習い事に関する紆余曲折を、
正直に綴っている。
周りの子ども達は、競うようにして習い事をしているが、
自分の子どもは「やりたくない」と言う。
本当にそれでいいのか…と最初は不安に思ったが、
やがて、その不安は、
いいママに見られたい自分の気持ちの表れだと気づく。
我が子は我が子と開き直ると、
張り合う気持ちも見栄も消え、
とても楽になったとか。
もちろんお子さん本人も。
かなり高度な断捨離だが、この話には続きがある。
Mさんの隣に座っていたNさん、
雑誌を見るなり、爆弾発言をする。
「実は今日、子どものスイミングの最後の日なんです。
プレジデントfamilyのこの記事を読んで、
やめさせる決心ができたので。
ダンシャベリ会の後に送っていきます。」
なんか鳥肌が立つようなシンクロだった。
記事を投稿したMさんの気づきが、Nさんの決断を促し、
その2人が今、並んで座って、断捨離について語っている。
こういう不思議なことが、日常的に起こるのが、
断捨離ワールドの摩訶不思議なところ。
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断捨離」〜断捨離で日々是ごきげんに生きる知恵
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本当にその通りです。
いやー、言葉がない。Momoさんの表現力にブラボー。ほんとにほんとにその通り。
大切なわが子に繫げてはいけませんね。
気付いた人達から、発信していきたいと心から思います。
昨年の 大阪プラチナセミナーで お話をしていただいたことのある 睡蓮です。
あの時、私の 私生活の事情を お話して momoさんに 励ましていただき、とても うれしかったこと、今でも 忘れられません。
で、その問題ですが このたび 解決することになりました。
そうです、人生と 物の 断捨離が 成功しました。
まず、本人と物に 出て行ってもらい、ついでに 残る私たちの 物の 断捨離も しました。
出るわ出るわのゴミの山。ここの家は 引っ越しか?と、思われるくらいの 量でした。
台車を 買っていて 正解でした。
ゴミを 出すのも 女手だけでは 一苦労でした。
ただ、今回 大反省が 一つありました。
断捨離も 勢いがついて サクサクと 物を処分していて、娘の 小学校からの 色々な作品を 処分したのですが、いらないものを 捨てると、ずいぶん スペースも 余裕が 結果的には 出てきて、いまさらですが、置いておいたら良かった、と・・・。
後悔は 自分のことでないほど、深いし、つらいですね。
時折 思い出しては とても 胸が痛みます。
あまり、普段は後悔を しないのに、自分以外のことは とても 心痛みます。
断捨離、やっぱり 深いですよね。
楽しいひとときでした。
ダンシャリアンの方のシェアできたことは
とても心強いです。それまではずっと一人で
向き合う日々でしたので。。。
私がどうしようかな、と思っていた
(お葬式用の)着物・・ついに動きます。
引き取っていただけるか返事待ちです。
負の感情の連鎖は、きっと私の延々のテーマです。
自分の経験も踏まえて、発信していきたいです。
>睡蓮さん、もちろん覚えています。
昨年の金沢セミナーにいらっしゃるかな…と、実はお待ちしていたんですよ^^。
とても大きな決断をして、実行に移されたんですね。
きっと心労も大きかったことと思います。
それだけの痛みを経験された分、これからの人生が軽やかでごきげんなものになるようにと願ってやみません。
お嬢さんの作品を捨てたこと、後悔しておられるとか。
一気に処分した反動で、きっと寂しさも増幅されているのではないでしょうか。
過去の思い出も大切ですが、これからお嬢さんと何を紡いでいくか…を考えたら、少しは気が晴れるかもしれませんね。
またお話する機会があったらいいな…。
ダンシャベリ会では、いろいろなことをシェアしてくださって、ありがとうございました。
喪服を手放す決心がついたんですね。
すごいな~~~。
喪服のことは、まだ考えられもしない私より、ずっと潔いです。
コメントのお返事、ありがとうございます。
私、見落としていました。
金沢のダンシャベリ会、寸前まで迷っていたのですが、我が家の 四足の次女が 7歳にしての高齢・初産を 控えていまして、どうしても 家を 空けられず、残念でした。
本当に momoさんには もう一度 お会いして 色んなこと お話したいです。
それと、私は 断捨離を 経験して、やっぱり
こういうことが 好きなのが 確信できたので こういう 方面の お仕事を 勉強して やってみたいな~と 思っています。
これからの 自分の 人生を 豊かに していきます。