ガマとヒメガマ
池の縁には“フランクフルト”のようなガマの穂がめだちはじめました。
植物のどの部分なのかわかりますか。
花、果実?
フランクフルトの部分は、茶色いガマの穂は、ガマの果実の集まりです。
ガマの穂は古い人は因幡の白兎の話でご存じの方も多いのでは
今回はガマとヒメガマをとりあげました。
因幡の白兎
蒲(ガマ)の穂をほぐした穂綿をまるめて寝具に入れたことから「蒲団(ふとん)」になった。
蒲の葉を編んで作った円い敷物を座禅に使う「蒲団」(座蒲団)というとか。
北海道のアイヌの人たちも茎葉をつかって「ゴザ」を織ったといいます。
竹輪蒲鉾(ちくわかまぼこ)は魚肉をねって竹のくしにつけて焼いたものだが、その形が蒲の穂ににているところからついた。
うなぎの蒲焼(かばやき)も昔はウナギも今のような食べ方ではなく、ウナギをぶつ切りにして、串焼きにしたのですが、その形がガマの穂に似ていたことから、蒲焼と呼ばれるようになったとか。
蒲は茎や葉を簾(すだれ)や籠に編むなどして生活用品として使われてきた。
『新木綿以前のこと』(永原慶二著 中公新書)によると、麻衣(木綿以前の庶民の着物は麻で編んだ衣をきていた)を袷にしてその間にガマの穂綿をいれて保温剤にしたとある。
また、ガマの若い芽は柔らかく、茹でて野菜のように食べていた。
大黒さまという「尋常小学唱歌」がある。小学校2年生で学習したようだが、その話のもとは古事記のなかにある「稲羽之素兎」の話。
「隠岐の島の兎が、因幡に渡りたいとおもい、ワニをだましてわたろうとした。だまされたことに気づいたワニは兎の毛皮をはぎとってしまった。
兎がないていたところに通りかかった大黒様の兄弟。
『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えてもらったが、この身はたちまち傷ついてしまった。
兄弟の荷物を背負わされ遅れてやってきた大黒様
兎に『今すぐ水門へ行き、水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ずいえるだろう』とアドバイス。
その古事記の話が唱歌の
「大黒さまの/いうとおり/きれいな水に/身を洗い/蒲の穂綿に/くるまれば/うさぎはもとの/白うさぎ」
の歌詞になった。
古事記は大国主だが、歌は大黒さまになっている。
もともとは違う神様だが、
ところが、古事記には、ガマの「穂綿」ではなく「蒲黄(ほこう)」となっている。
「蒲黄」とはガマの花粉のこと。この花粉は止血剤、鎮痛剤になり、切り傷や軽いやけどなら患部に直接ぬっておくとよい。
現在でも穂黄の成分の効能, 効果から化粧品にはすでに使用されており、米国では成分が脂質代謝改善の作用がある(アメリカ食品医薬品局)と認められ, 食品のマーガリンの中に入っている
穂綿などつけたらちくちく痛いだろうというのがガマについてよく知っている人のうんちく。
実際、雄花からでる花粉の時期は6から7月、花の時期が終わってよく目にするのがガマの穂なので、歌の歌詞になったのではと考える人も多い。
兎が歌で付けたガマの穂は集めて火打石の発火物、燈心などに利用された。
ガマの名前の由来だが、
漢字の「蒲」をマガマと読み、はじめの「マ」を省略され、「ガマ」となった。
朝鮮語のカム(材料の意味)が語源である説
アルタイ語の葦(あし)をいみする「カマ」が日本で「ガマ」になった。
など諸説あるようです
武庫川流域では
ガマとヒメガマがよく見られます。
穂は、上に雄花、下に雌花が咲きます。
ガマは雄花と雌花はくっついていますが、ヒメガマはその間に緑色の軸(花柄)があります。
花期が終わると雄花は無くなり軸だけが残ります。
雌花は結実して茶色になります。秋にこの穂がほつれて種子が風に飛びます。
ガマ (ガマ科)
湿地や池のへりなど、 水深の浅い場所に生える多年草。地下茎を伸ばし、 しばしば群生する。
ヒメガマ
ガマに比べると、雌花穂も小さく、葉も細い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます