ツユクサ(ツユクサ科)
3日まえに庭に刈り取ったツユクサを枯らしてからすてようと、タイルの上においておいたものだ。
ところが、昨日の雨で根もないのに見事復活。
大したものだ。
ツユクサについて調べていると川野和昭氏の論文を見つけた。
「物言う雑草/ツユクサと焼き畑民の記憶―ラオス北部と南九州の比較からー」という民俗学の論文だ。
1993年の熊本県五木村の調査で、ツユクサが一番困る草だと村人から聞いたことから始まった研究。
村人はツユクサが「日に干してもかれない」と理由を述べている。
我が家のツユクサも干して置いたら枯れると思っていたが、枯れないのだと共感したしだい。
五木村の聞き取りでは「石の上や木の上に置いておいても、風で地面に落ちるとまた増える。地面にうめても雨が降って土が崩れるとまた増える。川に流しても、どこかにひっかかり、ふえる。焼いても一節のこっても増える」となかなか大変な草だと聞き取りをしている。これが物言う雑草だ。
表題のようにラオスと南九州のツユクサの処理の方法を比較して焼き畑の民のツユクサにどのように向き合ってきたか共通点から考察している論文だ。詳細は読んでいただきたい。
ツユクサは理科の実験観察教材として小学校から利用されている。
<学校での学習>
・小学校6年(理科)の単元「水の通り道」で、気孔について観察・学ぶ。
表皮をはがして観察する方法(すべての教科書が扱っている)が一般的だ。
・中学校2年(理科)の単元「生物と細胞」で、細胞のつくりを観察・学ぶ。
・高等学校(生物)の単元「光合成」、「呼吸」、「植物の環境応答」で、気孔に関し学ぶ。
道端や草地などで見られ、6月から9月に花を咲かせ身近な植物であるからだろう。
和名は、ツユクサで、古くは「着草」といったが、これは花で布を刷り染めしたところによる。
日本の古代の染色は、ツユクサやカキツバタの花の色、ヤマアイの葉の色などを直接衣料にすり込む方法がとられていた。
万葉集に「月草に衣ぞ染むる君がため 綵色(しみ)の衣を 摺(す)らむと念ひて」(『万葉集』七・一二五五)《意味》ツユクサに私の衣も染まり、恋に落ちてしまったのです。あなたのために、まだらの衣を摺ってさしあげようと思っていたら。
このように、直接布に色をこすりつけて色を付けていた。
飛鳥時代以降は紫染めや藍染め、紅染めなど色の変わりにくい染色技術が大陸から伝来しので、ツユクサで衣料を染めることはなくなったという。
江戸時代元禄になると、友禅染でツユクサが使われる。
水につけると脱色する性質を利用し、下絵を描く絵の具に使った。
青花紙(単に青花ともいう)と呼ばれる紙をつかって汎用性につながった。
ツユクサは、朝のうちに摘んだ花びらを絞って青汁をとり、和紙に塗って染み込ませてから乾かす。
この手順を約100回繰り返すと「青花紙」となる。友禅の職人は、青花紙を小さく切って水に溶かし、色素を取り出すことで、下絵を描いたという。
これによって友禅の技術が急速に発展した。現在でも滋賀県では専用のツユクサを栽培している。
『万葉集』ではツユクサを 月草、百代草、平安時代には露草「露草」「蛍草」、など呼び名がある。
地域によってもいろいろな呼び方があり、身近な植物だったことがわかる。
さて、ツユクサは午後にはしぼんでしまい1日しか咲かないので、英語ではDayflower。
花の様子は
真ん中にある黄色い花のようなπ字型とY字型。元々はおしべだったものが変化したもので、「仮おしべ」と呼ばれている。虫などが寄ってきやすい効果があると考えられている。Y字型には少し花粉がでるので、π字型で虫を誘い、Y字型で虫に花粉を付け運んでもらっているなんていう説もある。
一方、本物のおしべはもっと下まで長く伸びて、めしべのすぐ横にある。もちろんこちらは花粉を作る「葯(やく)」がある。
虫がこなくても、午後には花が閉じる。花が閉じる時には、くるくると内側に巻いて仕舞われていき、雄しべと雌しべがくっつくので、自家受粉できる仕組みになっている。
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