合元寺(ゴウガンジ)の壁は
豊前(ブゼン)の豪族 宇都宮鎮房(シゲフサ)の手勢を襲撃した時散った血の色だ。
大分 中津市 城下
(2014年12月23日~2015年3月8日 九州一人旅の記録)
黒田官兵衛が
姫路から恵心僧都作(エシンソウズ)と伝わる阿弥陀如来(アミダニョライ)を移して、
空誉上人(クウヨショウニン)と言う僧を開山に迎えて建立しました。
黒田官兵衛の入国に反対した宇都宮鎮房が
中津城内で黒田長政によって誘殺されたとき、
宇都宮鎮房の従臣たちが待機していたこの合元寺にも
黒田の手勢が押し寄せました。
鎮房の従臣は奮戦しましたが、ことごとく切り伏せられ、
壁はその血で赤く染まったそうです。
その後、
壁は何度白く塗っても血が染み出してくるので、
ついに赤く塗ったといいます。
別名、赤壁寺の名を持つお寺です。
説明板より
城下町
合元寺
本堂
内部にも争った跡が残っているそうです
如水とは
黒田官兵衛 出家後の名前
地名になっているのですね。
西蓮寺
円応寺
河童の墓
宇都宮鎮房が誘殺されたとき
一の太刀をあびせた野村太郎兵衛祐勝の墓だといわれている