河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

歴史32 大正――創立50周年②

2022年12月23日 | 歴史

春やんが酒に酔ったとき、たまに歌うことがあった。

♪国求(ま)ぎましし大国の
神をまつりて幾千歳
和邇の大池すめらぎの
恵みたたえし喜志の古郷(さと)♪
♪春北山に桜咲き
秋石川に菊かおる
茅原ひらけて稲の波
中にそびゆる喜志の学びや
♪忠と孝とは国の華
つとめ励まんもろともに
御祖(みおや)の勲(いさお)慕いつつ
いざ起(た)ちゆかな学び子我ら

爆弾の破片の入った目をしくしくさせて歌い終わると、破片の入った膝をさすりなから帰っていった。

喜志村にある喜志小学校の戦前の歴史である。
明治5年8月14日 富田林村内の興正寺別院・妙慶寺の本堂で、富田林村・毛人谷村・新堂村・ 中野村・喜志村・新家村の6ヶ村連合により『河内国第27区郷学校(富田林郷学校)』が開校 。
※通学不便のため、新堂村は光盛寺・圓光寺に、喜志村は明尊寺(桜井)に富田林郷学校教授出張所がつくられた。
明治6年(1873)2月25日、河内国第22番小学校として誕生した。
明治8年5月、校名が喜志小学校と改められた。
明治13年1月。堺県管内石川郡公立喜志小学校と改称
明治14年11月、石川郡第一学区公立喜志小学佼と改称。
※この頃お寺を校舎lこしていたが、明治15年4月、明尊寺の北東に仮校舎出来た。
明治20年4月1日、校名を喜志村立尋常小学校と改められた。
※当時は尋常小学校(4年)を卒業すると、富田林高等小学校(2年または4年)に入学した。
明治20年8月5日、現在位置(木戸山)に建坪87坪の新校舎が完成。
明治40年から、教育義務年限が6年となった。就学率は96%。
大正6年4月、高等科(2年)が併設され喜志尋常高等小学校ができた(校舎は美具久留御魂神社)。
※尋常小学校は義務教育だが、高等小学校は義務教育ではなく授業料を徴収していた。進学率は15%。

今年(2022年=令和4年)、富田林市立喜志小学校は創立150周年を迎えた。
1973年(昭和48年)が創立100周年。
1923年(大正12年)が創立50周年だった。
春やんが通っていた頃である。
この年、4月13日に大阪鉄道(河南鉄道を改称)の大阪天王寺駅が開業。
9月1日には関東大震災が発生した。
③につづく

※スケッチは川面出身の鶴島さんのものを借用。

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