日清戦争(明治27年1894)・日露戦争(明治37年1904)に勝利した後、明治天皇が崩御 1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日)。
大正時代になってすぐに第一次世界大戦が始まる。戦争は4年間にわたって続けられた。
ロシア、フランス、イギリスなど連合国と、ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟との戦争である。
日本は日英同盟を理由に8月、ドイツに宣戦布告し、ドイツの植民地だった中国の青島に攻めこみ大国の仲間入りを果たす。
主戦場から遠く離れた日本は、輸出が急増し空前の大戦景気(バブル)がおとずれる。
大正時代を一口で言えば「甘く辛く、楽しく苦しい」が混在した時代だ。
春やんがよく歌っていた『うめぼしのうた』である。
♪二月三月花ざかり、うぐいす鳴いた春の日の楽しい時も夢のうち。
五月六月実がなれば、枝からふるいおとされて、近所の町へ持ち出され、何升何合はかり売り。
もとよりすっぱいこのからだ、塩につかってからくなり、しそにそまって赤くなり、
七月八月あついころ、三日三晩の土用ぼし、思えばつらいことばかり、それも世のため、人のため。
しわはよっても若い気で、小さい君らのなかま入り、運動会にもついて行く。
ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし♪
※『尋常小学読本 巻五(明治43年)』より(現代仮名遣いにあらためた)
春やんが子どもの頃の話をしてくれることはなかった。
大正時代の子どもの頃の話を、昭和時代の子どもの私にしたところで、私の未来を暗いものにするだけだったのだから・・・。
大正時代の雰囲気を伝える「大正ロマン」という言葉がある。その代表が竹久夢二。春やんがよく口ずさんでいた歌だ。
♪待てど暮らせど 来ぬひとを
宵待草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
♪暮れて河原に 星一つ
宵待草の 花の露
更けては風も 泣くそうな
※明治45年(1912)『宵待草』作詞:竹久夢二、補作:西條八十、作曲:多 忠亮
大正ロマンにはどこか切なさ、めめしさがある。ある意味で、個人の心情を吐き出すことができた「大正デモクラシー」の時代でもあった。
喜志尋常小学校創立50周年を祝い、酔った春やんの歌謡ショーである。
♪民権論者の涙の雨で 磨き上げたる大和魂(ぎも)
コクリミンプクゾウシンシテ ミンリョクキョウヨウセ
もしもならなきゃ ダイナマイトどん♪
(ダイナマイト節)
♪高利貸しでも金さえあれば コリャマタナントショ
多額議員でデカイ面 アイドンノー
サリトハツライネテナコトオッシャイマシタカネ♪
(ストライキ節)
♪箱根山 昔しゃ背で越す駕籠で越す
今じゃ夢の間 汽車で越す
煙でトンネルはマックロケノケ♪
(マックロケ節)
――日本の中心は喜志や!――
と春やんはよく言っていた。
すると、喜志小学校ウェブサイトの校長先生の日記に
――世界は喜志の中にある!!――
春やん、涙ちょちょぎれてるわ。
♪南にそびゆる 金剛の
峰の緑を 仰ぎては
高く望みを かかげつつ
朝な夕なに たゆみなく
共に学ばん 喜志校 我ら♪
(喜志小学校校歌1)
祝 創立150周年!
※写真「大正時代の心斎橋」(大阪市立図書館あーかいぶより)
※絵は竹久夢二(国立国会図書館デジタルコレクションより)
※版画は『清親畫帖(大阪本町大丸)』小林清親(国立国会図書館デジタルコレクションより)