河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

歴史33 大正――人情大相撲③

2022年12月27日 | 歴史

大碇の部屋に入ったその翌年や。兄貴は二十歳になっとった。
三月から始まった興行から勝ち進んで、9月の道明寺天満宮の八朔相撲の時あった。
このときは東の張出横綱まで上がってた。東西の正横綱が二人、張出横綱が二人やから番付では三番目や。
下から勝ち抜いてきた大関とが一番目や。これを下手で投げ倒し、二番目の西の張出横綱を掬(すく)い投げ、三番目は西の横綱を首投げして、いよいよ結びの大一番、東の横綱との一戦になった。
この一番をみなければ、男と生まれた甲斐がない。見に行かなければ先祖の位牌に申し訳があい立たんと、押すな押すなの人の声。
押すなと言うたら押すのじゃない!
そんなに押したら背中の握り飯や潰れて、梅干しゃ裸で風邪をひくやないかい!

大入り満員札止めの中、呼び出しが、どとんとんとんと駆け上がって、西と東と読み上げる。
名乗り上げられ東西より、肩で風切る両横綱が土俵の上へと姿を見せる。
行事式守与太夫が、一味清風の軍配片手に割って入った土俵の真ん中。
じりりじりりと仕切りをつける。
つく息引く息阿吽の呼吸がぱったり合った。
ハッケヨイヤと軍配かえった。
ヨイショ キタサのどっこいしょと、土俵の真中で両力士が、火花を散らしてがっちり組んだ
ところで、ちょうど時間と相成りました。
お叱りもなく最後まで、ようこそご静聴いただきました。
このまた続きはレコードでどうかお聞きを願いましょ。
お粗末でした。まずこれまで。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ちいな。そら京山幸枝若の河内音頭やないかいな」とオトンが言った。
「ええ文句やなあ・・・」
「感心してる場合かいな! 相撲はどないなってん?」
「負けた」
「はあ? 負けた! なんでやねん?」
「相手の横綱はこの取り組みに勝つだけで五人抜き相当や。それに賞金ももらえるがな。がっぷり四つに組んでくると兄貴は思ってた」
「そらそうや! 大鵬くらいの横綱になったら横に換わったりせえへんやろ!」
「それが右に換りよったんや! 力んだ兄貴はとんとんとんと土俵際、そのまま送り出されて負けや」
「なんちゅう卑怯なことさらしょんねん! そらあかんやろ!」
「それが良かったんや!」

オカンが持ってきた一升瓶の酒をオトンが春やんのコップに注いだ。
春やんは里芋を箸にさして口にほうばり、ねちゃねちゃと噛んで、酒といっしょにごくりと飲みこんだ。
「どこがええねんな!」とオトンが言い返した。
「この八朔相撲を大坂相撲の千田川親方が観にきてたんや」
「野球でいうたらスカートというやっちゃ!」
「それもいうならスカウトや! 兄貴の師匠の大碇という人は千田川親方と相撲を取ったこともある仲良しあったんや」
「なるほど」
「負けた相撲は度外視して、前の三番を見るかぎり、力と技では篠ヶ峰が優っている。是非とも我が部屋に来てほしい。これは支度金にと500円を差し出した」
「500円? 安っすいなあ」
「大正時代の500円や。給料が50円の時代や!」
「ほんで篠ヶ峰はどないしたんや?」
「願ってもないことと、心良う承諾したがな。ほんでもって500円はすっくり親に渡しよった。ほんまに優しい兄貴あった・・・」

④につづく
※上の絵は『河内名所図会』(国立国会図書館デジタルコレクションより)
※挿絵は『桂川力蔵 : 少年講談』(国立国会図書館デジタルコレクションより)
※日本郵便切手「相撲絵シリーズ」
※一部に京山幸枝若「雷電八角遺恨相撲』の歌詞を引用

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする