※連載ものです。①から順にお読みください。
南河内に心地よい秋風が吹きだした。
稲穂がそよいで金色に揺れる中を、十年ぶりに太鼓の音が響く。
今の地車囃子には小太鼓と摺鉦(すりがね)が入るが、昔は大太鼓だけだった。
揃いの法被も無く、各自が自由の服装でよかった。
当時の秋祭りは曜日に関係なく10月16日(宵宮・試験曳)、17日(本宮・渡御)、18日(後宴祭・地車宮入り)の三日間と決まっていた。
天候にも恵まれ、宮さん(美具久留御魂神社)の境内は、富田林中の人々が集まったのではないかと思うほど、秋祭りを心待ちにしていた人々でうまった。
楠公崇拝の神社で戦中の風が残っているのか紋付袴の人もいる。
女性はモンペ姿ではなく、着物を着た中にスカート姿が目立つ。
終戦まで宮さんは高等小学校だったので、下拝殿の前は運動場として整地されていた。
そこへ各地区の地車が順に宮入りをし、河内俄を奉納する。
宮、櫻井と宮入りを終えるたびに、人が揺れるように動く。
ちょうさじゃ、ちょうさじゃの掛け声で、人々をかきわけるようにして新しい川面の地車が神前に進む。
コマ止めがされると人々が地車を取り囲む。
ドドーンと太鼓が鳴り、口上役のノブさんが欄干に上る。
やんやの喝采があがり、チョンチョンと拍子木が入る。
生駒・葛城・信貴・二上、金剛山より吹き下ろす、風にゆらゆら揺れている、提灯の灯も鮮やかに、地車囃子をとどろかす・・・
となるのだが、春やん、彦やんがセリフを好き放題に追加したのだから、自分も負けてはいられないと、
・・・風にブギウギ揺れている、提灯の灯も鮮やかに、心ズキズキワクワクと、だんじり囃子もリズムよく・・・
9月に発表された笠置シヅ子『東京ブギウギ』の歌詞を折り込んだものだから、どーっと歓声が起こってなりやまない。
戦前なら村総代もろともに警察に出頭なのだが、世の中には新しい風が吹いていた。
その歓声を聞いて、また人々がぞくぞくと地車を取り囲む。
口上を終えたノブさんが汗びっしょりで幕裏に入り「おまはんらも俄を楽しんできてや」と言う。
村を出るときに徳ちゃんが皆に言った言葉だった。
「ええか、なんぼ上手に俄をやったからというて、玄人には叶わんわい。素人がうまいことでけへんけど、楽しいやってんのを見に来たはんのやさかい、盛大、楽しんどいで」
春やんが、幕裏から登場する。
劇団から借りたカツラと衣装、顔を白く塗って、黒や青で隈をいれた歌舞伎役者さながらの姿なもんだから、ギャーという悲鳴のような歓声がやまない。
春やんは、静まるのを待って「母の面影瞼の裏に、描きつづけて旅から旅へ・・・」と切り出す。
感情を込めた流れるようなセリフに、五千人はいるだろう観客はシーンと聞き入る。誰も微動だもせずに見つめている。
忠太郎が「おっ母さん、あっしが伜の忠太郎でござんす」と名のると、目を点にして聞いていた観客が泣きながら思わず拍手する。
しかし、小浜役の彦やんは「私には、おまえのような子はいないよ」と邪険に否定する。
それを聞いて、完全に感情移入させられた観客の一人が「小浜、意地はらんと許したれ!」とヤジを入れる。
周りの観客も「そやそや!」とヤジる。
彦やんは、ぐるりと観客を見渡し、そっと涙をぬぐって言う。
「そら、私かて、腹を痛めたウミの子が、カワいかろないはずはない。許したいのはヤマヤマなれど、たった今すぐニワカでは、許すわけにはイケしまへんねん」
見事な即興に大きな拍手がおこり、またもや人が集まってくる。
「ご免なすって!」と言い捨て、忠太郎は愕然として幕裏にひっこむと、すれ違いざまにミッツォはんが演じるお登世が登場する。
後に俄芝居の名人と言われたミッツォはん18歳の初俄だった。
「おっかさん、今、出て行ったのは、いつもおっかさんが話していた、番場に残した忠太郎兄さんじゃないの?」
実に品よく可愛い声で言うものだから、観客のオッサンが「べっぴんやがな、今晩、うちに食べにおいで」と大きな声で言う。
ミッツォはんはニコッと笑って「そらあきまへんねん。この通りの頑固な親でっさかいに」と彦やんをにらむ。
彦やんが「すんまへんなあ、私あったらあきまへんか」ときり返す。
「アハ、ワハ、ガッハハ」と訳の分からぬ爆笑がおこり、「ああ、そやそや、これやがな」と、それまでに封じ込められていた感嘆、感動、歓喜の声が一気に出て鳴りやまない。
それを聞いたのか、またまた人が押し寄せた。
ところが、この後にハプニングがおこる。
※⑨につづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます