このブログを始めてから624日、この記事が300回目になる。
もともとは、このブログタイトルと同じような名のホームページを開設していたが、デザインやら更新がややこしくなって嫌になった。
しかし、書きためた記事をなんとかしたくて、簡単に更新できるブログに替えた。
歴史カテゴリーの「 その十五 南北朝 ―― あてまげの溝」までがホームページにアップしていたものなので、それをコピペするだけだから、ブログ開設当初はほぼ毎日更新していた。
しかし、すべてをアップし終えるとネタがもう無い。
そこで始めたのが、よもやま話カテゴリーの「ちょっといっぷく(今は数字だけ記載)」だ。
若いときから、面白い話やためになりそうな話をメモに残していたので、その中からブログに使えそうなのを選んで記事にした。
ただし、何かの本やネットから仕入れたネタは引用元がわからないから使えない。
そこで始めたのが、菜園日誌カテゴリーの「畑」だ。
我が家の家系は曾祖父から父まで、三代にわたって52歳で亡くなっている。
だから、自分も52歳の命かと思っていたら、どっこい、53歳を無事に迎えられた。
けっこうなことだが、酒も飲むし煙草も吸うし、あと十年の62歳が我が年貢の納め時だと覚悟していたので、62歳まで生きていたら仕事を辞めて、余生はのんびりと百姓をしようと早くから決めていた。
幸いにも62歳を迎えられそうだったので仕事を辞めた。
血圧が高いので、同級生のかかり付け医に「どないしたら血圧下がるやろ?」とたずねると、「仕事辞めたらすぐに下がるわ」と言われた。
実際、仕事を辞めたら20下がった。
生きた人間相手の仕事は神経をつかう。
その点、野菜は文句を言わないから気をつかわなくてすむ。
菜園日誌とはいえ、トマトの栽培記録を書いたところで、小学生の朝顔観察みたいで面白くあるまい。
そこで、畑での自分を観察した日誌にしている。
「畑」の記事の中に「ドッカリと椅子に座り・・・」という表現が多いのはそのためで、ドッカリと椅子に座って、自分の見ているもの、思っていること、考えていることを観察している。
この記事も、ドッカリと椅子に座って考えた。
※絵は〔浅井忠/画〕『浅井忠画帖』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション
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