河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

畑115 / Merry Xmas

2023年11月27日 | 菜園日誌

去年は十一月の中旬から畑仕事は冬休み状態になった。
それで今年は岡山の旅を入れたのだが、空豆と豌豆の植え付けがまだ終わっていない。
ということは、耕うんと畝立てとていう重労働が残っている。
そこへきて、町内外の役職があるし、寒いし、身体の調子も今一つ冴えない。
「一生青春。一生勉強」と言ったのは相田みつお氏だが、そんなのは精神的な話で、その精神に身体がついていかなければ、何もしないのと同じだ。

作家の五木寛之氏がこんなことを言っている(『新・地図のない旅 I』平凡社)。
 完全な孤独というのは本当はないのである。人は、「自分とカラダの二人連れ」なのではあるまいか。
だから「自分=精神力・魂」とともに、相棒の「カラダ=身体の健康」のことも考えてやらなければならない。
「そんなことわかってるわい!」というので、最近の老人は運動したりサプリを飲んだり、歳をとってもまだまだ働く。
ただし、もう一つ五木寛之氏の言葉を借りると(同上)、
 養生は私の遊びの1つである。若い頃は競馬に凝ったり、麻雀に熱中したりした。いまは遊びといえば、せいぜい養生といったところだ。
つまり、遊びの気持ちがなければ「自分」や相棒の「カラダ」の養生にはならないのだ。

こないだNHKテレビで『にんげんドキュメント 光れ!泥だんご』という再放送の番組を視た。
磨き上げて石のように輝く究極の泥だんご作りを習得した京大の先生が、子どもたちに作り方を教えていく中で、遊びと子どもの成長を考えるという内容だった。
結論らしきは、子どもは楽しみを求めて遊んでいるのではなく、遊んでいるうちに充実した時間を感じ、無意識のうちに楽しいのだと。
そういえば、「畑109 / どっちやねん(10/24日)」で書いた、
 ええ歳こいたオジンが独り、畑の真ん中、サンダル二つを手に持って、「あーした、あーめになーれ!」
というような遊び心が、ここしばらく失せていた。

というわけで、今日は畑へ遊びに!
まずは、ドカリと椅子に座って、何して遊ぼ?
そうだ、エンドウを植える予定の畝にまだ植わっているトウガラシを収穫しよう!
肥糧が少なくて、なかなか赤くならなかったトウガラシを抜いて、葉っぱをむしる。
ワラと落花生と綿の実を使って、子どもの頃にもどって、ああやこうやと工作。
できたのがトウガラシのクリスマスツリー。
これでいいのだ!


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