この地図は、1990年(明治33年)頃の古市古墳群の地図です(道明寺・藤井寺の「寺」の字が抜けてしまいました)。
今では想像しがたいですが、周りはほとんど田んぼで、そこにぽつんぽつんと、古墳と村が散らばっています。さぞかし圧巻の景色だったろうと思います。
古市で十字に交わっている道は、南北が東高野街道、東西が竹ノ内街道です。この二つの街道が重要な道であったことがわかります。
赤色の四角で示したのは駅です。道明寺で左に大きくカーブして、藤井寺に向かうはずなのに、北へ伸びています。
近鉄南大阪線の道明寺で乗り換えてJR柏原駅へ行く、あの線路です。
道明寺~天王寺区間がつながったのは25年後でした。
1896(明治29)年3月に河陽鉄道が設立され、1898(明治31)年3月に、柏原~古市間を蒸気機関車によって営業を開始したのが始まりです。現在の近鉄の路線の中で最古の歴史を持つのが、この区間です。
1899(明治32)年5月、河陽鉄道の事業を河南鉄道が継承して、富田林~長野間を開通させました。そののち社名を大阪鉄道と変更し、1922(大正11)年4月に道明寺~布忍間、1923(大正12)年4月に布忍~大阪天王寺間を開業しました。
天王寺よりも、先に河内長野へ線路をのばしたのです。これは、建武の忠臣 楠木正成の観光地めぐりをする人の増えたためなのです。
※図は「河南鉄道案内」野田吉兵衛から引用。国立国会図書館のデジタルアーカイブで見ることができます。
ちなみに柏原から喜志までの運賃は十銭(一円の1/10です)。大正時代の事務員の平均給与が40円の時代でした。高いのか安いのか、計算してみてください。
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