河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

歴史34 昭和――春やん恋しぐれ②

2023年01月06日 | 歴史

聖天坂駅、駅というより停留場といった方がいいほど小さな駅を降りると、すぐに広い道がある。
踏切を渡ってニ、三分ほど歩いたところにアパートがあった。
アパートというよりは二階建ての離れを借家にしたようなもので、一階と二階の二部屋しかなかった。
人一人がやっと通れるような階段を上るとすぐにドアがあって、入るとすぐに六畳の畳の間があった。
合鍵を持っていた居候のTが先に帰っていた。バンドをするというだけあって、すらりとした長身で恰好よかった。
野菜を適当に切って、エーちゃんと私とTとFの四人ですき焼きをつついた。

クーラーはなかったが、窓を開ければ涼しい風が入り、大阪市内だからか蚊もいなかった。
ぐっすりと寝て、翌朝の8時くらいに四人でアパートを出た。
線路沿いに北に向かって松虫通りを少し通って左に曲がると聖天下という簡素な住宅街があった。
右手に鬱蒼と木の茂った丘が見える。「聖天さんというんや」とエーちゃんが教えてくれた。
そのまま真っすぐ進むと阿倍野墓地があって、旭通りを抜けると阿倍野に着いた。
KYKの喫茶店でモーニングを食べて、その日の稼ぎに出た。
昼から、エーちゃんとTはアパート探しに、私とFは着替えを取りに一端家に帰り、夜は再びエーちゃんのアパートに泊まった。

次の日は同じように聖天下を通って阿倍野に出た。
Tのアパートが決まったので、Tのために大阪見物をしようということになって、天王寺の西口に出て、参道を通って四天王寺にお参り。
谷町線を天満橋で降りて大阪城、道頓堀の千房でお好み焼きを食べてアパートに帰った。
次の日、Tが引っ越しのために一旦福井に帰るとというので、私とFも鞄を持ってアパートを出た。
聖天さんの森も見慣れた景色になっていた。

その日、久々に家に帰ると、春やんがきていた。
「おっ、三っ日も居続けしてたんやて?」と春やんが言った。
「けったいな言い方しないな。友達のアパートに泊めてもろてたんや!」
「ほー、どこやねん?」
「聖天坂や!」
「聖天坂?」と春やんが聞き返した。
そして、「こんもりと茂った森があったやろ?」と言った。
「ああ、聖天さんかいな」
「あれはなあ、大阪にある五つの低い山の一つで聖天山というんや」
「あれ山かいな? 春やん、よう知ってんねんなあ」
「わしも、聖天坂に住んでたんや・・・」

③につづく
※大阪五低山=大阪市内5カ所の低山巡りの対象となる山。港区の天保山(4.53m)、阿倍野区の聖天山(14m)、生野区の御勝山(14m)、住吉区の帝塚山(19.88m)、天王寺区の茶臼山(26m)。


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