河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

歴史34 昭和――春やん恋しぐれ③

2023年01月07日 | 歴史

わしが17(歳)の時や。小学校のそばに喜楽座という芝居小屋が出来た。
いろんな一座が入れ替わりで興行をうつのやが、年に数回、小泉劇団というのがやってきた。
その劇団に橘小春という可愛らしい子がいてな、村の若い者は芝居見に行くのやなしに、小春ちゃんを見に行ってたようなもんあった。
時々、村の素人も出演させてくれはってな、わしも早ようから俄や村芝居に出てたんで何回か出演させてもろうた。
いうても、町娘にちょっかいだすチンピラみたいな役あった。
それでもな、「つべこべぬかさんとわいに付いてこんかい!」と言うて、一瞬でも小春ちゃんの手を握れんのが嬉しかった。

小春ちゃんは、わしより二つ上で、よう似た歳あったさかいに、いつしか仲ようなった。
そんなんで、ある日、楽屋で小春ちゃんと話をしている時に、今回の興行が終わったら大阪に帰ると言い出したんや。
親子二人暮らしのお母はんが重い病気になって看病に帰ると言うのや。
ああ、これでもう小春ちゃんとは逢われんようになるのかと思うと悲しゅうなって、「わしも付いていったろか?」と思わず言うてしもた。
そしたら「かまへんのん? 付いて来てくれるの?」と小春ちゃんが言うやないかい。
そら嬉しかったわい!

家に帰って、「わしは次男坊やから、いつか家を出なあかん身や、大阪に出て仕事見つける」と親を説得した。
ほんでもって、喜楽座の最後の芝居がハネた後、小春ちゃんと一緒に、大軌(大阪電気軌道)に乗って聖天坂の小春ちゃんの家に行ったんや。
18歳の春あった。
お母はんは、すでに病院に入院したはったさかいに、小春ちゃんの家で二人暮らしが始まった。
何か仕事を見つけようと思ってた矢先にお母はんが亡くならはった。
親戚も少なかったさかいにささやかな葬式をあげ、聖天坂の家を売って、わずかばかりのお金を持って別の所に小さな借家を借りた。
それが阪堺線の東粉浜駅のそばあったんや。

さあ、その時、喜志村では、わしが橘小春をそそのかして駆け落ちしたとか、当時はやりの愛の逃避行しょったとか、えらい騒ぎあったそうや。
せやけど、そんなんどうでもよかった。狭いながらも楽しい我が家というのはあの時あった。
わしは近くの大工の親方とこに見習いに入った。
大工というても工務店みたいな所で、大工もすれば左官もする、電気の配線もするというようなとこあった。
嫁はんは、と言うてもどれ合いやが、隣に住んだはった人の紹介で、道頓堀の劇場のお茶子(接待係)をしていた。
隣に住んだはった人というのはこの人や。春やんが新聞をぱらぱらとめくって指さした。
ホーローの看板でよく見る女性だった。

そういえば、エーちゃんが、聖天下を通った時に、「ここ知ってるか、松竹新喜劇の渋谷天外さんの家や」と教えてくれたのを思い出した。
豪邸にはほど遠い洋風のこざっぱりとした家だった。
二代目の渋谷天外さんが、戦後、浪花千栄子さんと別れた後に引っ越した家だった。

④につづく
※絵は竹久夢二(国立国会図書館デジタルコレクション)
※路線図は「阪堺電気鉄道路線図」より加工
※看板は「大塚製薬HP」より


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