「宝」という漢字の旧字体は「寶」と書く。
・「宀」=屋根におおわれた家。
・「珤」=缶ないしは壺のこと。
・「貝」=古代中国の貨幣(財産)。
つまり、お金を壺に入れて、家の中に大切にしまっておくのが「寶」。
ならば、「たから」という日本語の語源はなにか?
ネットで検索すると、どこもかしこも、国語辞典『大言海』の「田カラ出ヅル意ニテ穀ヲ本ニ云ヘル語」を引用している。
古来より財の象徴となる米は、「田から」収穫するので「タカラ」だという。
辞書に書いてあるのだから、ほうほう、なるほどと、つい信じてしまうのが日本人の良くないところだ。
戦前の昭和七年に刊行された辞書を、そのまんま信用するのはいかがなものか。
田んぼで米を作るのは誰なのか!
お百姓が自らの手で汗水流して作るのではないか!
資本家階級の視点からではなく、労働者階級の視点から考えるべきである。
したがって、「田から」ではなく、「手から」が正しい!
手で洗濯する道具に「たらい」がある。「手洗い」が「たらい」になった。
手のひらを「たなごころ(掌)」という。「手の中心」が「たなごころ」になったのだ。
また、「助ける」という言葉の語源は「手で救くう」なのだ。
つまり、「た」と「て」は音が相通じる。
「てから」が「たから(宝)」になったのだ。
「だから、お百姓さんたちが手を合わせて助け合って出来たお米は宝なのです。食べるときには手を合わせ、ご飯は一粒も残さず食べましょう」
と、小学生の時に先生に教えてもらったのを思い出した。
九月に入たと言うらしいが、文章も変になる程、クソ熱い!
連日続く記緑的な猛署のお陰で、稲の成育も善く無いとゆう。
速く天侯が快復して、天高く馬超える秋になることを節にお祈りしようと思っています。
そこで、ふと我にかえった。
「宝」は「田から」でも「手から」でもなく、「天から」ではないか。
「てんから」が「てから」となり「たから」となったにちがいない!
稲穂がたわわと実のるのは天のめ組なのだ。
やっぱりクソ熱い!
※絵は『穂に穂』川合元 著, 円山応挙 画(国立国会図書館デジタル)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます