アイリス あいりす 

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思わぬところからほころぶもの <2054>追記

2015-07-05 23:24:33 | 社会問題 日々雑感

シャンティフーラの時事ブログより転載しました。https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=69611

出典:プレジデント

JR東海会長 葛西敬之氏  
出典:プレジデント

◆ シャンティフーラの時事ブログでは、下のフェイスブックの問題の社長が葛西氏だとしています。しかも政府の安保法制懇談会のメンバーだということです。下の元記事を書かれた人は、社長の名前は伏せておられます。このことを、考慮したうえで、読んでみてください。

この記事を書かれた人も、シャンティもまさかと思われると思いますが、このような会長の元でなら、偽事件も起こすことはたやすいと思います。もちろん推察です。そして、さゆフラットマウンドには、犯人とされている人物の住んでいたアパートは杉並区にあり、歩いて数分のところに、とういつ教会があり、元オーム真理教があった場所とも近いという記事がありました。合わせてご覧ください。http://sayuflatmound.com/?p=14068

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フェイスブックより転載しました。(H・K氏) 2014 7月2日

https://m.facebook.com/photo.php?fbid=719538388105516&id=100001480848971&set=a.417886121604079.73054558.100001480848971

あるプライベートなオペラ鑑賞ツアーで、通訳のアルバイトをした。毎晩、豪華なホテルに泊まってバイロイトやザルツブルクの音楽祭を巡り、食事の席にもご一緒した。その席上、メンバーのひとりだったある政財界の大物(そのグループはそういう方々の集まりだった)が大きな声で話したことが、今も耳に焼きついて離れない。

「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ。さすがに日本の国土でどんぱちやられたのではたまらないから、はインドあたりで戦争が起きてくれれば、我が国としては一番有り難い展開になると思ってますよ。」ここまでえげつない戦争待望論には、周囲にいた人達もちょっとびっくりしたらしく、一同目を見合わせ、隣りにいたご夫人が「またあなたそんなことをおっしゃって、、、」ととりなしている。「かわしま君、きみたち若い人の意見を聞こうじゃないか」と、ご本人が話をぼくに振ってきた。言いたいことは山ほどあったけれど、アルバイト中のぼくには、面と向かって彼に反駁することもできず、言葉を濁してしまった。今思うと、通訳のアルバイトなんか棒に振ってでも、彼にしっかり反論しておくべきだったと思う。権力の中枢近くにいるひとに直接ものを言う絶好のチャンスだったのに。もう10年以上昔の話。

集団的自衛権行使容認の閣議決定(7月1日)。この暴挙を安倍首相が進めるにあたって、議論を先導した首相の私的諮問機関・安保法制懇のメンバーに、あの発言をされた方が入っている。安倍首相のブレーンの一人と言われ、さまざまな政府委員も務めておられる有力者だ。「国民の安全を守るため」とか、「海外の戦争に参戦することは絶対にない」とか、夕べの会見で首相は言っていたが、民主主義の手順も無視して強引にことを進めるこの内閣の本当の目的が、そんなところにないことは、法制懇のこの顔ぶれを見ても明らかだ。背後には死の商人がいる。彼らは戦争でひと儲けしたいのだ

政府は、歴代政府が守ってきた武器輸出三原則をこの春の閣議決定で撤廃し、武器の輸出推進政策に転じたのに続き、つい二週間ほど前には国内軍需産業を強化・育成するための「防衛生産・技術基盤戦略」なるものも決めた。軍需産業が、大学や研究機関と連携して国の進める軍事政策に協力する体制を、平時から強化しておくのがねらいで、大学や研究機関への圧力や働きかけが早くも強まっていると聞く。秘密保護法が成立し、集団的自衛権行使容認の閣議決定で、憲法9条も風前の灯(すでに死文と言えるのかもしれない)と化した今、国民に知られたくない重要なことは次々と機密指定にしてしまえば、ぼく達のあずかり知らぬところで、海外で戦争を始める準備はどんどん進んでいく。ほんとうに恐ろしい内閣に、国民は絶対多数のフリーハンドを与えてしまった。

ドイツのヒトラー政権にも並ぶこの暴走内閣をはやく退陣に追い込まなくては、日本は大変なことになる。平和憲法のもつ重みを、国民一人一人が、心からかみしめられる日を、もう一度取り返さなくてはならない。若者たちが総じて無関心、もしくは無行動なのがいちばん気になるところだ。次は徴兵制だと、死の商人たちが言い出すことは、火を見るより明らかなのだから、手遅れになる前に、何をおいても今、ぼく達は動かなくてはならない。


【7月7日投稿】

閣議決定翌日(7月2日)のぼくの投稿に関連する書き込みを、夕べ、その投稿のコメント欄に載せましたが、シェアされた先々で寄せていただく声に対する、ぼくなりの補足説明も含んでいますので、別立てで投稿し直すほうがいいかなと思い直し、以下(一部加筆して)掲載します。シェアいただいた数は7月7日正午現在、2,400件を超えました。

  *  *  *  *  *  *  * 
日記を書いてから今夜でまる4日。シェアしてくださる方が、日々どんどん増えており、当初はまったく思いもよらなかったこの展開に、大変驚いています。今日は防衛大臣が、憲法解釈変更の説明に、早くもアメリカまで出向いて行ったとか。まだ国民も、国会も、すこしも了承などしていないのに、ほんとうにどこまでひどい内閣なのでしょう。

記事の中に書いた政財界の大物は、旅の途上、ぼくが運転する車のなかで、学生時代に覚えたというシューベルトの歌曲集『冬の旅』を、ドイツ語の原語で、全曲そらで歌ってくださるような、芸術愛好家でした。当時ぼくはまだ大学院の学生だったので、同じ大学出身という気安さから、何の警戒心もなくあんな本音を話されてしまったのだろうと思っています。旅はそれなりに楽しいものでしたし、個人的にその方のことをあしざまに書くことは気がひけたのですが、いま現在、世の中で急速に進行している動きを目の当たりにしながら、記憶のかなたにそっと封印しておくには、話の内容があまりにもひどすぎました。旅でご一緒する前から、その方のことではいろいろな話を耳にしていましたから、青春時代の大切な一頁であったに違いないシューベルトを歌ってくださる時のその方のまなざしと、伝え聞いた噂とのギャップには、ひそかに戸惑いを感じていたのですが、レストランの一室で、あのとんでもないインドの話を自分のこの耳で聞いた時には、びっくりする気持ちと、「ああ、やはりそうだったのか!」との思いが交錯し、これが日本を代表する政財界トップの方の感覚なのかと、しみじみとあきれ果ててしまったのです。その瞬間、ぼくが何の言葉も発せられなかったのは、職を失いたくないからというよりも、その仕事をぼくに紹介してくれた方の面目をつぶしてはいけないということが、とっさに頭をよぎってしまったためです。

あの人が今、ぼくのこの日記の存在を知り、それを読んだ多くの人々がその方の言葉に抱いている怒り、嫌悪感を知ったら、どう思うだろうと考えると、やはりぼくとしては心穏やかではいられなくなります。でもやはり、今こそはっきりぼくはあの人に言わなければならないと思っています。ぼく達の宝である憲法を、奇妙な詭弁を重ねて破壊し、戦争への道を突き進もうとしている安倍内閣と、それを操るあなた方を、ぼく達は決して許すことができませんと。

ぼくのこの日記がきっかけとなり、ネット上ではその人の個人名を特定しようとする、もしくは特定したとする、ゴシップ的書き込みを多く見かけますが、そんな個人的糾弾のような話にことが進んでいくのには、ぼくは何か違和感を感じています。ぼくの本意は、昔の話を持ち出してその人個人を責め立てることではありません。戦争で亡くなった多くの人々の犠牲の上に、戦後日本の人々が築きあげてきたこの国のかたちを、国民に相談も、まともな説明もなく、うそにうそを重ねてすっかり変えてしまおうとする動き、幾重にも作られてきた戦争への歯止めを、ひとつひとつ全部取り払ってしまおうとする乱暴な企みを、どうしても今食い止めるのでなければ、取り返しのつかぬことになってしまうと思うのです。

ぼく自身が体験し、今も耳に焼き付いて離れない、あの夏に聞いたあの人のあまりにも身勝手すぎる戦争待望論、そしてその人は、そのへんの町工場の引退したおやじさんなどではまったくなく、今も現役で、現政権にもっとも大きな影響力を行使する位置に(国民がそれを望んだわけでもないのに)座っておられる方だということ。これが、ぼくが自分の発言のよりどころとする、ぼくにとっての真実です。

追記1: ぼくが通訳としての守秘義務を犯しているのでは、とのご意見を目にしました。その場限りの雇われ通訳で、そのような守秘義務を負う契約は一切していませんが、一般的な信義にはもとるかもしれないと言われてしまう可能性は、ぼくも少し気になっています。しかし今の状況下で、ぼくがこのことをささやかな自分のこの日記記事に書くことすら、許されないということは、あり得ないのではないかとぼくは考えます。多くの人々が、この事実に衝撃を受け、周りの人達にも伝えなくてはと真剣に努力されている様子を目にすると、このことを知りながら口をつぐんでいることの方が、よほど大きな悔いを残すことになったと思います。ましてやその人は、安倍首相と一体となって、日本のすべての国民を瞞き、裏切るような、とても不誠実な手法で、日本の憲法を骨抜きにしようと立ち回っておられる方です。その不誠実な行動に荷担することは、ぼくには出来ません。

追記2:「ドイツのヒトラー政権とも並ぶ暴走内閣」との、日記のなかの表現について、「感情的で何の根拠もないアジテーションだ」とする批判的な書き込みを、二、三目にしました。去年の夏、麻生財務大臣が「改憲はナチスの手口に学んだらよい」と暴言し、世界中を震撼させる物議をかもしながら、その後も辞任することなく、今も内閣にとどまり続けていることを、この方たちはどう認識されておられるのでしょうか。

その後、それまで自民党のなかで声高に唱えられてきた憲法96条の改正論議(3分の2要件の緩和)が、いつの間にか影をひそめ、気がついてみたらあれよあれよと言う間に、自民・公明だけの密室協議で今回の閣議決定です。麻生氏が「学べ」と言ったのは、ナチスが1933年3月に全権委任法を成立させ、世界でもっとも民主的と言われたワイマール憲法を、憲法改正の手続きを踏むことなく無力化させた際の「やり口」のことでした。まるで麻生発言をそのまま絵に描いたかのような、安倍政権の今回の「やり口」には、ヒトラー的と言うよりほかに、形容の言葉が見当たりません。きわめて客観的で冷静な形容だと思います。

ですから、今は安倍政権がお手本にしているナチス・ヒトラーが、どうやってあの豊かな音楽や文学を育んだドイツの民衆を、狂気の戦争へと駆り立てることに成功したのか、その歴史をみんなが真剣になって学びなおさねばならない時だと考えています。

(7月7日、記)

7月2日投稿の元記事へは↓このリンクから。
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashim…/…/719538388105516

▼上のリンクから飛べなかった方は(環境によりおかしな現象が生じているようです)こちら↓からお試しいただくか、直接ぼくのタイムラインを7月2日まで遡ってご覧くだされば読めるはずです。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=719538388105516&set=a.417886121604079.73054558.100001480848971&type=1

追記(ももこ)============

◆ フェイスブックのHK氏の文は、まるで山登りをしたときに見つけて飲んだ、石清水のように、命が救われたようにも、私には感じられました。そして続くギリシャの民衆の動画を見て、私の中に偶然にも日本国憲法第9条を、世界にたんぽぽの種のように、飛ばしたいと思う心が生まれました。そうすれば、受け取った人が多ければ、いつの日かその国の憲法となってくれるかもしれないと、思ったのです。受け取る人が多ければ、必ずギリシャの民衆のように、動くはずだと思えたのです。世界に平和を求める99パーセントの人類がいると思ったからです。壮大な見果てぬ夢のような話ですが。

そして折しも日本では、この憲法9条がゾンビ政府の改憲策により、潰される可能性も出てきました。そうなる前に、この憲法9条を世界に飛ばして、この憲法を守りたいと思ったのです。もしも日本でこの憲法が潰されるような目に合おうとも、この憲法が世界の人類の心に、届いていれば、いつの日かまた復活すると、確信しているからです。

何かせずには、いられませんでした。その私の心を、動かしたのは、このHK氏です。あなたに、お礼を言います。「ありがとうございます。」そしてあなたの聡明な文が、多くの人の心に、石清水のように沁みることを祈っています。【7日】


 


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オバマに広島 長崎訪問を求める手紙1万通に達する<2053>

2015-07-05 14:45:05 | 社会問題 日々雑感

スプートニク日本より転載しました。

原爆投下70年:世界中からオバマ大統領に広島・長崎訪問を求める手紙1万通を超す


今年8月6日と9日、日本では広島そして長崎への原爆投下70年を迎えるが、米国のオバマ大統領は、世界中の人々から、1945年8月米国の原爆により殲滅された広島と長崎を今年こそ訪れるべきだとの1万通を超す手紙を受け取った。

この運動を主催したのは、米国の「憂慮する学者同盟」という名の社会組織で、彼らはオバマ大統領へメッセージを送るよう呼びかけた。そのためのソーシャルサイトも立ち上げられ、希望者はそこにアクセスし、既に作成されたテキストに自分の名前と住所を加えるだけでよい。

 

主催者は、もう二度と核兵器が用いられてはならない事を世界中の人々に思い起こしてもらうことが、このアクションの目的だと説明している。

なお世界の現状は、核兵器が偶然、誤ってあるいは、しかるべき承認やチェックを受けずに用いられるリスクを高めている。



続きを読む http://jp.sputniknews.com/japan/20150705/538155.html#ixzz3ezWrwU6K


   ・・・・・・・・・・・・・・・

http://ww5.tiki.ne.jp/~people-hs/data/5533-2.htmlより転載しました。

『人民の星』 5533号1面

広島・ノーベル平和賞受賞者サミット 米オバマ参加できず


 さきにアメリカ大統領オバマが来日した。だが、日本人民の反米愛国の世論と運動の高まりによって、来日のなかで反動的なたくらみがはたせず、オバマはすごすごと帰国せざるをえなかった。その一つが広島での「ノーベル平和賞受賞者サミット」にのりこみ、「核のない世界」を宣伝することだった。オバマは被爆者をはじめとする反米愛国の世論の高まりをおそれ、サミットへの参加を断念し、広島に足をふみいれることができなかった。
 広島では一二日から一四日まで三日間、「ノーベル平和賞受賞者サミット」なるものが「ヒロシマの遺産―核兵器のない世界」をメインテーマにしてひらかれた。同サミットはノーベル平和賞受賞者である元ソ連大統領ゴルバチョフが設立した財団が一九九九年、イタリアのローマ市の協力ではじめて開催した。いらい、ローマで八回、パリとベルリンで各一回ひらかれており、欧州以外での開催は今回がはじめてである。
 ノーベル平和賞は、ノルウェー国会が任命するノルウェー・ノーベル委員会(五人)が、各国から推せんされた候補からえらぶのがたてまえとなっている。実際には、アメリカのときどきの政治的な思惑から選出されてきた。
 サミットの提唱者であるゴルバチョフはソ連邦崩壊に大きな役割をはたしたペレストロイカ(改革)などの推進で一九九〇年に受賞した。近年でみると昨年が「核兵器のない世界」で米大統領オバマ、〇七年が「地球環境問題」で元米副大統領ゴアである。今年はオバマ政府が「中国の脅威」の宣伝をつよめるなかで、中国への米欧型民主主義導入を要求する反政府活動家・劉暁波である。
 今回のサミットには六人の受賞者が参加しているが、そのなかにはアメリカの対中干渉の道具となっているダライ・ラマ(一九八九年受賞)、アメリカ政府が政府転覆をねらうイランの反政府活動家シリン・エバディ(二〇〇三年受賞)、「核の脅威」などを利用したイラクや北朝鮮の干渉に役割をはたした前国際原子力機関事務局長エルバラダイ(二〇〇五年受賞)がふくまれている。
 今回、ノーベル平和賞受賞者サミットが広島でひらかれたのも、アメリカのオバマ政府の意向をうけたものであった。

広島での開催は米国の意向
 オバマは大統領就任いらい、広島への訪問を検討してきた。「核兵器のない世界」をかかげたアメリカの核戦略を世界に宣伝するために、被爆地・広島への訪問を利用しようともくろんだのである。そのためにノーベル平和賞という肩書きも最大限利用しようとした。
 このため、本部からは今年六月に広島市に打診があり、これをうけて広島市と広島県は支援推進協議会を設立し、オバマに出席をもとめる書簡をおくった。オバマが広島にのりこむにあたっての最大の心配は、被爆者をはじめとする広島市民の反応だった。
 広島では、この一〇年らいの原爆展運動を契機にして、被爆者がほんとうの声をあげはじめ、人類最大の戦争犯罪である原爆投下をあばき、アメリカに謝罪をもとめ、原水爆禁止運動が大きく発展しているからである。
 オバマ政府は今年八月六日の広島での平和祈念式典に、駐日米大使ルースを出席させ、広島をはじめとする日本人民の反応をさぐった。謝罪も献花もしないルースの出席にたいして、「いったいなんのためにくるのか」と広島市民から怒りの声があがった。長崎からは、「なぜ長崎にはこないのか」との声があがった。ルースがこわばった顔で祈念式典に参加した当日、アメリカに謝罪を要求する八・六広島集会のデモは、広島市民の圧倒的な支持をうけた。 

被爆者らの怒り受け不参加
 オバマ政府が広島訪問、サミットの参加をあきらめたのはそれから一カ月ほどたってからである。広島訪問をあきらめたことで、オバマ政府は、それまでひかえていた臨界前核実験も九月にはいって実施し、それを一〇月に公表した。
 広島でのノーベル平和賞受賞者サミットは、主役であるオバマが参加を断念したことで、低調なものにおわり、一四日に「広島宣言」をだして閉幕した。この日、サミットに出席できず、時間のあいたオバマは、鎌倉にいって抹茶アイスをなめるという時間つぶしをせざるをえなかった。
 オバマが広島にはいれず、ノーベル平和賞受賞者サミットのたくらみが失敗したことは、「核のない世界」をはじめオバマ政府の世界戦略が各国人民のたたかいによって打撃をうけている一つのあらわれである。
 今回の訪日でも、沖縄県民などのたたかいによって名護新基地建設のめどがたたないことから、オバマは「日米安保共同宣言」をだすことができなかった。オバマ政府が菅政府につよく要求しているTPP(環太平洋戦略的連携協定)にたいしても日本の農漁民がいっせいに反対の声をあげ行動にたちあがっている。
 またオバマは今回、日本以外にインド、インドネシア、「韓国」を訪問しているが、どこでもオバマ訪問に反対するデモがおこなわれ、オバマ政府の侵略と戦争策動、新自由主義の市場開放に反対するスローガンでむかえられた。「韓国」では人民のたたかいによって、予定していた米「韓」FTA(自由貿易協定)の締結をはたせなかった。
 もう日本でもアジアでも、世界のどこでもアメリカの思いどおりにならず、人民斗争が大きく前進している。


~~~~~~~~~~~

◆下の記事は日付がなかったのですが、ノーベル平和賞サミット広島は2010年11月12日~14日です。

オバマは日本に来日する時に広島長崎訪問を日本の外務省に打診していましたが、時期が合わないとされて、断られています。ですから、初めの記事にあるように、多くの人の広島長崎への訪問をすべきだという手紙は、大いに背中を押す材料となるはずです。世界はたとえアメリカの大統領といえども、なんでも出来るというわけではないのです。おのおのに国民には隠している、思惑があるからです。

オバマが来るのか、それとも次の大統領になるのかわかりませんが、やはりアメリカは日本に原爆を落としたのは、戦争とはいえ一般市民の虐殺はルール違反です。

そして日本の中国や韓国、東南アジアにおける侵略も認めるべきでしょうね。

それがない為に、またしても戦争を支配者たちのご都合により偽旗事件を起こして、始めることになるのです。日本の戦争も国内の偽旗事件が発端となっていたことを、私たち国民は知りました。歴史の教科書に書かれているのは、嘘でした。真実はみな隠されていました。

広島 長崎 神戸 そして福島と。

 


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日本郵政 不自然な通信海外サイトと<2052>

2015-07-05 14:09:42 | 社会問題 日々雑感

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG04H7A_U5A700C1CC1000/

日経新聞より転載しました。

日本郵政、パソコン200台で不自然な通信 海外サイトと 

 日本郵政は4日、グループで使っているパソコン約200台が海外の検索サイトと不自然な通信をしていたと発表した。ウイルスに感染したり、外部から攻撃を受けたりした形跡はないという。グループ各社の業務システムへの影響はなく、情報流出も確認していないとしている。

 日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険、日本郵便の4社で使っている約15万台のパソコンを調べた結果、意図しない通信が行われているのが判明した。郵政グループは今後原因を詳しく調べる。

~~~~~~~~~

◆ 事件性はないようです。やり取りが不自然だということですね。

 


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母乳がインターネットで販売されている<2051>

2015-07-05 12:09:16 | 社会問題 日々雑感

ハフィントンポストより転載しました。http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/03/breast-milk_n_7725082.html?utm_hp_ref=japan

 

母乳、ネット購入に注意喚起 厚労省「感染症のリスク」

厚生労働省は3日、衛生管理の状況が不明な他人の母乳を赤ちゃんに飲ませるのは感染症などのリスクがあるとして、注意喚起を求める通知を都道府県などに出した。不衛生な「母乳」がインターネットで販売されているという同日付の毎日新聞の報道を受けた。これまでに健康被害は確認されていないという。

通知では、母乳に病原体や医薬品などの化学物質が含まれていれば、乳幼児に悪い影響を与える恐れがあるとして、妊産婦らに注意を呼びかけることを都道府県などに求めた。

厚労省は、母乳のネット販売の実態はつかんでいないが、母乳が十分に出ずに悩む女性が購入している可能性があると判断した。担当者は「乳幼児の栄養摂取は必ずしも母乳にこだわらず、必要に応じて育児用ミルクを使うことが望ましい」と話す。

消費者庁も3日、インターネットでの母乳の購入に注意を呼びかけた。

(朝日新聞デジタル 2015年7月3日21時47分)

~~~~~~~~~~~~~~

◆ 母乳育児を希望する人が増えたことは、喜ばしいのですが。厚労省はミルクを買うように言っているんですね。

私の経験ですが、母乳が足りないと思うのは、どうしてでしょうか?もしかして、それは赤ちゃんが、ちょっとしか飲んでいない事、(時間的に) しょっちゅう欲しがるから、おばあちゃんたちから、「足りないんじゃないの?」と批判めいた言葉を言われたなど。

安心してください。あなたの赤ちゃんのやり方で、飲んでいるのです。自由に飲ませてあげてください。沢山一度に飲むのが好きな子もいれば、ちょっとずつが好きな子もいるのです。ちょっとづつの子は、母親とのスキンシップが大好きなのです。それが煩わしいなどと思わずに、一緒にスキンシップを楽しんでください。

そして、お母さんは水や白湯を沢山取るようにしてください。育児に疲れてしまい、つい水を飲むことを辞めてしまったり、コーヒーやお茶やジュースにしていませんか?

赤ちゃんにはお白湯を飲むことが一番いいですし、お母さんの身体も温めてくれるのです。

母乳を買うことも、ミルクを買うこともやめて、自分の可愛い大切な赤ちゃんを育ててください。

また母親の飲む薬の影響で、子供には自分の母乳を飲ませることができない人もいることを知ってください。もしそうなら、たくさんのスキンシップをしてあげることです。どうか、めげないでね。

 

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日本の憲法9条は核兵器より 強力だ<2050>

2015-07-05 11:38:26 | 社会問題 日々雑感

リテラより転載しました。http://lite-ra.com/2015/07/post-1244.html

「憲法9条は核兵器より、強力だ」

nelson_01_150704.jpg

カウントダウンが始まった。7月1日、自民・公明両党は、安全保障関連法案について、今月15日頃の採決を目指す方針を確認した。憲法学者から違憲だと指摘されようとも、国民の多数が今国会での成立に否定的であっても、与党は聞く耳を持たないようだ。

 とりわけ自民党が強引に法案成立を目指すのは、安倍首相がこの解釈改憲によって事実上、憲法9条を形骸化させようと目論んでいるからに他ならない。そうして、なし崩しに既成事実をつくりあげたあと待ち受けるのは、本格改憲による「戦争のできる国」──これは抽象的な話でも脅しでもなく、事実である。

 だが、安倍晋三は戦争を知らない。無論、筆者も、この国で生きる大多数の人たちも、それがいかなるものなのかよく知らない。どうしてだろうか。

 戦後日本に憲法9条があったから──そう語るのは、アレン・ネルソンさん。海兵隊の一員としてベトナム戦争の最前線にいたアフリカ系アメリカ人だ。1996年から、日本全国で1200回を超える講演を行い、2009年、ベトナムで浴びた枯れ葉剤が原因とみられる血液のがんで亡くなった。享年61歳だった。今年の憲法記念日に放送された『NNNドキュメント 9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(日本テレビ系)という番組のなかに、生前の彼が語ったこんな言葉が収められている。

「ほとんどの国の子どもたちが戦争を知っています。アメリカの私の子どもたちは、戦争を知っています。イギリス、イタリア、フランス、オーストラリア、中国、韓国の子どもたち、みんな戦争を知っています。しかし、ここ日本では戦争を知りません。憲法第9条が戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみから、みなさんを救ってきたからです」

 なぜ、彼は言い切るのか。それを理解するためには、2003年に講談社から出版された自叙伝をもとに、ネルソンさんの生涯を知るほかない。

 ニューヨークで生まれ、高校を中退。仕事を転々としていたネルソンさんが、海兵隊の採用担当職員に声をかけられ、海兵隊入りをしたのは18歳のとき。訓練を受けたネルソンさんは、翌年の66年、ベトナム戦争の最前線に派兵されるために、沖縄・嘉手納基地に赴く。当時、沖縄は返還前で、アメリカ兵は自分たちの国の一部という感覚でいたという。

〈わたしたちは東洋人の一人一人を見分けることができませんでした。みんな、同じ顔に見えましたし、それでもまったく問題はなかったのです。なぜなら、わたしたちは東洋人を、そして沖縄の人々を人間としてみてはいなかったからです〉

 そしてベトナムに派遣後、最初に遭遇した戦闘。味方の兵士が撃たれ、駆けつけたネルソンさんは、その〈目も鼻もない、ただ真っ赤につぶれた顔〉を見て戦慄する。〈みんな殺してやる、自分があんな目にあう前に、みんな殺してやる〉、そう心のなかで叫び、二度目の戦闘で初めて人を殺す。戦場で兵士たちは競い合って殺し、死体から頭を切り取って記念撮影をしていた。

 初めての殺人のあと、上官から労われたネルソンさんは〈とてもいい気分〉だったという。だがその後、〈名づけることのできない感情〉と目眩のようなものを覚えた。以降、人を殺すたびに感じるようになったこの感情は、罪の意識でも、恐怖でもなく、ましてや喜びでもなかった。

〈しいていえば、人を殺すことのあまりの簡単さへのおどろきといえるかもしれません。果てしない暗闇が目の前に突然に口を開けてわたしをのみこんでしまったような、なんともいえぬ感情でした〉

 しかしネルソンさんは、ある日の戦場で、〈戦争への考えを変えることになる決定的なできごと〉を体験する。ある村を通りかかったとき、部隊は待ち伏せ攻撃を受け、ネルソンさんは銃で応戦しながら一件の民家の裏庭にある防空壕のなかに身体をすべりこませた。豪のなかでは、若いベトナム人女性がひとり、苦痛に耐えながら壁に背を押し付けていた。なんと、彼女は出産の最中であったのだ。

 ネルソンさんは、思わず本能的に両手を差し出したという。そして彼女の中から生まれおちる赤子を、その両手で受け止めた。彼女はへその緒を歯で噛み切り、赤子を落ちていた布でくるみ抱えて、しばらくして豪の外へと走り出ていった。

 戦闘が終わったあと、仲間と合流したネルソンさんは混乱していた。

〈ベトナム人もまた人間なのだ、わたしと同じ人間なのだという、ごくごく当たり前の事実を、しかし、それまで決して考えてみることのなかった事実に思い当たりました。〉

 同時に、自分の母や姉妹と同じような人々を数えきれぬほど殺したことについて、感じることを禁じていた様々な感情が、ゆっくりと目覚め始めたという。〈自分はまだ人間のままでいるだろうか〉、そう自問しながら、彼は戦場を生き残った。だが、戦地から遠ざかったあとも“戦争”に苛まれ続ける。

4年の契約期間を終えニューヨークへ戻ったネルソンさんは、23歳でホームレスになっていた。原因は、帰還後毎晩見るようになったベトナムの悪夢だ。神経過敏になり、精神科医の診療も受けるようになったが、薬は役に立たず、かえって副作用のため日常生活に支障をきたすようになっていたのである。PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。

 ベトナム戦争後にその症状が広く知られるようになったPTSDだが、アメリカでは今も深刻な社会問題であり続けている。『帰還兵はなぜ自殺するのか』(亜紀書房)によれば、イラク・アフガン戦争のアメリカ帰還兵200万人のうち、4人に1人がPTSDやTBI(外傷性脳損傷)などに苦しめられ、結果、毎年250名を超える自殺者を出しているという。

 これは日本の自衛隊の未来を暗示している。事実、イラク戦争にあたって、約1万人の自衛隊員が派遣されたが、帰還後に28人もの隊員が自殺していることがわかっている。通常の日本の自殺率と比べると、実に14倍だ。安倍政権が目指す安保法制によって、自衛隊の活動範囲は飛躍的に拡大する。にもかかわらず、政府は、自衛隊員の戦死やPTSD等のリスクについての説明を避け続けている。安倍首相は「日米同盟を“血の同盟”にする」と大見得をきったが、現実に待ち構えているのは比喩でない。もちろん、安倍首相自身は一滴も血を流すつもりはないだろうが。

 話をネルソンさんに戻そう。PTSDに苦しめられ、ホームレスを続けるしかなかったある日、たまたま再会した同級生に、ベトナム戦争について講演をすることを勧められた。ネルソンさんは迷ったが、結局、小学校にいき、子どもたちの前に立った。

 ぎこちなく語り終えると、子どもたちからの質問時間になった。そこで出たある女の子からの質問に、ネルソンさんは固まる。それは、彼の自叙伝のタイトルにもなっている。

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」

 長い沈黙のあと、ネルソンさんは、目を閉じたまま言った。「殺した」。

 すると、だれかの手が体に触れた。ネルソンさんが目を開けると、質問をした女の子がそこにいた。彼女はネルソンさんを抱きしめ、涙を浮かべながら見上げて言った。「かわいそうなネルソンさん」。子どもたちは一人、また一人とネルソンさん体を抱きしめていった。ネルソンさんのなかで、何かが溶け出した。

〈自分自身のことが、とてもよく見えるような気がしました。
 何をすべきかもわかったような気がしました。
 わたしが戦ったベトナム戦争を、悪夢として時間の牢屋に閉じこめるのではなく、今もなお目の前で起きていることとして見つめなくてならないのです。〉

 ネルソンさんは、その後、日本での講演活動を開始する。きっかけとなったのは、1995年、沖縄で起きた海兵隊による少女レイプ事件だった。アメリカのテレビでそのニュースを聞いた彼は、そのとき、沖縄にまだ基地があり、アメリカ兵がいるという事実を意外に感じたという。ベトナム戦争が終わって、とっくに米軍は撤収していると思っていたからだ。ネルソンさんは何かしなければと、沖縄へ向かう。

 

 そして、日本国憲法のことを知った。ネルソンさんは、ホテルで9条の条文を読み、立ち上がるほどのショックをうけたという。前述の『NNNドキュメント』のなかで、こう語っている。

「憲法第9条を読んだとき、自分の目を疑いました。あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです。日本国憲法第9条は、いかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです。日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔にとても素晴らしく美しくかけがえのないものが、私には見えます。子どもたちの表情から、戦争を知らないことがわかるのです。それこそ第9条の持つ力です」

 9条こそが、子どもたちを守ってきた。ネルソンさんは、夢や理想ではなく、現実として語っているのである。そして番組のもうひとつのハイライトは、ネルソンさんが、アメリカ人政治学者のダグラス・ラミス元津田塾大学教授と9条について語り合う場面だ。VTRは少なくとも今から10年近く前のものであるはずだが、その内容は、まさに現在の安倍政権をめぐる日本の状況を示唆している。引用しよう。

 ネルソン「平和憲法は日本人が考え出したものではないとかアメリカ人に与えられたものだと言う人がいます。しかし、誰にもらったかは問題ではありません。平和憲法は私たちが進むべき未来を示しています。たとえ宇宙人がくれたものだとしても、これは全人類にとって大切なものです。問題は今、当初の平和の理念が置き去りにされようとしていることなのです」
 ラミス「私たちは平和憲法のもと、平和な日本で暮らしています。日本は世界一の平和国家と言われています。でも同時に沖縄には米軍基地がある。これはファンタジーです」
 ネルソン「たしかにそこは大きな問題です。日本人は間接的に戦争に関与してきました。しかし、9条のおかげで直接的に戦争には関わっていません。言い換えると、第二次世界大戦後、日本は新たな戦没者慰霊碑を建ててはいない。そこが私には素晴らしいと思えるのです」

 日本国憲法は“誰がつくったか”が本質ではない。条文が示す、戦争放棄、戦力不保持、平和主義の理念を見つめるべき──そう、ネルソンさんは訴えるのである。昨今、護憲派の人々は、改憲派やネット右翼らから「脳内お花畑」とか「9条教」などと揶揄されている。しかし、ネルソンさんが9条をこれほど高く評価するのは、戦場で人を殺し、生還後もPTSDに苦しんできた自身の体験があるからだ。

 ネルソンさんは、決して夢想家ではない。少なくとも、戦場の実態を知っているという意味では、安倍首相をはじめとするほとんどの改憲派の人たちよりもリアリストだろう。戦争で人を殺さず、殺されないこと。そのことをはっきりと規定した9条の条文が、ときの権力者の暴走に歯止めをかけてきた。ネルソンさんの言葉はその事実をあらためて私たちにつきつける。

 与党は、国会での安保法制改正案の強行採決を目論んでいる。あの戦争の終結から70年が経つこの夏は、日本が再び戦争ができる国になった夏として、歴史に刻まれるかもしれない。人を殺し、殺されることが「当たり前の事実」になる日を目の前にして、私たちはこのまま、手をこまねいているだけでいいのだろうか。
小杉みすず

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◆ アベ心臓も祖父の岸ジイも戦争兵士となっていません。アベ心臓が戦争へと走るのには、わけがあるのです。朝鮮戦争のことを思い出せば、わかるはずです。戦争特需といって、戦争により儲けて日本が潤ったこと、そして財閥企業も大株主も、椅子に座っていれば、儲かったのです。国民は来る日も来る日も奴隷のように働いて、日銭を稼ぎ、その上前を、椅子にすわっていた支配者たちが、奪っていたのです。

あの時の快感をわすれていない、支配者たちは、日本でまた武器を作り、自ら戦争へと参加させて、狙い道理に稼ごうとしているからです。強欲爺ババばかりです。自民党の政府はすでにゾンビと化しているのが、国民にはバレてしまいました。

私も娘時代に五味川純平の「人間の条件」を友人たちと、読みまわしていました。そしてこの本の幼い子供と全く同じ「お父さんも、人を殺したの?」と聞きました。その時父は、ちょっと、考える時間を持ったようでしたが、正直に話してくれました。そのことは、わたしにとって、とてもショックでした。しばらくの間、途方に暮れたことを、覚えています。ネルソンさんを抱きしめた幼い子供のようには、できませんでしたね。

そして娘の私が今こうしてブログを書いています。時代が変わり人類の解放への小さな力になれば、と思って日々を過ごしているのです。憲法9条は、押し付けられたのではなく、日本人へのプレゼントだと思います。すべてはつながっている、そう思えます。世界中で戦争が起こっていたのに、日本だけが平和でいられたのも、平和ボケと言われようとも、憲法による保証があったからです。この憲法は人類に広めるべき憲法です。ロシアへも中国へも、世界中に輸出されるべき素晴らしい憲法です。ゾンビたちに、壊されてはたまりません。

 

 


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