杉田議員の発言で、
けっこう世間は騒いでいる。
しかし、個人的には、
「なんで、こんなに騒ぐの?」
という感じだ。
一般論で言うと、
世の中の親は、自分の息子や娘が、
同性愛とわかると、
ショックを受けるはずだ。
また自分の兄弟姉妹が、
同性愛とわかると、
「何か、いやだな」
と思うはずだ。
そのショックや嫌悪感があるということは、
誰だって、「ノーマルな人たち」
を望んでいるはずだ。
もちろん、
ショックや嫌悪感を感じた人も、
最終的には、
「そうよね。同性愛でもいいのよね」
となる。
同性愛を受け入れる。
しかし、やはり、最初は、
「嫌な気持ちがする」は、
一般的な感情だと思う。
そして杉田議員は、
その「最初の嫌な気持ち」を素直に文章にしただけ・・・
であり、それほどひどい発言とは思えない。
また「生産性うんぬん」も、
彼女は、「子供を産まない=非生産性」と言っているだけであり、
子供を産まなくても、
社会的に「生産的な仕事をしている女性」は無数にいる
・・・ということも分かっているはずだ。
大地一人も子供のいない女性や結婚をしていない女性を、
強く支持する!
その理由は、女性の価値はそういうものではないと思っているからだ。
でも、杉田議員の文章も、
「まあ、彼女らしくて、いいだろう」
と思っているんだよ。
「こういう議員がいてもいい」ってね。
杉田議員の文章を評論して、
ぎゃあぎゃあ騒いでいる人は、
なんか、すごく違和感があるんだ。
「ぎゃ・・・」くらいにしておいたら?
・・・と思うのだ。
結局、今の日本が平和だから、
他に、問題もないのだろう
・・・と言うところに落ち着いてしまう。
女性たちよ!
「私は結婚しない!」
「私は子供を作らない!」
「その代わり、私は日本社会に貢献するわよ」
・・・でいいじゃん!
同性愛の人たちよ!
「私は同性愛だけど、どんなに差別されても、
立派に、社会のために、生きていくよ」
・・・でいいじゃん!
こうして書いてみると、
IKKOさんは、立派だね。
大地一人、個人的に、
差別されて、ぎゃあぎゃあ騒ぐ人は嫌いなんだ。
中村久子さんは、
両手両足がなくて、
自分で生計を立て、
立派に生き、
最後は、「手足のないことに感謝をした」。
中村久子さんから見ると、
ぎゃあぎゃあ騒ぐ人たちは、
なんと、小さいのだろう。
差別されもいいじゃん!
言いたい人には、言わせておけばいいじゃん!
なんて書くと、
これも、差別発言かな?
健康差別?
結局、大地一人もバカってことよ。