古今東西のアートのお話をしよう

日本美術・西洋美術・映画・文学などについて書いています。

京町家で食事と喫茶

2024-10-31 22:31:14 | グルメ

萬福寺の桃戸、桃符を見た後は祇園花見小路の🍑
「ぎおん桃庭(たおてい)」
(ネット画像借用)
ここは、大正6年(1917)に建てられた元お茶屋の「吉初」です。

谷崎潤一郎の年表詳細に、大正14年(1925)2.28『吉初に電話をください』、昭和元年(1926)4.20 『京都祇園花見小路吉初にて、里見弴と遊ぶ。』とあり、関東大震災(1923)直後、関西に拠点を移した頃から「吉初」を贔屓にしていた様子がうかがえる。

谷崎潤一郎(1886〜1965) 40代

当時の谷崎は、「痴人の愛」を新聞連載、刊行し人気作家の仲間入りをしていた頃。

「ぎおん桃庭」は「吉初」を
リノベーションした中華料理店

一階のバーカウンターを過ぎ、二階に上がる

坪庭が見える


谷崎の間
谷崎が執筆に利用していた部屋

谷崎自筆の手紙

谷崎源氏の復刻本

さて、お料理は化学調味料などは一切使用しない自然由来の味付け、ニンニクも使わないそうです。どこか、萬福寺の精進料理を思わせますね。


冷菜三種

谷崎スープなるもの
美味しい!!

穏やかなエビチリ

穏やかな炒飯

ティーカップの下に携帯の光を当てると、日本髪の女性が浮かび上がる

杏仁豆腐 美味しい!

「ぎおん桃庭」お勧めです🙂

ちょっぴり文豪気分に浸りながらゆったり歩きたいところですが… 

前方から、インバウンドの押し寄せる波、また波💨…

伊藤若冲の生家があった錦市場の近く蛸薬師通
黄昏れどき、売茶翁もこの道を歩いたかもしれない
築110年の京町家をリノベーションした、工藝品/ギャラリー・ショップの「雨晴」

東京白金台の「雨晴」(2015)の二店舗目として2023.11に開店

雨晴 店内
(ネット画像借用)

二階は、ギャラリーになっています

奥庭 元の庭を再生・改修したのは、東京の「景色盆栽作家」小林健二さん

(ネット画像借用)
庭の奥の蔵を改造して、「茶房 居雨」を2024年3月にオープン


売茶翁にならい煎茶のコースをいただきました

<iframe src="https://static.blog-video.jp/?v=MC7q9vmbCBkzaKQHNwjVXvOLSm" width="372" height="372" frameborder="0" scrolling="no" allow="fullscreen" style="border-width: 0px; border-style: initial; margin: 0.7rem 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline;"></iframe>
水盤に雫がおちる…
水滴のひびき

冷たい緑茶
和菓子を選びます
湯を沸かし、湯をさまし、お茶をいれる


最後のお菓子


夜も更けてきました…


黄檗宗大本山 萬福寺

2024-10-31 22:22:36 | 旅行
今月(2024.10)、宇治の黄檗山萬福寺の伽藍三棟(法堂・大雄宝殿・天王殿)が重要文化財から国宝へ格上げされました。
総門 重要文化財

JR奈良線の黄檗駅から徒歩5分の萬福寺。

江戸初期(1661年)に創建された伽藍は焼失等を免れ当時の姿を今に伝えている。主要建物二十三棟、回廊などが国の重要文化財に指定されている。


しかし、京都、奈良のインバウンドの喧騒はなく、広い境内にすれ違う人も稀である。


ほとんどの伽藍が国の重要文化財


隠元隆琦像 喜多元規筆 1671年

隠元隆琦(いんげんりゅうき∶1592〜1673)は、1654年に中国福建省から臨済宗黄檗派の名僧として招聘される。後水尾法皇徳川家綱の尊崇を得て、寛文元年(1661)に黄檗宗大本山萬福寺を開創。日本三禅宗(臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)の一つとなった。

『隠元禅師と黄檗文化
隠元禅師とともに伝来した中国の先進文化は、建築、文学、 音楽、書道、絵画、彫刻、さらに印刷、医学、飲食に至る まで多岐にわたり、これらは「黄檗文化」と呼ばれています。 インゲン豆・スイカ・レンコン・ナス・タケノコ(孟宗竹)・ 落花生といった新しい食材、煎茶やダイニングテーブルを 使った食事形態、明朝体文字や400字詰め原稿用紙、木版 印刷など、江戸期の町人文化の基となり、現在の日本人が あたりまえに使用しているモノが伝えられました。』萬福寺パンフレットより

石條(せきじょう) 
中央の石は住職のみが歩ける

天王殿 国宝
✕の勾欄(こうらん)は中国様式


弥勒菩薩(布袋)坐像 中国人仏師
范道生(はんどうせい∶1637〜1670) 作 1663年

大雄宝殿 国宝
チーク材で作られた伽藍

釈迦牟尼仏 脇侍 迦葉、阿難


十八羅漢像 范道生作

羅睺羅(らごら)尊者
羅睺羅尊者とは十六羅漢の一人で、釈迦の出家以前の実子である。のちに出家し十大弟子の一人となる。両手で胸を開くと、胸の中に仏様の顔が現れる。

法堂 国宝
勾欄は卍と卍くずしの中国様式

開山堂 重要文化財
勾欄は卍と卍くずし

桃戸 不老長寿、魔除けの意匠

桃のタペストリー

桃の意匠は萬福寺のアイコン🍑
開梛(かいぱん)日常の行事や儀式の刻限を報じる


「売茶堂」の石柱

売茶翁像 伊藤若冲画 売茶翁賛(高遊外) 1757年

売茶翁(ばいさおう:1675〜1763)は肥前(佐賀)生まれ、11歳で出家し、肥前黄檗宗龍津寺に入り化霖禅師を師とする。
1686年13歳の時、師の師である萬福寺の独湛禅師より偈(げ:禅の境地を詠んだ漢詩)を賜る。若い売茶翁の才能を見抜いていた証といわれる。
龍津寺での修行、諸国行脚を行い、化霖禅師が遷化すると57歳の時に上洛し、61歳で東山に通仙亭を開き、煎茶道具を担ぎ、京の街なかで、売茶を行い客と清談(禅問答)を交わしたという。ゆえに売茶翁とよばれ、煎茶中興の祖でもある。客は、相国寺、南禅寺の住持大典禅師や文人墨客で池大雅や伊藤若冲らがいた。若冲は、「動植綵絵」を売茶翁に「丹青活手の妙、神に通ず」と激賞され、『丹青活手妙通神』の印を造り、「動植綵絵」に捺印している。

萬福寺といえば普茶料理が有名
(ネット画像借用)
中国風精進料理で、肉や魚の「もどき」料理が有名です。

超俗人たる私は、花見小路🍑でお昼をいただきます🤗
続く
黄檗宗大本山 萬福寺
お勧めします