山形弦楽四重奏団 ブログ

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山形Q 練習日誌61-vol.5(倉田記)

2016-08-23 23:59:59 | 練習日誌
 アフィニス音楽祭で、山形の音楽界に刺激をいただいています。

 本日は、アフィニス音楽祭の合同オーケストラのリハサールが無い日。

 勿論!クァルテットでしょう!

 最初にBachの曲の合わせから。この団体のリハーサルは大抵BachのFugeから始まります。他の活動で意図せず付いてしまった不要な癖を排除しながら、団体としての音を確認したり、お互いの呼吸あわせするのに使っています。個人的なことですが、私は高校の時、某進学校に通っていました。授業の前にクラス代表が号令をかけて、しばし黙祷するのが学校の決まりでした。休み時間(とは言っても個人的な勉強〜参考書を開いたり、数式の解き方を友達と話したりして、遊ぶ人はほとんどいないような、今考えると不思議な学校でした)の空気から、先生が教室に入り、授業の集中力を高めるのが目的だったと思います。

 今、我々が長い事、Bachの音楽でリハーサルを始める事の意味は、先ほど書きましたが、具体的に言うと拍々するような音並べの音楽にしないことや、荒れた技術(楽器の響を整えたり、ザラザラしている弓の圧力を少し解放してあげるとか)の調整、Fugeですからパート毎の横の流れ、縦の線の和音の置き所など色々、自分の体と相談しながら演奏して、あくまでリハーサルのオープニングとして使用したいのです。悪い癖の刷り込み、個人の音楽をひけらかしたり、誤魔化したりする時間にはしたくありません。

 Bach(音楽の基礎!!!)のアンサンブルは、響がだんだん良くなってくると、高校の時の黙祷のような静かな時間が流れる気がするんです(気持ちが落ち着くというか)。上記の考えはあくまで個人的な見解ですが、何をやるにも、その意味を考えながらお互い切磋琢磨したいものです。やらされているルーティンでは、全く持って時間の無駄かも・・・・・・。

 長くなってしまいました。

 その後、F.シューベルト D.46とF.J.ハイドン Op.55-1をリハーサル。

 個人の考えや感じ方(感覚)を他人同士で統一してゆく作業は、誠に難しい思います。15年以上やっていてもいつも最初のスタートに戻ってしまう(初歩・基礎にかえる)のは、しょうがないことなのかな。大切にしなくてはなりませんが。

 また次回。

~チラシを貼らせていただいたり、置かせてもらう活動しています。~
 ただいま3箇所

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