おはようございます。今日で5月も最終日。梅雨空。今日からまた現場へ出る予定でしたが、昨日予定外の仕事に追われて、予定が全く進まなかったので、今日は予定外のデスクワーク。
昨日、普天間のAH-1Z攻撃ヘリのミサイル吊り下げ訓練のことを書いたが、書くためには現場周辺の地形図と街路図と、軍事技術の資料に当たりながら書く。地図は得意分野だからいいのだが、それでも一枚一枚の写真と記憶、地図と重ね合わせて、検証しながら書くのは、時間がかかる。極力正確に位置を特定したいのだが、望遠レンズだから(拡大している分)、当然誤差が生じる。
だから撮影時の適切な方法が貫徹されていないと、ペケになる。前後(奥域)・左右・上下、進行方向、風向き、他の動きがあるかないかなどをチェックしながら撮る。これをブログに編集する際に、再チェック。逐一その動きを確認。現場の状況を正確に把握していないと、なかなか「なるほど」に至らない。
先の記録は、こうしてあげたものです。武器・弾薬のことも、多少知らないと書けないし、ネットで動画も見ているが、つくづくイヤになる。現代技術の粋を結集して兵器を造っているのだろうが、殺戮のためであって、ばからしくならないのかな。わたしは、「人間、この非人間的なる者」(なだ いなだ著)を思い出す。
何事にも失敗はつきもので、不十分なところがでる。わたしは次回の課題としている。兵士は日々の戦闘で、人間性を引き裂かれていくのだ。
その動画を見て思うことは、米国本国の演習場の広いこと。世界の大国らしい。翻って沖縄のようなちまちまとした狭小な場所で訓練するという、えげつなさ。しかし彼らが沖縄を「愛して」いるのは、そこに家があり、学校があり、人が暮している脇で演習できるからだ。それを完全に支持してくれる日本国政府があるからだ。
しかし、この国の政治家や高級官僚は、こうした哀しみにノホホンとしている。それどころか、全ては金儲けのために。
私たちは、いつまで搾り取られていくのだろう。原発をやめさせることができていない、オリンピックも強行されている(やめさせていない)。次に来るものは、戦争だろう。
哀しみの涙が流れ出るうちに、戦争を止めなければならない。その試金石はオリンピックを止めることだ。既に私たちの心身はぼろぼろだが、勝利の経験を共有していきたいものだ。