2025年1月2日(木)晴れ 土庄(「平和の群像前」)からオリーブバスで「田浦映画村」に向かった。11時10分着。
私は2回目の訪問となる。私が壺井栄の「二十四の瞳」を再認識したのは2012年の与那国島だった。たまたまテレビでこの映画(どのバージョンだか、途中から見たこともあり、記憶なし)が流れていた。思わず見入ってしまった。
私は「少年少女日本文学全集」の全巻を読んでいる(小学校高学年から中学時代)。その一巻に壺井栄が入っていた記憶はある。だから「二十四の瞳」も読んだはずだ。しかしこうした背景を持つ作品だとの記憶がない。無知蒙昧だった。「二十四の瞳」とは大石先生と教え子12人の学校・地域での教育/交わりのお話だ。小豆島の分校で1,2年生を担任した大石先生の奮闘記でもある。「昭和3年」(1928年)に時代が設定されている。子どもが設置した落とし穴に嵌まってしまい足を怪我した大石先生は、この分校を離れ、本校に異動する。4年後(1932年)に5年生になった子らと再会する。その時間の日本は1931年9月18日「満州事変」を仕掛け、15年戦争を始め、1932年中国東北部に「満州国」を建国する形で植民地支配を全面化していく。そして12人の子どもたちの卒業後の18年後、同窓会のような形で再会する。12人の内、生き延びていたのは7人だった。
侵略と軍拡の時代が子どもたちの学校生活・地域生活から何を奪っていったのかを、壺井栄は書いている。私が与那国島に行き始めたのは2010年の「防衛計画大綱」を読んだ衝撃からだったから、この映画によって、過去の児童生活・学校生活と侵略と軍拡が重なるのだと思い知らされた。おかげで原作を読み直した。そうした資料群が映画村としてあるというので、これを視ておこうと思って行ったのが、2015年の春だった。
今回小豆島に行くことは早めに決めていたが、どこに行くかを定めたのは大分後。映画「二十四の瞳」:木下恵介監督、高峰秀子主演の映画化は1954年。この映画村のロケセットは1987年の朝間義隆監督、田中裕子主演の映画のものだ(今回連れ合いに教えてもらった)。ここでの展示は、1987年バージョンのブツだとの説明がないのに、日本映画の戦後再生・最盛期に向かう映画資料がやたらと多く展示されている。それはそれで興味津々だったが、壺井栄が「二十四の瞳」で描こうとした主旨を覆い隠しても居る。懐かしの、エンタメの展示になってしまっているのは、誠に残念だ。
私がそう思うのは、今回の旅企画を立てるために数多くの小豆島紹介のYouTubeを見たからだ。どうもお楽しみの道楽・自己満足に成り果てている。映画ロケセットだから仕方がないのか? 「古き良き映画の時代(1950年代から60年代)を忍ぶ」まま、1930年代の庶民生活を見たら、間違える。子どもたちは常に時代の犠牲を強いられてきたのだ。そこを無自覚のまま、1930年代、1954年、1987年から今へと流れてきた時代をごちゃごちゃにしてはなるまい。
ともかくこんなところだ。
11:22 セットが並ぶ。一部は売店や展示場になっている。
11:30 広告物が掲示されている。ただし私が知っている広告もあり、1930年代のものではない。1954年か?!
ムードですね。
11:35 南東側 左奥が坂手港。瀬戸内の海は波静か。
11:42 教室から。なんとも長閑だ。
他の教室で10名程度のグループが先生と児童を演じていたようだ。教科書を読み上げる先生が済まし顔だった。
11:54 坂手港から出てきたジャンボフェリー。神戸港行き。
11:55 それらしい町並み。
11:57 先生と12人の子どもたち。「せんせ、あそぼ」
11:59 太陽が上なので、像と陰を意識して構図を創る。むろん背景のロケセットを入れている。
12:02 大石先生と子どもたち。
12:02 「せんせ あそぼ」だが、小渕恵三首相が字を書いたようだ。
何の因縁があったのだろうか。私は興ざめ。
この後、食事して、壺井栄文学館を見て、ブックカフェでお茶した。
壺井栄さんの略歴:1899年、岩井栄、小豆島坂手村生まれ。1913年内海高等小学校を卒業。翌年から1920年まで村の郵便局、村役場に勤める。1925年上京。壺井繁治と結婚。豊玉群世田谷町三宿、太子堂に住む。彼はやはり小豆島生まれ。プロレタリア文学系の詩人だった。思想犯として弾圧(投獄)を受けていた。
1937年、宮本百合子の力添えで「大根の葉」が文芸春秋に載ることになっていたが、見送られた。翌年、「文芸」に掲載された。1952年「二十四の瞳」を雑誌「ニューエイジ」に発表。1967年病没。
1992年壺井栄文学館開館。
13:20 2階の電灯を入れた。
外に出て。
13:56 バス待合所。座れるのだが、実用より、オブジェ。
14:02 バス待合所。醤油樽だ。
14:16 「二十四の瞳 映画村」外壁。
正月もやっていてくれて感謝。お客さんもほどほど多く、撮影できない場面が多かったが(撮影禁止の館もある)、雰囲気はわかるだろう。
なおこの施設の運営は「一般財団法人 岬の分教場保存会」(文学館も)。役員名簿を見ると小豆島町の町長が代表理事。理事は学識経験者とあるばかりで、詳細不明。同町教育長も理事だ。町役場が支えていることは間違いない。
私たちは14時30分のバスに乗る。